伊豆大島火山地質図(第2版) 解説目次
1:はじめに
2:伊豆大島火山の概要
3:伊豆大島火山陸上部の活動史
4:伊豆大島海域の海底火山活動
5:歴史時代の噴火
6:噴火活動の特色 - 防災上の注意点
Abstract
引用文献
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5:歴史時代の噴火
伊豆大島火山の可能性がある歴史噴火記録には,西暦684年,856年,880年,886年,1112年などがあるが,いずれも伊豆大島火山と確定できない.伊豆大島火山のほぼ確実な歴史噴火記録はY5 噴火以降,噴火様式の記述があるのはY4 噴火以降である (一色,1984b;小山・早川,1996).
Y5 噴火 (14世紀,1338年?):北西山腹の割れ目火口からスコリア放出と溶岩流を流下させ,現在の元町付近を溶岩が埋め尽くし海岸に達した (Y5.3エピソード).その後,山頂部からのスコリア,細粒火山灰の噴出が起こった (Y5.0エピソード).
Y4 噴火 (15世紀,1421年?):山頂火口からのスコリア噴出とほぼ同時に,カルデラ内から南方海底まで伸びる北西‒南東方向の陸上部分に長さ約6 kmの割れ目火口を形成し,岳ノ平スコリア丘,大穴・小穴火口などを形成した (川辺,2020).この割れ目火口から溶岩流が差木地・間伏へ流れた.割れ目火口が海岸に達するイマサキでは,スコリア放出に続いてマグマ水蒸気噴火でタフリングを形成した.カルデラ内でも溶岩流の噴出があり,カルデラをほぼ埋め立てて北縁からわずかに溢流した.これらを覆って細粒火山灰とスコリアの噴出があった.1421年5月5日 (新暦) の日付があるいくつかの文献に 「伊豆大島焼,其響如雷,海水如熱湯,魚多死」 との記述があることから,Y4 噴火はこの噴火記録に対比されている.
Y3 噴火 (16世紀,1552年):山頂火口からの降下スコリア噴出に続き,溶岩流がカルデラを満たした.溶岩流はカルデラ北東縁から溢れ出し,現在の泉津の東から大島公園にかけて海岸線に達した.
Y2 噴火 (1684‒1685年):1684年3月29日 (新暦) に山頂火口から噴火が始まり,溶岩噴泉,スコリア噴出があった.4月中旬には溶岩流が東側に流れ,海に達して現在の長根岬の溶岩扇状地を形成した.その後,降灰が翌年まで続き,厚さ25~100 cmに達した.その後,小規模な噴火活動が7年後の1690年まで続いた.
Y1 噴火 (安永噴火,1777‒1778年):1777年8月31日 (新暦) 夕方から三原山山頂火口で噴火が始まり,スコリア噴出とカルデラ内での溶岩流出が起こった.1778年4月19日から再度活発化し,大量のスコリア放出と三原山北西麓から溶岩流の流出があり,溶岩は北東に流下した.いったん静穏になったが 11月6日にふたたび三原山南東麓から溶岩流が流出し,カルデラ南西縁赤ダレ付近を越えて流下した.11月14~15日には北東方向へ溶岩流が流下し,現在の大島公園付近で海に達した.この噴火では降下スコリアの斑晶量が初期は少なく,後期では多くなったが,溶岩流は全期間無斑晶状であった.その後1783~86年,1789年頃にかけて降灰があり,中腹で厚さ1.2~1.5 mに達し,三原山周辺には火砕サージが発生している.一連の噴火活動は1792年に終息した (津久井ほか,2009;Ikenaga et al.,2023).
19世紀以降の活動
安永噴火以降,噴出量数千万トン級の中規模噴火が 1876‒77年,1912‒14年,1950‒51年,1986‒87年に起きている (一色,1984b;阪口ほか,1988).1986年噴火を除き,中規模噴火に続いて小規模噴火活動が十数年ほど続きその後静穏期が10年前後続くパターンが見られる.これらのうち1950‒51年噴火,1986‒87年噴火について概略を述べる.
1950‒51年:7月16日午前9時15分ごろ三原山竪坑状火孔内から噴火が始まり,スコリア丘形成と溶岩が噴出,9月13日には三原山山腹へ流れ出した.噴火活動は9月23日に終息した.1951年2月4日に再度活発化し,2月13日には溶岩の流出が始まった.2月28日以降三原山北西火口縁を越えてカルデラ床へ流下し,4月初めに活動は終了した.1951年4月から6月にかけての爆発的噴火活動があり,多量の降灰が観測され,火口底中央に竪坑状火孔が再現した.1953年以降に竪坑状火孔内でストロンボリ式噴火やスコリア放出を伴う噴煙活動や爆発的活動があり,1957年10月13日に爆発的噴火により観光客など 54名が死傷した.1958年から1969年にかけても爆発的噴火と噴煙活動が続き,その後 1974年の竪坑状火孔底内でのストロンボリ式噴火以降に噴火活動は収まった.
1986‒87年:1986年7月に火山性微動が観測され,10月末には連続微動となった.このほか電気比抵抗値の低下,熱活動の上昇などマグマ上昇を示す観測結果が得られていたが,明確な山体膨張は観測されなかった.11月12日に三原山竪坑状火孔南東壁から噴気が,そして11月15日17時25分頃溶岩噴泉が確認された (A火口).噴出した溶岩は19日昼前に三原山火口縁を越えカルデラ床まで流れ下った(LA溶岩流).20日未明には溶岩噴出が弱まった一方,21日午前中から爆発的噴火が始まり,黒煙や衝撃波が頻繁に発生し,空振は関東北部でも観測された.14時頃からカルデラ北部で地震が群発し始め,16時15分,三原山北西のカルデラ床で,北西‒南東方向の割れ目噴火が始まった(B火口列).16時44分にはA火口も活動を再開した.B火口列の噴煙柱高度は16,000 mに達し北方と北東方に溶岩が流出した(LB I,LB III溶岩流).17時47分にB火口列の延長線上,カルデラ外の北西斜面で新たな割れ目噴火が始まり(C火口列),18時頃には溶岩が元町方向へ流下し始めた(LC溶岩流).島内南東部でも地震活動が活発化,地殻変動による開口割れ目も発見されたことから,21日22時50分に島外避難命令が出され,全島民離島となった.21日夜半にはB,C火口の溶岩噴泉活動は収まり,B火口列で細粒火山灰を放出する噴火が23日午前中まで続いた.23日午後長さ約300 mの小溶岩流 (LB II溶岩流) が流出しているのが発見された.震源分布は北西‒南東方向に伸び,同じ方向の開口割れ目が島内で多数発見された.その後12月17日午前から火山性微動が観測され,18日17時23分から19時30分ごろまでA火口でストロンボリ式噴火が発生した.三原山山頂 A火口の噴出物は SiO2 = 52.5~53.2 wt.%程度の斜長石斑晶がやや目立つ輝石玄武岩であったのに対し,割れ目火口 (B,C火口列) からの噴出物は SiO2 = 54.5~67 wt.%の無斑晶状玄武岩質安山岩からデイサイトと広い組成範囲を示し,A火口噴出物との間には化学組成のギャップがある.このことはA火口と B,C割れ目火口それぞれのマグマ溜りが独立していたことを示す (荒牧・藤井,1988).
1987年7月頃から山頂部での地震が増加,元の竪坑状火孔縁に沿った環状噴気が出現した.11月16日10時47分に大音響とともに爆発し,三原山周辺に竪坑状火孔を満たしていた溶岩片が飛散,竪坑状火孔は約30 m陥没した.18日にも噴火し,陥没により直径350~400 m,深さ約150 mの竪坑状火孔が再現した.翌1988年1月25日,27日にも小噴火があった.またこの時期に火口から放出される亜硫酸ガスにより島内の農作物に被害を生じた.1990年4月以降は火山活動が低調になったが,8月中旬から山頂で次第に火山性地震が増加.10月4日未明に小噴火した.この噴火で竪坑状火孔底北側に直径約100 mの陥没孔が形成された.噴出物は既存の火口周辺の岩片で,新鮮なマグマ物質は含まれていなかった.この活動以降2025年まで噴火は確認されていない.
2025年8月現在,三原山周辺で弱い噴気活動が見られるだけで,地震活動は多少の増減があるが低調で,火山性微動もほとんど発生せず,地磁気,噴気など熱異常や比抵抗値変化なども観測されていない.一方,1986年噴火以降,緩やかな山体膨張が続き,特に地震数が増えると山体膨張が加速する傾向が見られる.この緩やかな膨張は地下にマグマが蓄積しているためと考えられるが,2018年頃から膨張は停滞している (気象庁,2025).