盛岡市街地に露出する花崗岩

 盛岡城(不来方[コズカタ]城)は,安土桃山時代に雫石川・北上川の合流地域の花崗岩体の上に築城された.基礎工事で露出した花崗岩の一部は石垣の一部としてそのまま活用された部分も認められる.
 公表されているボーリング資料等(大上ほか,1980など)によると,花崗岩類は盛岡城や盛岡市庁舎付近で現地表面付近にあるが,西部に向かって深度を増し,JR線を越えたあたりで急速に深くなる.盛岡城の築城に伴い,北上川の流路の変更などの土地改良が行われたが,旧河川地域が住宅地として開発されるのは明治時代以降である.江戸時代以降の歴史的な建築物の多くは,盛岡市東部の地表部に花崗岩類が露出する地域を中心に発達している.


図1.盛岡城の石垣の一部として活用された花崗岩類


図2.石割桜 

 花崗岩類(花崗閃緑岩)を割って桜(案内板によるとエドヒガンザクラ)の大木が生長している.これは“石割桜”と呼ばれ,大正12(1923)年に国の天然記念物に指定されている.この桜の開花は盛岡市に春の到来を告げる風物詩の一つである.
[盛岡地方・家庭裁判所]