| 黒倉山山頂部の地熱活動 |
黒倉山山頂部から姥倉山にかけては,裸地が点在し,過去1千年前から地熱活動の活発化による裸地の拡大と,終息に伴う植生の復活が繰り返されてきたことが知られている(土井,2005).明治時代以降の黒倉山周辺の噴気活動の履歴については,現在も調査・検討の途中であるが,以下に概要報告として簡単にまとめる. 明治時代後期[1898(明治31)年] 桜井(1903)は,黒倉山山頂部の噴気活動に関する記載とスケッチを記録している.
姥倉ヶ岳(*)は
西部火口壁中の高峯にして海抜1714mなり,屹立の断崖火口に向い,其頂上には二三の小噴気孔ありて,今なお絶えず少量のガスを噴出せることは,天気晴朗の日に之を望見し得べし(中略)之等二三の噴気孔は大凡東西に並列し暗に地下に存する弱線の方向を示せるものなり
(編者註*;桜井のスケッチは,現在の黒倉山山頂部を姥倉ヶ岳として図示し,裸地と共に噴気を描いている(図1−3参照)が,これは現在の黒倉山山頂部を指している) 桜井の観察によると,黒倉山山頂部の裸地において,噴気が上昇する地点がほぼ東西に配列する2-3箇所から噴気が上昇しするのが遠望された.当時黒倉山に至る登山道が整備されていなかったため,現地調査はできなかったため詳細は不明であるが,桜井が残したスケッチによると,この噴気は岩手火山西方の三ッ石山や薬師岳9合目付近からも遠望できる程度のもので,これが実際の噴煙の規模を忠実に写し取ったものだとすると,当時の噴気活動の規模は,1999年から始まった地熱活動の最盛期と同程度と推定される. 大正〜昭和初期 撮影者ならびに撮影年月日が不明であるが,1930(昭和5)年に出版された地誌「日本地理学大系」には,積雪期に薬師岳山頂部から大地獄谷・黒倉山付近を遠望した写真が掲載されている.噴気は認められないが,黒倉山山頂部だけ積雪が無く,黒色い地表面が露出しているようで,地温が高かったことが推測される. 中央気象台(1935)には,「姥倉ヶ岳頂の噴気は何時とはなく衰えて現在では認められない」と記述されており,1934・35(昭和9-10)年頃には一旦活動が沈静化していたようである.しかし1936(昭和11)年5月11日には,黒倉山山頂の南部からおよそ500mに及ぶ噴気が立ち上ってたことが,報告されており(火山,1937),ふたたご噴気活動が再開したことが判る. 昭和40年代[1968・69(昭和43・44)年] 昭和43(1968)年10月の諏訪らによる観測で87℃の地熱(を観測.鈴木ほかによる.昭和44(1969)年8月の観測では,黒倉山山頂部及び黒倉-姥倉山鞍部で94-95℃の沸点温度の地温を観測している. |
![]() 図1.犬倉山山頂部から眺めた岩手山と黒倉山
桜井(1903)より引用
図中には「姥倉岳」と記されているが,現在の黒倉山を指す.黒倉山山頂部には現在でもほぼ東西に伸びる裸地が広がるが,このスケッチにも植生が無く裸地として描かれている.噴気はその中心域に配列するように描かれている. |
![]() 図2.三ッ石山山頂部からの岩手山の遠望スケッチ
桜井(1903)より引用
図中では「姥倉嶽」と記されているが,これば現在の黒倉山である.噴気の高さは薬師岳の中腹あたりまでの高さにおよぶ. |
![]() 図3.大地獄谷から鬼ヶ城を超える登山道から見た薬師岳および黒倉山
桜井(1903)より引用
黒倉山山頂部には,植生の未発達な地域が広がり,その頂上部付近から噴気が上がっている. |
![]() 図4.薬師岳9合目から西岩手カルデラ内に下る登山道口から眺めた黒倉山
桜井(1903)より引用
黒倉山(スケッチでは姥倉岳とされる)山頂のやや奥手から2本の噴気が上がっている. |
![]() 図5.薬師岳から遠望した黒倉山 1930(昭和5)年発行「日本地理体系」より引用
大正から昭和初期の積雪期に薬師岳から撮影した写真.ほぼ図4と同位置からの展望である.黒倉山の山頂部だけが積雪がなく黒い地肌が露出している.
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![]() 図6.昭和44(1969)年8月の地温観測結果 鈴木ほか(1970)より引用
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