1934-36年(昭和9-11年)の活動


 1934-35(昭和9-11)年にかけて,東岩手−薬師岳山頂部と,西岩手−大地獄谷〜黒倉山付近における噴気活動の活発化についての報告が残されている.それによると,1934(昭和9)年7月頃から,薬師岳山頂部において活動の状態や位置を変えながら噴気活動が活発化した.また,1934(昭和9)年9月末には大地獄谷で噴気の増大が認められたほか,1936(昭和11)年初めには黒倉山付近でも噴気活動が活発化した.

[東岩手;薬師岳の活動] 

 1934(昭和9)年7月ごろから,東岩手-薬師岳火山山頂部(薬師火口)で噴気活動が活発化し始めた.噴気活動は当初,薬師火口縁の東部から顕在化し始めたが,硫気臭は認められなかった.同年12月には妙高岳で硫気臭の認められる噴気活動が活発化し,硫気噴気の活動の中心は1935年4月には,御室火口に遷移した(中田,1935,盛岡測候所,1935).
 この活動に伴い,1934年9月23日午前2時頃,1935年4月10日夕方〜11日朝にかけて数度地鳴りを伴った地震(盛岡の地震計でも記録)が発生した.
 なお,1935年(昭和10年)3月23日に「山頂部から高さ100m程の黒煙が吹き上げた」との新聞報道と学会記事がある(盛岡地方気象台,1972;日本火山学会,1935).伊藤(1999a)はこの記事に対して,盛岡測候所の職員が現地調査を行ったが,噴出物の放出などは確認されず噴気の増大によるものであると判断されたこと(盛岡測候所,1935),また学会記事もこれを受けて訂正された(日本火山学会,1937)ことを示し,1934年に噴火活動は存在しなかったことを指摘している.


図1.噴煙活動が活発な薬師火口東縁部と妙高岳(御室火口)の様子
(岩手日報:昭和10年4月2日掲載)

 地元の登山隊が1935(昭和10)年3月31日に噴煙活動が活発となった薬師岳において噴煙の様子を観察し,地表温度測定および写真撮影を行った.新聞報道(岩手日報昭和10年4月2日記事)によると薬師火口東縁,妙高岳東斜面,御室火口から盛んに噴気が立ち上り,地表温度は92℃であった.

薬師岳における噴気活動の変遷 へのリンク]

[西岩手;大地獄谷の活動]

 中田(1935)には,1934(昭和9)年前後の大地獄谷の噴気活動の様子が,以下のように記述されている.それによると,大地獄谷(大正火口付近)では1934年9月末以降噴気活動の活発化が認められた.

 盛岡測候所(1935)には,大地獄谷大正火口の写真と共に「現在冷水を湛う.付近に噴気盛んなり」との説明文が口絵写真に掲載されている.

大地獄谷の噴気活動の変遷 へのリンク]

[西岩手;黒倉山の活動]

 火山第1集,第3巻第2号の「火山消息及報告」には以下のように,黒倉山の噴気に関する記事が掲載されている.(村山,1978にも採録)

 黒倉山の噴煙
 昭和11年5月11日秋田県岩手県境八幡平にてスキー隊が岩手県岩手郡黒倉(標高1600m) 頂上やや南に面した部分に噴煙するを認む.煙の高500mと報ぜらる.因に黒倉山噴気孔は昭和10年秋より活動期に入れるものであり,それより以前10年春には岩手山中硫黄山*の噴煙が報ぜられている.
[筆者註;一部,現在読みに書き換えた.また硫黄山というのは妙高岳山頂部の南側ピークの別称]