1719年(享保四年)の記録


 享保四年に岩手山が噴火した事を示す記録は,桜井(1903)以降,享保四年に岩手山が噴火し,焼走り溶岩が噴出したと考えられてきた.その根拠となったのは以下の『大沢村旧書記』から採録した以下の記述だけであり,これ以外の噴火記事を見出すことは出来ない.

「享保四己亥正月 岩鷲山麓三ッ森後ニ焼崩 其節沼古内御代官 山屋万二郎殿 川口吉太夫殿 北村清兵殿 御見分ニ御出被成候 尤モ夜の八ッ時御山焼崩申候」

 伊藤(1998a)は,『大沢村旧書記』に記載された年号日付を確認するため,沼宮内代官の在任録を『盛岡藩雑書』に散見される人事異動の記録と対比した.それによると,『大沢村旧書記』に記載された代官と全く同一の人物名を『盛岡藩雑書』から見いだすことができなかった.また,酷似する人物の沼宮内代官所への在任期間(享保十三〜十五年)の『盛岡藩雑書』を検討したが,噴火記事を見いだすことはできなかった.以上より,『大沢村旧書記』の記述の信憑性は薄いと判断でき,1716年(享保四年)に噴火活動が起こったとする明確な証拠は存在しない,と判断した.