元禄二(1689)年に噴火記録として,下記の古記録の存在が指摘されてきた.
『内史略(後3巻107条)』
『田村神社別当斉藤家記録の写し』[岩鷲山御炎焼之事]
伊藤(1998a) は,1)これらはいづれも噴火活動に直接関連した記述ではなく,岩手山の神位の上昇に関する記事であること.2)望月文平らが吉田神祇職家に対し神位を上げる陳情が行われ,それ結果「正一位巖鷲権現」との宗源宣旨が盛岡に到着したのは貞享三年十月三日であること,3)上述の記述内容は貞享三年に望月文平が岩鷲山神位に関する宣旨箱・御幣の奉納に関する京都吉田家の返答([巖鷲山神位之事]に採録)と一致すること,4)望月文平が京都御番所勤めであったのは貞享四年七月までであったこと,5)『盛岡藩雑書』の元禄二年の巻にも岩手山の階位の上奏ならびに噴火活動の記録は認められないことを指摘し,『内史略(後3巻107条)』の記事は年号が誤って記載されたもので,元禄二年に噴火活動の発生を示す記録は存在しない,と判断した.