1998年以降の地震・地殻変動

 岩手火山で1998年3月以降に発生した地震活動の震源位置および活動頻度は,1998年9月3日の岩手県内陸北部地震や1999年以降の地熱活動の活性化と,時間的関連性を持って推移した.
 1998年以降の地震・地殻変動を概説すると,1998年2月中旬頃から,南西山腹の微小地震の回数が増え始めた.3月なると岩手火山の東側でモホ面付近の地震の発生頻度が高まるのに随伴して,南西山腹下10km深未満の地震活動が著しく増加した.
 震源域は徐々に西方に拡大し,6月下旬には三ッ石山付近(「岩手火山地質図」範囲外)にまで到達し,東南東-西南西方向約13kmの範囲内で活発な地震活動が起こった.9月3日には、葛根田川上流を震源として岩手県内陸北部地震(M6.2)が発生し,雫石町北部で震度6弱が記録された。この地震は、雫石町篠崎地区(本図幅外)に、延長約800m最大垂直変位量40cmのほぼ南北走向の地震断層を出現させた。この地震の後,震源域は薬師岳東側〜犬倉山付近に縮小し,日別地震回数も漸減した.
 1999年2-3月頃からは,大地獄谷〜黒倉山・姥倉山周辺を中心として,笹枯れなどの地熱活動が活発化を始めたが,これに呼応するように,岩手山西部の地震活動が再開し,これ以後再び,犬倉山以西の三ツ石山にかけての地域も高周波地震が発生するようになる.


図1.岩手火山における1998年以降の地震回数の変化
盛岡地方気象台(2005)より引用


 図2.岩手火山東側から三ツ石山にかけての地震震源の時空間分布図 
植木(2005)より引用・加筆
縦軸は東経,横軸は年月を示す

 地震震源位置を東西方向に投影し,その時間変化を示されて いる.1998年2月中頃の大地獄谷付近から始まった地震活動は,ステップ状に西方に拡大し6月下旬には三ツ石山にまで広がった.また岩手山東側に対しては,低周波地震の活動は3月頃から始まっていたが,高周波地震が1998年年末にかけて東部に広がる傾向が認められる.
 1998年9月3日の岩手県内陸北部地震は,火山性地震の発生パターンに以下のような影響を与えた.大地獄谷から三ツ石山にかけての地域では9/3以降,低周波地震の発生は観測されなくなる.また,犬倉山から三ツ石山にかけての高周波地震の発生頻度は,1999年3月頃まで一時的に極めて低調になった.一方,大地獄谷付近では,1998年末まで地震活動が一時的に増加した.
 1999年3-4月頃からは,大地獄谷から姥倉−黒倉稜線部を中心に地熱活動が活発化を始め,2000年3月頃まで活発な活動が継続した.この地熱活動に呼応するように,大地獄谷から三ツ石山にかけての地域で地震活動が再開している.


図3.岩手火山の区域毎の地震発生回数の推移(1998〜 2001年)
盛岡測候所(2005)より引用

岩手火山及びその西部地域を東西方向に5つの区域に区分し,地震発生回数の変化が示されたもの.棒グラフは日別の地震回数を示し,日別地震回数の積算が線グラフで示されている.この積算グラフの傾きが地震活動の相対的な活動度を示している.これによると,黒倉山〜姥倉山付近の地震活動は1998年8月頃までは極めて活発であったがそれ以降はやや沈静化したことが分かる.一方,大地獄谷や鬼ヶ城においては地震活動が比較的活発な時期は1998年年末頃まで継続し,薬師岳山頂部では1999年を通して比較的地震活動が活発であったことが示されている.

 以下では,特に地震・地殻変動が活発であった1998年2月から6月頃の観測結果のいくつかを紹介し,この間の地下のマグマの動きについて,研究者がどのように解釈しているかのについて,佐藤・浜口(1999a),浜口(2005)を基に簡単に記す.

■深部(モホ面近く)で発生する低周波地震
 1998年1月以降,マントルと地殻の境界部(深さ30km程度,モホロビチッチの不連続面;略称モホ面と呼ばれる)で低周波の地震活動がこれまでよりも多く起こり始めた.この地震の数は,1998年2月から3月にかけて比較的多くなり,4月頃までは低調な状態で推移したが,4月下旬から急増した.これと,岩手火山浅所の高周波地震の発生回数の変化を比較すると,4月下旬のモホ面地震の急増の数日後に,浅所地震が急増しており,深部と浅部の地震がわずかな時間(1ヶ月程度から1週間で,後ほどタイムギャップが短くなる傾向がある)をおいて関連して発生している(田中ほか,1999).これは,地下深部のマグマの動きが,火道を通して浅部の地震を引き起こしていると解釈されている(浜口,2005).



図4.1997年12月から1998年8月にかけての,地震の累積度数の時間変化
浜口(2005)より引用

モホ面付近の地震活動の活発化が先行し,その後を追うように,岩手火山浅所の地震活動が活発化する傾向が見られる.

■地殻変動の開始(1998年2月15日)
 東北大学が岩手火山東部(焼走り国際交流村付近)の観測用ボーリング孔内に設置した体積歪計は,1998年2月15日から岩手火山山体の膨張を観測し始めた(下図のA).また,その後1998年3月12日からは岩手火山西側(玄武洞)の同じくボーリング孔内に設置した体積歪計が山体の膨張を捉えはじめた.これらの地殻変動の発生に呼応するように,火山性地震の回数が増え,マグニチュードも増大した.これらはマグマが新たな割れ目を作りつつ西方に移動しているものと解釈された(浜口,2005)



図5.岩手火山東部(焼走;YKB),南東部(相の沢;ANS),西部(玄武洞;GNB)に設置された体積歪計と地震活動の時間変化
浜口(2005)より引用

体積歪計による地殻変動の感知の開始が,YKB→ANS→GNBへ,すなわち東部から西部へ遅れて始まっている.地震活動は顕著な山体変動の発生後に活発化する傾向が認められる.

■1998年2月以降のマグマの動き(地殻変動の時間変化に基づく解釈)

 東北大学は岩手火山の山体変動について,GPS,体積歪計,傾斜計よる精密な観測データを取得した.これらの観測データに対して,開口割れ目と球状圧力源の複合モデルによる地殻変動解析を行い,地下のマグマ(およびそれに類する火山性流体)の動きを見守った.その結果,岩手火山の西部三ツ石山の南東〜西南2-3km付近の深さ4kmの球状圧力源と岩手火山直下からその西部にのびる板状の割れ目が存在したと仮定することで,それまでの地殻変動を解釈できる事が示された(図5;佐藤・浜口,1999a).




図6.1998年2月1日〜8月31日の地殻変動の複合変動源モデル  
佐藤・浜口(1999a) より引用

左側に歪・傾斜径の観測値と解釈モデル,GPS観測値(植木ほか,1999)と解釈モデル,東西断面と解釈モデル.黒四角はほぼ東西に伸張する開口モデルの深さと大きさ,星印は球状圧力源の位置を示す.

 浜口(2005)は,岩手火山直下から西方への地震活動域の拡大はステップ状に起こることを指摘すると共に,低周波地震の活発化との関係から,火山活動の経過と共にマグマが地下浅所でどのように移動していったのかを推測した.それによると,まず山頂から鬼ヶ城付近の地下に開口割れ目が開き(1998年2月14日〜3月19日;図6のA),その割れ目が黒倉山から姥倉山付近に広がった後(3/19-20;同B),低周波地震が発生するという活動パターンを見いだした.しかも,この活動パターンは3/25〜4/25(岩手火山直下の開口;図6のD)と4/23〜29(西方への拡大;図6のE)に繰り返したと考えられた.浜口等は,これらは山頂深部から浅部へのマグマの上昇・貫入の後,側方(西方)への貫入・流動が繰り返し発生したことによって生じたと解釈している.



図7.1998年2月〜1999年6月の間に推定された地殻変動圧力源  
浜口(2005)より引用

 長方形は開口割れ目,黒丸は球状圧力源を示す.山頂直下の火道を通って深部から浅所に貫入したマグマが,浅所で西方に割れ目を作りながら貫入していくパターンを繰り返した.


図8. 1998年2月から6月にかけての,地震活動と開口割れ目の時空分布  
浜口(2005)より引用

 白丸は高周波地震,星印は低周波地震.岩手火山山頂直下の貫入後(A),西部に開口割れ目が広がり,その後,姥倉−黒倉地域で低周波地震が発生するパターンの繰り返しが認められる.