{"ok":true,"version":"1.1.0","license":"https://www.gsj.jp/license/license.html","attribution":"出典：産業技術総合研究所 地質調査総合センター「GSJ 地質図幅凡例データセット」","lang":"ja","type":"LegendFacies","id":"m1139_f049","@id":"https://gbank.gsj.jp/ld/resource/zfk/facies/m1139_f049","geom":{"uri":"https://gbank.gsj.jp/ld/resource/zfk/units/m1139_f049/geom","geojson_url":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/units_geojson/m1139_f049.geojson","centroid":null,"bbox":null},"map":{"type":"LegendMap","map_id":1139,"@id":"https://gbank.gsj.jp/ld/resource/zfk/maps/m1139","sheet_code":"G50_08_050","series":"地域地質研究報告 5万分の1地質図幅","title_ja":"青梅地域の地質","title_en":"Ome","author":["植木岳雪","酒井彰"],"authors":[{"name_display":"植木岳雪","name_ja":"植木岳雪","name_en":"Takeyuki UEKI","name_alt":["Takeyuki UEKI"]},{"name_display":"酒井彰","name_ja":"酒井彰","name_en":"Akira SAKAI","name_alt":["Akira 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概要及び研究史</h1><p>関東ローム層は，関東平野の丘陵，台地を覆う黄褐色，赤褐色，茶色のシルト質火山灰土であり，その中にはスコリア層，軽石層などのテフラ，暗色の埋没土層が挟まれる．関東ローム層はBrauns（1881），ブラウンス（1882）によってその粒度から“ローム”と呼ばれ，鈴木（1888）によって西方の火山に由来する火山灰土であるとされた．また，“赤上”，“野土”，“壌土”などとも呼ばれ，1930年頃からは地層名，物質名として“関東ローム”と呼ばれるようになった．脇水（1918c，1927），東木（1933），西尾（1937）は関東ロームを水成層と考えたが，中尾（1929，1931a，b，1932a，b，1937，1940），Tsuya（1931，1939），津屋（1939），久野（1936），原田（1943）などの鉱物学，堆積学，土壌学的な研究によって，関東ローム層は風成の火山灰を母材とする古土壌であることが明らかになった．1960年代までの関東ロームの研究については，貝塚（1954），貝塚・石房（1954），多田（1954），ローム団研グループ（1955），関東ローム研究グループ（1965）にまとめられている．関東ローム層の土質工学的特徴は竹中（1965，1968），高速道路調査会（1973），理化学特性は菅野ほか（1952），町田・川地（1969），東京都農業試験場（1978）に詳しい．関東ローム層中の強磁性鉱物については，青柳（1970）の報告がある．</p><p>従来の研究の関東ローム層の層序区分は，以下のようにまとめられる．関東平野の丘陵，台地は，古い地形面ほど古いローム層に覆われ，それらが累積した結果古い地形面上ほどローム層の層厚は大きくなる（貝塚・戸谷，1953）．関東ローム層は，貝塚（1953）により箱根東京テフラ（Hk-TP：町田・新井，1992）の下で2分されたが，関東ローム研究グループ（1956）は関東ローム層を層群とし，多摩面，下末吉面，武蔵野面，立川面を覆うローム層として，それぞれ多摩ローム層，下末吉ローム層，武蔵野ローム層，立川ローム層の4累層に分けた．関東地方南部の多摩ローム層は各地域で細分されているが（例えば，皆川，1968-1969；関東第四紀研究会，1970，1974；皆川・町田，1971；町田ほか，1974；上杉，1976；岡ほか，1984；岡，1985，1991），一般には羽鳥・成瀬（1957），羽鳥・寿円（1958a）の多摩1面，多摩2面を覆うローム層として，それぞれ多摩Iローム層，多摩IIローム層に大別される（町田ほか，1974）．また，下末吉ローム層は3部層に分けられる（町田，1969）．立川ローム層は4部層に分けられ，最上部50cmの赤みに富みクラックが発達する部層は青柳ローム層とも呼ばれる（関東ローム研究グループ，1965）．各ローム層の境界は以下のとおりである．多摩Iローム層と多摩IIローム層の境界は，多摩ゴマシオ1テフラ（Gol：町田・新井，2003）の基底（町田ほか，1974），多摩IIローム層と下末吉ローム層の境界は三色アイス軽石層（SIP：Kobayashi et al.，1968）の直下のクラック帯の基底である（町田，1971）．下末吉ローム層と武蔵野ローム層の境界はHk-TPの約1m下位のチョコレート色のクラック帯の上面であり（関東ローム研究グループ，1956），武蔵野台地南部の箱根三浦テフラ（Hk-MP：町田・新井，1992）の分布域ではその20～30cm下位にあたる（Kobayashi et al.，1968；町田，1971）．武蔵野ローム層と立川ローム層との境界は，地表から深度3～4mにある栗色のクラック帯の上面である（関東ローム研究グループ，1956，1965；町田，1971）．武蔵野台地では，その境界は立川ローム層中の2枚の暗色帯の中で下位のもの（第2暗色帯）から約70cm下位にある．武蔵野ローム層と立川ローム層の境界の問題点については，羽鳥（1993）のまとめがある．</p><p>ローム層間の不整合関係，その間に段丘，埋没土が形成されたこと，層相，鉱物組成の変化などから，各ローム層の堆積には時間間隙があるとされ（貝塚，1953，1958；関東ローム研究グループ，1956，1958），それは1～10万年オーダーとされた（関東ローム研究グループ，1965）．しかし，各ローム層は基本的に整合関係であり，部分的な斜面堆積のため不整合関係になることが明らかにされた（Kobayashi，1965；Kobayashi et al.，1968；町田，1971；皆川・町田，1971）．このため各ローム層の境界に層序学的な意味はないが，関東ローム層を多摩ローム層，下末吉ローム層，武蔵野ローム層，立川ローム層に細分し記載することは，現在まで一般に行われている．</p><p>本報告では，従来の関東ローム層の層序区分に従い，多摩ローム層，下末吉ローム層，武蔵野ローム層，立川ローム層，腐植土層に区分する．なお，関東ローム層を地質図に表現すると，丘陵，台地のほとんどは関東ローム層に区分されてしまい，それに覆われる地層が表現できないため，本報告では関東ローム層を断面図のみに示す．また，以下の記載に出てくる段丘面，段丘礫層は，第8章，第9章で詳しく述べる．</p></div><div id=\"sec-7-2\" class=\"section\" data-lv=\"2\" tabindex=\"-1\"><h1>7.2 多摩ローム層</h1><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"地層名\" tabindex=\"-1\"><h2>地層名</h2><p>関東ローム研究グループ（1956）による．加治丘陵，狭山丘陵，加住丘陵では多摩粘土層（羽鳥・寿円，1954），狭山丘陵全体では所沢粘土層（福田，1952；藤本・福田，1954；藤本ほか，1954；寿円，1956），狭山丘陵北縁では大里ローム層（渋谷，1983），狭山ローム層（早稲田大学所沢校地文化財調査室，1991；清水・堀口，1994；埼玉県，1999），加住丘陵南東部では稲荷坂ローム層（多摩地学会，1957）に相当する．所沢粘土層の細粒相は南矢作粘土層，凝灰質相は宅部浮石層と呼ばれる（福田，1952；藤本・福田，1954；藤本ほか，1954；寿円，1956）．羽鳥・寿円（1958b），寿円（1958，1961a）は，日野台地を覆う多摩IIローム層最上部より上位のローム層全体を日野ローム層と呼んだ．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"模式地\" tabindex=\"-1\"><h2>模式地</h2><p>東京西南部図幅内の川崎市多摩区枡形の多摩丘陵の斜面（関東ローム研究グループ，1956）．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"分布\" tabindex=\"-1\"><h2>分布</h2><p>加住南丘陵南東部に広く分布する．また，加治丘陵東端の阿須山面，加住北丘陵東端の美根面，狭山丘陵の狭山面上，武蔵野台地，日野台地の所沢面上に分布する．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"層序\" tabindex=\"-1\"><h2>層序</h2><p>多摩Iローム層と多摩IIローム層に細分される．多摩Iローム層，多摩IIローム層は，加治丘陵東端の豊岡層，狭山丘陵の芋窪層，加住北丘陵東端の美根層を覆う．そして，多摩IIローム層中部から武蔵野ローム層は堆積後に削剥されており，多摩IIローム層下部は立川ローム層に覆われる．武蔵野台地では多摩IIローム層最上部は所沢層を覆い，下末吉ローム層に覆われる．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"層厚\" tabindex=\"-1\"><h2>層厚</h2><p>阿須山面上では多摩Iローム層の層厚は5m以下である．美根面上では多摩I，IIローム層の層厚は15m以上である．加住南丘陵南東部の八王子市みつい台から石川町の斜面上では，多摩ローム層の層厚は20m以上である．狭山丘陵北部の入間市宮寺から所沢市山口，狭山丘陵東部の所沢市上山口から東大和市諏訪町，東大和市湖畔から廻田町では，狭山面上の多摩ローム層の層厚は30m以上である．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"層相\" tabindex=\"-1\"><h2>層相</h2><p>こげ茶色の火山灰土からなり，貝塩上宝テフラ（KMT：鈴木，2000e），八王子黒雲母軽石層（HBP：皆川・町田，1969，1971）の2枚の中部山岳起源の広域テフラと，給源が不明な多数の軽石質テフラを挟む（関東ローム研究グループ，1965；皆川・町田，1971；町田，1973，2004；町田ほか，1974；渋谷，1983；岡・宇野沢，1989；大森，1989；竹越，1991；加藤，1991a；清水・堀口，1994；会田，1997；関東火山灰グループ・関東平野西縁丘陵団体研究グループ，1998；鈴木ほか，1998；Machida, M., 1999；関東火山灰グループ，2001）．多摩ローム層は全体に風化が進んでおり，下末吉ローム層以上よりも固く，クラックが発達する．多摩ローム層中のテフラは川越図幅内の日高市上鹿山で詳しく記載されたが（関東ローム研究グループ，1965；皆川・町田，1971；町田，1973；町田ほか，1974；清水・堀口，1994；関東火山灰グループ，2001など），現在では露頭が見られない．本図幅内では，一般に多摩IIローム層の中部～上部は欠落しているが，狭山丘陵北東部の所沢市荒幡では，かつて層厚約3mの多摩Iローム層上部と層厚約12mの多摩IIローム層が見られた（大森，1989；竹越，1991）．現在は，狭山丘陵北部の入間市宮寺の埼玉県立狭山自然公園南（付図の地点111付近）で層厚20m程度の多摩Iローム層，層厚約5mの多摩IIローム層下部が見られ，その中に挟まれるテフラが確認できる（第7.1図：鈴木ほか，1998）．狭山丘陵の多摩ローム層の鉱物組成は，東村山市（1971），関東火山灰グループ（2001）に示されている．</p><p>武蔵野台地の所沢面上では，SIPの下位の層厚1～1.5mの多摩IIローム層最上部が所沢層を覆う（守屋，1970b，1971；守屋・堀木，1970a；杉原，1970a；町田，1971；岡ほか，1971；杉原ほか，1971a，b，1972；加藤・新堀，1973；町田，1973，2004；竹越，1991；Machida, M., 1999）．それは，東京西北部図幅内の所沢市本郷の所沢面の段丘崖（付図の地点142）で確認できる．</p><div class=\"image-holder overview-landing-limg\" id=\"F7.1\"><a href=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1139/image/1139_0091-0001.png\" target=\"_blank\" class=\"fig-open-link\"><img class=\"halfsize\" loading=\"lazy\" decoding=\"async\" src=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1139/image/1139_0091-0001.png\"></a><div class=\"figures-tables-support-txt\"><h6><span class=\"fig-label\">第7.1図</span> 狭山丘陵北西部の多摩Iローム層と多摩IIローム層中のテフラ</h6><p>鈴木ほか（1998）による．本図の地点1〜4は，狭山丘陵北部の入間市宮寺の埼玉県立狭山自然公園南</p></div></div></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"指標テフラ\" tabindex=\"-1\"><h2>指標テフラ</h2><p>本図幅内の多摩Iローム層には，下位からKMT，HBPの2枚の広域テフラが挟まれる．飯島・田口（1964）の関東平野西縁の丘陵を覆う黒雲母浮石層は，KMT，HBPのいずれかと思われる．KMTは多摩Iローム層の下部に挟まれ，黒雲母密集帯（皆川・町田，1971；町田ほか，1974），BP（町田，1973），Biol（清水・堀口，1994），C1（関東火山灰グループ・関東平野西縁丘陵団体研究グループ，1998；関東火山灰グループ，2001）と呼ばれる軽石質テフラである．その給源は飛騨山脈南部であり，年代は69～58万年前（鈴木，2000e），約62万年前（中里，2006）である．本図幅内では軽石の径は数mmで著しく風化している．斑晶鉱物として黒雲母と石英を含む．加治丘陵東端の阿須山面上では多摩Iローム層の基底にKMTが挟まれるとされるが（清水・堀口，1994），本報告では未確認である．</p><p>HBPは多摩Iローム層上部に挟まれ，TE-5（町田ほか，1974），Bio2（清水・堀口，1994），Tama116（関東火山灰グループ，2001）と呼ばれる軽石質テフラで，飛騨山脈南部を給源とする大町Apmテフラ群（APm）に対比される（鈴木・早川，1990）．その年代は，40～30万年前である（吉川ほか，1990；鈴木・早川，1990；町田，1996；鈴木ほか，1998；Machida, H., 1999；Machida, M.，2000）．本図幅内では軽石の径は数mmで著しく風化している．斑晶鉱物として黒雲母，角閃石，石英を含む．程久保第2軽石（皆川・町田，1971；鈴木ほか，1998でHdP-2と略記），八王子第1軽石（皆川・町田，1971；鈴木ほか，1998でHcP-1と略記）は，それぞれ多摩Iローム層中部，上部中にあり，それらのFT年代は0.40±0.17Ma，0.64±0.23Maである（鈴木ほか，1998）．加住北丘陵東端の美根面上では多摩Iローム層の基底に程久保軽石（皆川・町田，1971）が挟まれるとされるが（倉川・間島，1982），それが3枚の軽石層のいずれかは不明である．</p><p>多摩IIローム層下部にはおし沼（鴛鴦沼）軽石群（皆川・町田，1971）を構成するGo1，Go2の2枚の軽石質テフラが挟まれるが，本報告では未確認である．Go1は，ゴマ塩軽石層（関東ローム研究グループ，1960），ゴマシオ第1軽石層（GoP1：皆川・町田，1971），Go2はゴマシオ第2軽石層（GoP2：皆川・町田，1971）と呼ばれる．Go1は房総半島の薮層（坂倉，1935）中のYb5（徳橋・遠藤，1984）に対比されるが（杉原ほか，1978），会田（1997）はGo2とYb5を対比している．またGo1は長野県南部，八ヶ岳山麓の黒雲母含有軽石と対比されている（新井，1972）．Go1，Go2のFT年代はそれぞれ0.36±0.16Ma，0.27±0.12Maである（鈴木ほか，1998）．狭山丘陵北東部の所沢市荒幡では，多摩IIローム層中部に登戸軽石群（皆川・町田，1971）を構成するドーラン（関東ローム研究グループ，1960；岡，1985でDPと略記），バヤリース（関東ローム研究グループ，1960；岡，1985でBPと略記），ウワバミ（鶴見・大村，1966；町田ほか，1974でUPと略記）の3枚の軽石質，スコリア質テフラが挟まれるが（大森，1989；竹越，1991），本報告では未確認である．DPは登戸浮石I（羽鳥・寿円，1958a；皆川・町田，1971），登戸軽石I（NP-I：町田，1973；町田ほか，1974），T2u-1（高野，1987）と呼ばれ，下部は黄色の軽石層，上部は青色のスコリア層からなる．大磯丘陵のF5（遠藤・上杉，1972），TCu-1（町田ほか，1974），Tm-2（上杉，1976），横浜地域の本ガラ（関東第四紀研究会，1972），Mk-2（町田ほか，1974）に対比される（町田ほか，1974）．また，下部の軽石層は房総半島の上泉層（三土，1937）中のKm2（徳橋・遠藤，1984）に対比され（中里・佐藤，1988），上部のスコリア層は清川層（植田，1930）のKy2，Ky3（徳橋・遠藤，1984）に対比される（関東火山灰グループ・東京港地下地質研究会火山灰グループ，2000）．BPは登戸浮石II（羽鳥・寿円，1958a；皆川・町田，1971），登戸軽石II（NP-II：町田，1973；町田ほか，1974），T2u-4（高野，1987）と呼ばれ，大磯丘陵のハムパミス（遠藤・上杉，1972），TB-1（町田ほか，1974），Tm-8（上杉，1976）に対比される（町田ほか，1974）．また，房総半島の清川層のKy3.9，Ky4に対比される（関東火山灰グループ・東京港地下地質研究会火山灰グループ，2000）．UPはTAm-5（町田ほか，1974）と呼ばれ，大磯丘陵のTu-8（上杉，1976）に対比される．大磯丘陵，房総半島における層位から，DP，BP，UPは，それぞれMIS8，MIS7.5あるいは7.3，MIS6と推定される（町田・新井，2003）．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"年代\" tabindex=\"-1\"><h2>年代</h2><p>KMT，UPの年代から，本図幅内に分布する多摩Iローム層，多摩IIローム層の年代は70-15万年前である．また，後述のSIPの年代から，所沢面上の多摩IIローム層最上部の年代は14-12.5万年前である．</p></div></div><div id=\"sec-7-3\" class=\"section\" data-lv=\"2\" tabindex=\"-1\"><h1>7.3 下末吉ローム層</h1><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"地層名\" tabindex=\"-1\"><h2>地層名</h2><p>関東ローム研究グループ（1956）による．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"模式地\" tabindex=\"-1\"><h2>模式地</h2><p>東京西南部図幅内の横浜市鶴見区下末吉の下末吉面の段丘崖（関東ローム研究グループ，1956）．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"分布\" tabindex=\"-1\"><h2>分布</h2><p>武蔵野台地，日野台地の所沢面，成増面，小平面上に分布する．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"層序\" tabindex=\"-1\"><h2>層序</h2><p>武蔵野台地の金子台，所沢台では，SIPを基底に挟む下末吉ローム層全体が所沢層を覆う（赤土研究グループ，1959；寿円，1966；守屋，1970b，1971；守屋・堀木，1970a；杉原，1970a；町田，1971；岡ほか，1971；杉原ほか，1972；加藤・新堀，1973；町田，1973，2004；大井町，1985；Machida, M., 1999）．武蔵野台地北縁，日野台地北端では，御岳第1テフラ（On-Pm I：Kobayashi，1960）以上の下末吉ローム層中部―上部が成増層を覆う（黒田ほか，1972；角田，1980，1981c，d，1982d，2001a：町田，1984；青梅市，1995）．武蔵野台地南部では，基底から50-80cm上位に箱根小原台テフラ（Hk-OP：町田・新井，1992）を挟む下末吉ローム層上部が小平層を覆う．いずれも，下末吉ローム層は武蔵野ローム層に覆われる．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"層厚\" tabindex=\"-1\"><h2>層厚</h2><p>所沢面上の下末吉ローム層全体の層厚は，武蔵野台地の金子台，所沢台で2-6.5m（赤土研究グループ，1959；関東ローム研究グループ，1965；岡ほか，1971；杉原ほか，1972；加藤・新堀，1973；町田，1973，2004；Machida, M., 1999），日野台地では2-6mである．成増面上の下末吉ローム層の層厚は日野台地では約5mであるが（町田，1984），武蔵野台地では従来の研究の柱状図には下末吉ローム層，武蔵野ローム層，立川ローム層が区分されていないので，下末吉ローム層の層厚は不明である．小平面上の下末吉ローム層上部の層厚は約2mである（岡ほか，1971）．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"層相\" tabindex=\"-1\"><h2>層相</h2><p>こげ茶色の火山灰土からなり，SIP，親子パミス（OyP，OyP'：皆川，1968-1969），On-Pm I，Hk-OPの4枚の広域テフラを挟む．下末吉ローム層中には，SIPの直下，On-Pm IとHk-OPの中間にクラックが発達する埋没土層があり，それぞれ下末吉埋没土層（SB），小原台埋没土層（OB）と呼ばれている（町田，1971）．また，武蔵野ローム層との境界のクラックが発達する埋没土層は，武蔵野埋没土層（MB）と呼ばれている（町田，1971）．東京西北部地域内の所沢市本郷の所沢面の段丘崖（地点142）では，SIP，On-Pm Iが確認できる（第8.9図）．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"指標テフラ\" tabindex=\"-1\"><h2>指標テフラ</h2><p>本図幅内の下末吉ローム層には，SIP，On-Pm I，Hk-OPの3枚の広域テフラが挟まれる．武蔵野台地では，親子パミスは不明瞭である（杉原，1969；加藤・新堀，1973）．SIPは下末吉ローム層の基底に挟まれる雑色軽石層（Kobayashi，1965）と呼ばれる軽石質テフラで，その下部はSP2（関東第四紀研究会，1970），上部はピンクパミス（町田・森山，1968），SP14（関東第四紀研究会，1970）と呼ばれる．SIPの下部は町田（1971）の箱根火山起源のHk-Klp6～9のうちのいくつかの軽石層に，上部はHk-Klp13に対比される（町田，1971；新井ほか，1977；岡・宇野沢，1989）．SIPはMIS5eの海成層の直上を覆うことから（Kobayashi，1965；Kobayashi et al., 1968；町田，1971；杉原ほか，1972），その年代は約12.5万年前と考えられる．</p><p>OyP，OyPは，それぞれ吉沢C，D軽石（町田・森山，1968），SP10，SP11（関東第四紀研究会，1970），Hk-KmP6，Hk-KmP7（町田，1971；町田・新井，1992）と呼ばれる軽石質テフラである．下位の箱根吉沢中部1テフラ（Hk-KmP1；町田，1971；町田・新井，1992）が三浦半島のMIS5dの海成段丘面（引橋面：町田・鈴木，1971）の直上を覆うことから，親子パミスの年代はMIS5d～5cと判断される．</p><p>On-Pm Iは下末吉ローム層の中部にあり，SP（Kobayashi，1965），御岳火山第一浮石層（小林ほか，1967），SP13（関東第四紀研究会，1970）と呼ばれる中部地方の御岳火山起源の軽石質テフラで，その年代は約10万年前である（町田・新井，2003）．渋谷ほか（1968）が金子台，所沢台で報告したUPはOn-Pm Iと思われる．</p><p>Hk-OPは下末吉ローム層の上部にあり，小原台浮石（走水グループ，1965），藤沢軽石（関東ローム研究グループ，1965），クリヨーカン軽石（Kobayashi et al.，1968），白パミス（町田・森山，1968），SP14（関東第四紀研究会，1970），小原台軽石（町田，1971）と呼ばれる箱根火山給源の軽石質テフラで，その年代は8.5-8万年前である（町田・新井，2003）．本報告ではHk-OPは未確認である．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"年代\" tabindex=\"-1\"><h2>年代</h2><p>SIP，Hk-OPの年代から，下末吉ローム層の年代は12.5-7万年前と考えられる．</p></div></div><div id=\"sec-7-4\" class=\"section\" data-lv=\"2\" tabindex=\"-1\"><h1>7.4 武蔵野ローム層</h1><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"地層名\" tabindex=\"-1\"><h2>地層名</h2><p>関東ローム研究グループ（1956）による．狭山丘陵北部の新期ローム層の下部（早稲田大学所沢校地文化財調査室，1989，1991）に相当する．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"模式地\" tabindex=\"-1\"><h2>模式地</h2><p>東京西南部図幅内の世田谷区岡本の段丘崖（関東ローム研究グループ，1956）．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"分布\" tabindex=\"-1\"><h2>分布</h2><p>武蔵野台地，日野台地の所沢面から空堀川面の上に分布する．また，加住南丘陵南東部の斜面の一部の上に分布する（関東ローム研究グループ，1958）．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"層序\" tabindex=\"-1\"><h2>層序</h2><p>所沢面，成増面，小平面上では下末吉ローム層を覆う．赤羽面上では基底から70-180cm上位にHk-TPを挟む武蔵野ローム層全体が赤羽層を覆う（貝塚・戸谷，1953；寿円，1956，1966；関東ローム研究グループ，1956；岡ほか，1971；杉原ほか，1972；羽鳥，1981；飯田，1984）．中台面上では，Hk-TPを基底に挟む武蔵野ローム層中部～上部が中台層を覆う（寿円，1966；杉原ほか，1972）．黒目川面，久米川面上では，それぞれHk-TPより上位の武蔵野ローム層中部～上部が黒目川層，久米川層を覆うはずであるが，未確認である．空堀川面上では，箱根中央火口丘5テフラ（Hk-CC5：町田・新井，1992）を基底に挟む武蔵野ローム層上部が黒目川層を覆う（羽鳥ほか，1983）．いずれの場合も，武蔵野ローム層は立川ローム層に覆われる．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"層厚\" tabindex=\"-1\"><h2>層厚</h2><p>赤羽面上の武蔵野ローム層全体の層厚は武蔵野台地では約5mであるが（関東ローム研究グループ，1956），日野台地では従来の研究の柱状図には下末吉，武蔵野，立川ローム層が区分されていないので不明である．同様に，中台面，黒目川面，久米川面の上の武蔵野ローム層の層厚も不明である．空堀川面上の武蔵野ローム層の層厚は約1.5mである（羽鳥ほか，1983）．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"層相\" tabindex=\"-1\"><h2>層相</h2><p>茶色の火山灰土からなり，Hk-TP，Hk-CC5の2枚の広域テフラを挟む．武蔵野台地では，Hk-TPの上位にクラックが発達する4枚の埋没土層がある（関東ローム研究グループ，1965；寿円，1966）．加住南丘陵南東部では，Hk-TPを挟む層厚3-5mの武蔵野ローム層が加住層を覆う（関東ローム研究グループ，1958）．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"指標テフラ\" tabindex=\"-1\"><h2>指標テフラ</h2><p>HK-TPは東京浮石土（原田，1933，1943），東京浮石層（貝塚・戸谷，1953），東京軽石（町田・森山，1968）と呼ばれる箱根火山起源の軽石質テフラであり，本図幅内では層厚10-20cmで普遍的に見出される．その年代は6.5-6万年前（町田・新井，2003）である．Hk-CC5はCC5（Kuno，1950），BCVA，青色火山灰密集層（皆川，1968-1969；町田ほか，1971；上杉，1976），CCP5（新井ほか，1977；森・山口，1979），Y-94（上杉ほか，1980，1983）と呼ばれる箱根火山起源の岩片質テフラである．東京西北部図幅内の東久留米市，和光市周辺のみで見出されている（羽鳥ほか，1983；加藤，1993）．小林（1999）は，Hk-TPの年代を5.2万年前としてHk-CC5の年代を3.9万年前と見積もったが，最近の姶良Tnテフラ（AT：町田・新井，1976），Hk-TPの年代はそれぞれ2.9-2.6万年前，6.5-6万年前である（町田・新井，2003）．そこで，Hk-TPとATの間のローム層の堆積速度を一定とすると，Hk-CC5の年代は4.6-4.4万年前に修正される．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"化石\" tabindex=\"-1\"><h2>化石</h2><p>武蔵野ローム層下部から立川ローム層上部では，最終氷期の気候変化とよく対応した植物珪酸体群集の変動が見られる（佐瀬ほか，2006）．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"年代\" tabindex=\"-1\"><h2>年代</h2><p>本図幅内では武蔵野ローム層基底にHk-MPは見出されないが，その下位の箱根安針テフラ（HK-AP：町田・新井，1992）の年代（約7万年前：町田・新井，2003），上位のHk-TPの年代（6.5-6万年前）に基づくと，Hk-MPの年代は7-6.5万年前となる．したがって，Hk-MPとHk-CC5の年代から武蔵野ローム層の年代は7-4万年前と考えられる．</p></div></div><div id=\"sec-7-5\" class=\"section\" data-lv=\"2\" tabindex=\"-1\"><h1>7.5 立川ローム層</h1><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"地層名\" tabindex=\"-1\"><h2>地層名</h2><p>関東ローム研究グループ（1956）による．国分寺市では国分寺ローム層，多喜窪ローム層（近藤・岡田，1956），狭山丘陵北部では新期ローム層の上部（早稲田大学所沢校地文化財調査室，1989，1991）に相当する．立川ローム層最上部（青柳ローム層）は，東京西北部図幅内の中野区江古田の江古田層中のローム層（第IV層）に対比されている（関東ローム研究グループ，1965）．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"模式地\" tabindex=\"-1\"><h2>模式地</h2><p>東京西南部図幅内の世田谷区岡本の段丘崖（関東ローム研究グループ，1956）．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"分布\" tabindex=\"-1\"><h2>分布</h2><p>山地，丘陵の一部と，沖積段丘面より新しい地形面を除くほとんどの場所に分布する．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"層序\" tabindex=\"-1\"><h2>層序</h2><p>所沢面から空堀川面上では武蔵野ローム層を覆う．立川1面上では，基底から0.3-1.5m上位に第2暗色帯（BB-II：小林ほか，1971；TB-II：町田ほか，1971）を挟む立川ローム層全体が立川1層を覆う（松田・大倉，1988；大倉ほか，1988；松田ほか，1990；松田，2001）．立川2面上では，基底にTB-IIを挟む立川ローム層中部～上部が立川2層を覆う．青柳面，不老面の上では，立川ローム上部ガラス質テフラ（UG：山崎，1978）を挟む第1暗色帯（BB-I：小林ほか，1971；TB-I：町田ほか，1971）以上の立川ローム層最上部が，それぞれ青柳層，不老層を覆い，それは特に青柳部層（羽鳥ほか，1962），青柳ローム層（寿円，1966）と呼ばれる．いずれの場合も，立川ローム層は腐植土層に覆われる．山地，丘陵の斜面上では，秩父帯，四万十帯，鮮新統及び下部更新統，多摩ローム層を覆う．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"層厚\" tabindex=\"-1\"><h2>層厚</h2><p>立川1面上の立川ローム層全体の層厚は約3.5mである（町田ほか，1971）．立川2面上の立川ローム層中部～上部の層厚は，武蔵野台地では一般に約2mであるが（関東ローム研究グループ，1956），場所によって0.5-3mで異なる．また，秋留台地では0.5-2m（沢辺，1956；角田，1981a，1986b，1993；秋川市，1983，1984），日野台地南縁では約2.5m（土屋，1989），加住丘陵南の川口川両岸では最大5-6mである（藤本ほか，1962；椚，1995）．青柳面，不老面上の立川ローム層最上部の層厚は，武蔵野台地では25-55cm（町田，1973；山崎，1978），秋留台地では20-40cm（秋川市，1983，1984；角田，1986b；国分・中山，1996），日野台地南東縁では約70cm（土屋，1989）である．また，日野台地南東縁，加住丘陵南方の川口川左岸では5-6mとされ（藤本ほか，1962；竹迫ほか，1984；椚，1995），他の地域に比べて層厚が大きい．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"層相\" tabindex=\"-1\"><h2>層相</h2><p>黄褐色，赤褐色の火山灰土からなり，AT，UGの2枚の広域テフラを挟む．その最上部（青柳ローム層）はスコリア質で赤色が濃く，クラックが発達している．下位のローム層と比べて軟らかいことから，ソフトロームと呼ばれる（関東ローム研究グループ，1965）．</p><p>武蔵野台地では，一般に1～2枚の埋没土層（暗色帯）がはさまれる（貝塚・戸谷，1953；石原ほか，1954；関東ローム研究グループ，1956，1965；近藤・岡田，1956；戸谷，1956，1962；戸谷・貝塚，1956；貝塚，1958；赤土研究グループ，1959；黒部，1960a，b；Kanto Loam Research Group，1961；榎本・松井，1962；Toya，1962；寿円，1966；小林ほか，1971；町田ほか，1971；杉原ほか，1972；加藤・新堀，1973；町田，1973；宇津川ほか，1980；松田・大倉，1988；大倉ほか，1988；松田ほか，1990；石川・KKパレオ・ラボ，1999；松田，2001：石川，2002b）．2枚の暗色帯は下位から第2暗色帯，第1暗色帯と呼ばれ，それぞれTB-II，TB-I（町田ほか，1971），BB-II，BB-I（小林ほか，1971）と称される．秋留台地の立川ローム層中の暗色帯の<sup>14</sup>C年代は，17,000±400yrs BPである（角田，1993）．狭山丘陵北部の立川ローム層最上部の腐植の<sup>14</sup>C年代は，1.3-1.2万年前である（早稲田大学所沢校地文化財調査室，1989）．また，本図幅外の武蔵野台地上の立川ローム層中の暗色帯からは，3.2-1.6万年前の<sup>14</sup>C年代が得られている（松井ほか，1968；Kigoshi et al.，1969；町田，1970；町田ほか，1971；杉原，1983；坂上，1988；小疇ほか，1993）．立川ローム層の鉱物組成，理化学組成は，坂上ほか（1978），松田・大倉（1988，1989），坂上（1988）に示されている．</p><p>武蔵野台地の下末吉，武蔵野，立川ローム層中のいくつかの層準ではテフラの波状の擾乱帯がしばしば認められ，波状帯と呼ばれている（鈴木ほか，1964；町田，1971；杉原，1983；加藤，1993）．その中で最も顕著な擾乱帯は武蔵野ローム層と立川ローム層の境界の層準にあり，それは最終氷期の極相に近いことから，周氷河作用によると解釈された（町田，1971；貝塚，1979）．しかし，上本（1989）は，相模野台地の波状帯の成因を地震時のテフラの液状化としている．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"指標テフラ\" tabindex=\"-1\"><h2>指標テフラ</h2><p>立川ローム層には，下位からAT，UG，青柳スコリア（竹迫ほか，1984）が挟まれる．ATは丹沢パミス（上杉，1976），TNP-I，Y-118（上杉ほか，1980，1983；上杉，1990）と呼ばれる南九州の姶良（あいら）カルデラ起源のガラス質テフラであり（町田・新井，1976），その年代は2.9-2.6万年前である（町田・新井，2003）．一般に肉眼では確認できないが，TB-IIとTB-Iの間に挟まれる火山ガラスの密集帯として認められる（貝塚，1958；戸谷，1962；町田ほか，1971）．UGはTnP-III（上杉ほか，1980，1983），AS23-25（上杉，1990）と呼ばれる浅間火山起源のガラス質テフラであり（山路ほか，1982；鈴木ほか，1987；鈴木，1991），一般に肉眼では確認できないが武蔵野ローム層最上部中の火山ガラスの密集帯として認められる．その年代は，狭山丘陵北縁のUGを挟む堆積物の<sup>14</sup>C年代，浅間火山周辺のUGの上下の地層の<sup>14</sup>C年代から，約1.2万年前と考えられる（辻・鈴木，1989；鈴木，1991）．また，山崎（2006）は，ATと腐植土層下限の<sup>14</sup>C年代からローム層の平均堆積速度を求め，UGの年代を約1.4万年前と見積もった．青柳スコリアは腐植土層直下の赤色スコリアであり，Y138-141（上杉ほか，1980，1983）に対比される（竹迫ほか，1984）．八王子図幅内では日野台地南東縁の青柳面上で見出されている（竹迫ほか，1984；宇津川ほか，1984）．本図幅を含む武蔵野台地の立川ローム層中には，AT，UG以外の層準にも火山ガラスの密集帯が報告されている（遠藤・鈴木，1980；山路ほか，1980a，b；石川・KKパレオ・ラボ，1999）．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"化石\" tabindex=\"-1\"><h2>化石</h2><p>福生市のローム層から産出する花粉・胞子化石は，草本が卓越し，やや冷涼な気候を示唆する広葉樹を含む（徳永，1979）．一方，立川ローム層全体で温暖な気候を示唆する広葉樹が卓越するという報告がある（田尻，1969）．東京西北部図幅内の第2暗色帯から産出する花粉化石は，温帯林の存在を示唆する樹木花粉が卓越する（辻，1983）．武蔵野ローム層下部から立川ローム層上部では，最終氷期の気候変化とよく対応した植物珪酸体群集の変動が見られる（佐瀬ほか，2006）．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"年代\" tabindex=\"-1\"><h2>年代</h2><p>AT，UGと上位の腐植土層基底の年代から，立川ローム層の年代は4-1.2万年前と考えられる．</p></div></div><div id=\"sec-7-6\" class=\"section\" data-lv=\"2\" tabindex=\"-1\"><h1>7.6 腐植土層</h1><p>表層の腐植土層は一般に“黒ボク土”，“黒土”と呼ばれる．狭山丘陵北部ではお伊勢山層と呼ばれる（早稲田大学所沢校地文化財調査室，1989，1990，1991，1994）．本図幅内では，山地，丘陵の一部，沖積段丘面の一部，現成の地形面を除くほとんどの場所に分布する．層厚は一般に50-70cmであるが（寿円，1969b），立川1面，立川2面上の凹地では1m以上の場合もある（坂上ほか，1978；坂上，1986；松田・大倉，1989）．</p><p>貝塚・成瀬（1958），加藤・山田（1974）は表層の腐植土層を更新世のローム層を母材とする土壌としたが，町田（1964，1971），寿円（1969a），町田ほか（1971）は完新世の富士火山のテフラを母材とする土壌とした．現在は，表層の腐植土層は更新世のローム層と一連の火山灰土と見なされる場合が多い．</p><p>武蔵野台地南部の腐植土層は，下位からVI～I層（松田・大倉，1988，1989），III～I層（坂上，1986）あるいは縄文土層，褐色帯，黒色帯，表土層に細分される（建石ほか，2000）．III層（坂上，1986），縄文土層（建石ほか，2000）は富士山東麓の富士黒土層（町田，1964）に相当する．腐植土層の基底の年代は，下位の立川ローム層中の暗色帯の<sup>14</sup>C年代から求められた立川ローム層の平均堆積速度を外挿することによって1.2-1万年前と見積もられている（町田ほか，1971）．狭山丘陵北縁の埼玉県所沢市堀之内の早稲田大学所沢キャンパス内では，腐植土層基底から11,500-8,900年前の<sup>14</sup>C年代が得られている（辻，1989a）．また，富士黒土層の年代は，考古遺物，<sup>14</sup>C年代から1万～5千年前とされる（町田，1964；坂上ほか，1985）．本図幅内の腐植土層の層相，鉱物組成，理化学特性は，東京都農業試験場（1978），坂上（1988），松田・大倉（1989）に詳しい．</p></div></div></div>","text":"第7章 関東ローム層（L）：断面図のみに示す\n（植木岳雪）\n概要及び研究史\n関東ローム層は，関東平野の丘陵，台地を覆う黄褐色，赤褐色，茶色のシルト質火山灰土であり，その中にはスコリア層，軽石層などのテフラ，暗色の埋没土層が挟まれる．関東ローム層はBrauns（1881），ブラウンス（1882）によってその粒度から“ローム”と呼ばれ，鈴木（1888）によって西方の火山に由来する火山灰土であるとされた．また，“赤上”，“野土”，“壌土”などとも呼ばれ，1930年頃からは地層名，物質名として“関東ローム”と呼ばれるようになった．脇水（1918c，1927），東木（1933），西尾（1937）は関東ロームを水成層と考えたが，中尾（1929，1931a，b，1932a，b，1937，1940），Tsuya（1931，1939），津屋（1939），久野（1936），原田（1943）などの鉱物学，堆積学，土壌学的な研究によって，関東ローム層は風成の火山灰を母材とする古土壌であることが明らかになった．1960年代までの関東ロームの研究については，貝塚（1954），貝塚・石房（1954），多田（1954），ローム団研グループ（1955），関東ローム研究グループ（1965）にまとめられている．関東ローム層の土質工学的特徴は竹中（1965，1968），高速道路調査会（1973），理化学特性は菅野ほか（1952），町田・川地（1969），東京都農業試験場（1978）に詳しい．関東ローム層中の強磁性鉱物については，青柳（1970）の報告がある．\n従来の研究の関東ローム層の層序区分は，以下のようにまとめられる．関東平野の丘陵，台地は，古い地形面ほど古いローム層に覆われ，それらが累積した結果古い地形面上ほどローム層の層厚は大きくなる（貝塚・戸谷，1953）．関東ローム層は，貝塚（1953）により箱根東京テフラ（Hk-TP：町田・新井，1992）の下で2分されたが，関東ローム研究グループ（1956）は関東ローム層を層群とし，多摩面，下末吉面，武蔵野面，立川面を覆うローム層として，それぞれ多摩ローム層，下末吉ローム層，武蔵野ローム層，立川ローム層の4累層に分けた．関東地方南部の多摩ローム層は各地域で細分されているが（例えば，皆川，1968-1969；関東第四紀研究会，1970，1974；皆川・町田，1971；町田ほか，1974；上杉，1976；岡ほか，1984；岡，1985，1991），一般には羽鳥・成瀬（1957），羽鳥・寿円（1958a）の多摩1面，多摩2面を覆うローム層として，それぞれ多摩Iローム層，多摩IIローム層に大別される（町田ほか，1974）．また，下末吉ローム層は3部層に分けられる（町田，1969）．立川ローム層は4部層に分けられ，最上部50cmの赤みに富みクラックが発達する部層は青柳ローム層とも呼ばれる（関東ローム研究グループ，1965）．各ローム層の境界は以下のとおりである．多摩Iローム層と多摩IIローム層の境界は，多摩ゴマシオ1テフラ（Gol：町田・新井，2003）の基底（町田ほか，1974），多摩IIローム層と下末吉ローム層の境界は三色アイス軽石層（SIP：Kobayashi et al.，1968）の直下のクラック帯の基底である（町田，1971）．下末吉ローム層と武蔵野ローム層の境界はHk-TPの約1m下位のチョコレート色のクラック帯の上面であり（関東ローム研究グループ，1956），武蔵野台地南部の箱根三浦テフラ（Hk-MP：町田・新井，1992）の分布域ではその20～30cm下位にあたる（Kobayashi et al.，1968；町田，1971）．武蔵野ローム層と立川ローム層との境界は，地表から深度3～4mにある栗色のクラック帯の上面である（関東ローム研究グループ，1956，1965；町田，1971）．武蔵野台地では，その境界は立川ローム層中の2枚の暗色帯の中で下位のもの（第2暗色帯）から約70cm下位にある．武蔵野ローム層と立川ローム層の境界の問題点については，羽鳥（1993）のまとめがある．\nローム層間の不整合関係，その間に段丘，埋没土が形成されたこと，層相，鉱物組成の変化などから，各ローム層の堆積には時間間隙があるとされ（貝塚，1953，1958；関東ローム研究グループ，1956，1958），それは1～10万年オーダーとされた（関東ローム研究グループ，1965）．しかし，各ローム層は基本的に整合関係であり，部分的な斜面堆積のため不整合関係になることが明らかにされた（Kobayashi，1965；Kobayashi et al.，1968；町田，1971；皆川・町田，1971）．このため各ローム層の境界に層序学的な意味はないが，関東ローム層を多摩ローム層，下末吉ローム層，武蔵野ローム層，立川ローム層に細分し記載することは，現在まで一般に行われている．\n本報告では，従来の関東ローム層の層序区分に従い，多摩ローム層，下末吉ローム層，武蔵野ローム層，立川ローム層，腐植土層に区分する．なお，関東ローム層を地質図に表現すると，丘陵，台地のほとんどは関東ローム層に区分されてしまい，それに覆われる地層が表現できないため，本報告では関東ローム層を断面図のみに示す．また，以下の記載に出てくる段丘面，段丘礫層は，第8章，第9章で詳しく述べる．\n多摩ローム層\n地層名\n関東ローム研究グループ（1956）による．加治丘陵，狭山丘陵，加住丘陵では多摩粘土層（羽鳥・寿円，1954），狭山丘陵全体では所沢粘土層（福田，1952；藤本・福田，1954；藤本ほか，1954；寿円，1956），狭山丘陵北縁では大里ローム層（渋谷，1983），狭山ローム層（早稲田大学所沢校地文化財調査室，1991；清水・堀口，1994；埼玉県，1999），加住丘陵南東部では稲荷坂ローム層（多摩地学会，1957）に相当する．所沢粘土層の細粒相は南矢作粘土層，凝灰質相は宅部浮石層と呼ばれる（福田，1952；藤本・福田，1954；藤本ほか，1954；寿円，1956）．羽鳥・寿円（1958b），寿円（1958，1961a）は，日野台地を覆う多摩IIローム層最上部より上位のローム層全体を日野ローム層と呼んだ．\n模式地\n東京西南部図幅内の川崎市多摩区枡形の多摩丘陵の斜面（関東ローム研究グループ，1956）．\n分布\n加住南丘陵南東部に広く分布する．また，加治丘陵東端の阿須山面，加住北丘陵東端の美根面，狭山丘陵の狭山面上，武蔵野台地，日野台地の所沢面上に分布する．\n層序\n多摩Iローム層と多摩IIローム層に細分される．多摩Iローム層，多摩IIローム層は，加治丘陵東端の豊岡層，狭山丘陵の芋窪層，加住北丘陵東端の美根層を覆う．そして，多摩IIローム層中部から武蔵野ローム層は堆積後に削剥されており，多摩IIローム層下部は立川ローム層に覆われる．武蔵野台地では多摩IIローム層最上部は所沢層を覆い，下末吉ローム層に覆われる．\n層厚\n阿須山面上では多摩Iローム層の層厚は5m以下である．美根面上では多摩I，IIローム層の層厚は15m以上である．加住南丘陵南東部の八王子市みつい台から石川町の斜面上では，多摩ローム層の層厚は20m以上である．狭山丘陵北部の入間市宮寺から所沢市山口，狭山丘陵東部の所沢市上山口から東大和市諏訪町，東大和市湖畔から廻田町では，狭山面上の多摩ローム層の層厚は30m以上である．\n層相\nこげ茶色の火山灰土からなり，貝塩上宝テフラ（KMT：鈴木，2000e），八王子黒雲母軽石層（HBP：皆川・町田，1969，1971）の2枚の中部山岳起源の広域テフラと，給源が不明な多数の軽石質テフラを挟む（関東ローム研究グループ，1965；皆川・町田，1971；町田，1973，2004；町田ほか，1974；渋谷，1983；岡・宇野沢，1989；大森，1989；竹越，1991；加藤，1991a；清水・堀口，1994；会田，1997；関東火山灰グループ・関東平野西縁丘陵団体研究グループ，1998；鈴木ほか，1998；Machida, M., 1999；関東火山灰グループ，2001）．多摩ローム層は全体に風化が進んでおり，下末吉ローム層以上よりも固く，クラックが発達する．多摩ローム層中のテフラは川越図幅内の日高市上鹿山で詳しく記載されたが（関東ローム研究グループ，1965；皆川・町田，1971；町田，1973；町田ほか，1974；清水・堀口，1994；関東火山灰グループ，2001など），現在では露頭が見られない．本図幅内では，一般に多摩IIローム層の中部～上部は欠落しているが，狭山丘陵北東部の所沢市荒幡では，かつて層厚約3mの多摩Iローム層上部と層厚約12mの多摩IIローム層が見られた（大森，1989；竹越，1991）．現在は，狭山丘陵北部の入間市宮寺の埼玉県立狭山自然公園南（付図の地点111付近）で層厚20m程度の多摩Iローム層，層厚約5mの多摩IIローム層下部が見られ，その中に挟まれるテフラが確認できる（第7.1図：鈴木ほか，1998）．狭山丘陵の多摩ローム層の鉱物組成は，東村山市（1971），関東火山灰グループ（2001）に示されている．\n武蔵野台地の所沢面上では，SIPの下位の層厚1～1.5mの多摩IIローム層最上部が所沢層を覆う（守屋，1970b，1971；守屋・堀木，1970a；杉原，1970a；町田，1971；岡ほか，1971；杉原ほか，1971a，b，1972；加藤・新堀，1973；町田，1973，2004；竹越，1991；Machida, M., 1999）．それは，東京西北部図幅内の所沢市本郷の所沢面の段丘崖（付図の地点142）で確認できる．\n鈴木ほか（1998）による．本図の地点1〜4は，狭山丘陵北部の入間市宮寺の埼玉県立狭山自然公園南\n指標テフラ\n本図幅内の多摩Iローム層には，下位からKMT，HBPの2枚の広域テフラが挟まれる．飯島・田口（1964）の関東平野西縁の丘陵を覆う黒雲母浮石層は，KMT，HBPのいずれかと思われる．KMTは多摩Iローム層の下部に挟まれ，黒雲母密集帯（皆川・町田，1971；町田ほか，1974），BP（町田，1973），Biol（清水・堀口，1994），C1（関東火山灰グループ・関東平野西縁丘陵団体研究グループ，1998；関東火山灰グループ，2001）と呼ばれる軽石質テフラである．その給源は飛騨山脈南部であり，年代は69～58万年前（鈴木，2000e），約62万年前（中里，2006）である．本図幅内では軽石の径は数mmで著しく風化している．斑晶鉱物として黒雲母と石英を含む．加治丘陵東端の阿須山面上では多摩Iローム層の基底にKMTが挟まれるとされるが（清水・堀口，1994），本報告では未確認である．\nHBPは多摩Iローム層上部に挟まれ，TE-5（町田ほか，1974），Bio2（清水・堀口，1994），Tama116（関東火山灰グループ，2001）と呼ばれる軽石質テフラで，飛騨山脈南部を給源とする大町Apmテフラ群（APm）に対比される（鈴木・早川，1990）．その年代は，40～30万年前である（吉川ほか，1990；鈴木・早川，1990；町田，1996；鈴木ほか，1998；Machida, H., 1999；Machida, M.，2000）．本図幅内では軽石の径は数mmで著しく風化している．斑晶鉱物として黒雲母，角閃石，石英を含む．程久保第2軽石（皆川・町田，1971；鈴木ほか，1998でHdP-2と略記），八王子第1軽石（皆川・町田，1971；鈴木ほか，1998でHcP-1と略記）は，それぞれ多摩Iローム層中部，上部中にあり，それらのFT年代は0.40±0.17Ma，0.64±0.23Maである（鈴木ほか，1998）．加住北丘陵東端の美根面上では多摩Iローム層の基底に程久保軽石（皆川・町田，1971）が挟まれるとされるが（倉川・間島，1982），それが3枚の軽石層のいずれかは不明である．\n多摩IIローム層下部にはおし沼（鴛鴦沼）軽石群（皆川・町田，1971）を構成するGo1，Go2の2枚の軽石質テフラが挟まれるが，本報告では未確認である．Go1は，ゴマ塩軽石層（関東ローム研究グループ，1960），ゴマシオ第1軽石層（GoP1：皆川・町田，1971），Go2はゴマシオ第2軽石層（GoP2：皆川・町田，1971）と呼ばれる．Go1は房総半島の薮層（坂倉，1935）中のYb5（徳橋・遠藤，1984）に対比されるが（杉原ほか，1978），会田（1997）はGo2とYb5を対比している．またGo1は長野県南部，八ヶ岳山麓の黒雲母含有軽石と対比されている（新井，1972）．Go1，Go2のFT年代はそれぞれ0.36±0.16Ma，0.27±0.12Maである（鈴木ほか，1998）．狭山丘陵北東部の所沢市荒幡では，多摩IIローム層中部に登戸軽石群（皆川・町田，1971）を構成するドーラン（関東ローム研究グループ，1960；岡，1985でDPと略記），バヤリース（関東ローム研究グループ，1960；岡，1985でBPと略記），ウワバミ（鶴見・大村，1966；町田ほか，1974でUPと略記）の3枚の軽石質，スコリア質テフラが挟まれるが（大森，1989；竹越，1991），本報告では未確認である．DPは登戸浮石I（羽鳥・寿円，1958a；皆川・町田，1971），登戸軽石I（NP-I：町田，1973；町田ほか，1974），T2u-1（高野，1987）と呼ばれ，下部は黄色の軽石層，上部は青色のスコリア層からなる．大磯丘陵のF5（遠藤・上杉，1972），TCu-1（町田ほか，1974），Tm-2（上杉，1976），横浜地域の本ガラ（関東第四紀研究会，1972），Mk-2（町田ほか，1974）に対比される（町田ほか，1974）．また，下部の軽石層は房総半島の上泉層（三土，1937）中のKm2（徳橋・遠藤，1984）に対比され（中里・佐藤，1988），上部のスコリア層は清川層（植田，1930）のKy2，Ky3（徳橋・遠藤，1984）に対比される（関東火山灰グループ・東京港地下地質研究会火山灰グループ，2000）．BPは登戸浮石II（羽鳥・寿円，1958a；皆川・町田，1971），登戸軽石II（NP-II：町田，1973；町田ほか，1974），T2u-4（高野，1987）と呼ばれ，大磯丘陵のハムパミス（遠藤・上杉，1972），TB-1（町田ほか，1974），Tm-8（上杉，1976）に対比される（町田ほか，1974）．また，房総半島の清川層のKy3.9，Ky4に対比される（関東火山灰グループ・東京港地下地質研究会火山灰グループ，2000）．UPはTAm-5（町田ほか，1974）と呼ばれ，大磯丘陵のTu-8（上杉，1976）に対比される．大磯丘陵，房総半島における層位から，DP，BP，UPは，それぞれMIS8，MIS7.5あるいは7.3，MIS6と推定される（町田・新井，2003）．\n年代\nKMT，UPの年代から，本図幅内に分布する多摩Iローム層，多摩IIローム層の年代は70-15万年前である．また，後述のSIPの年代から，所沢面上の多摩IIローム層最上部の年代は14-12.5万年前である．\n下末吉ローム層\n地層名\n関東ローム研究グループ（1956）による．\n模式地\n東京西南部図幅内の横浜市鶴見区下末吉の下末吉面の段丘崖（関東ローム研究グループ，1956）．\n分布\n武蔵野台地，日野台地の所沢面，成増面，小平面上に分布する．\n層序\n武蔵野台地の金子台，所沢台では，SIPを基底に挟む下末吉ローム層全体が所沢層を覆う（赤土研究グループ，1959；寿円，1966；守屋，1970b，1971；守屋・堀木，1970a；杉原，1970a；町田，1971；岡ほか，1971；杉原ほか，1972；加藤・新堀，1973；町田，1973，2004；大井町，1985；Machida, M., 1999）．武蔵野台地北縁，日野台地北端では，御岳第1テフラ（On-Pm I：Kobayashi，1960）以上の下末吉ローム層中部―上部が成増層を覆う（黒田ほか，1972；角田，1980，1981c，d，1982d，2001a：町田，1984；青梅市，1995）．武蔵野台地南部では，基底から50-80cm上位に箱根小原台テフラ（Hk-OP：町田・新井，1992）を挟む下末吉ローム層上部が小平層を覆う．いずれも，下末吉ローム層は武蔵野ローム層に覆われる．\n層厚\n所沢面上の下末吉ローム層全体の層厚は，武蔵野台地の金子台，所沢台で2-6.5m（赤土研究グループ，1959；関東ローム研究グループ，1965；岡ほか，1971；杉原ほか，1972；加藤・新堀，1973；町田，1973，2004；Machida, M., 1999），日野台地では2-6mである．成増面上の下末吉ローム層の層厚は日野台地では約5mであるが（町田，1984），武蔵野台地では従来の研究の柱状図には下末吉ローム層，武蔵野ローム層，立川ローム層が区分されていないので，下末吉ローム層の層厚は不明である．小平面上の下末吉ローム層上部の層厚は約2mである（岡ほか，1971）．\n層相\nこげ茶色の火山灰土からなり，SIP，親子パミス（OyP，OyP'：皆川，1968-1969），On-Pm I，Hk-OPの4枚の広域テフラを挟む．下末吉ローム層中には，SIPの直下，On-Pm IとHk-OPの中間にクラックが発達する埋没土層があり，それぞれ下末吉埋没土層（SB），小原台埋没土層（OB）と呼ばれている（町田，1971）．また，武蔵野ローム層との境界のクラックが発達する埋没土層は，武蔵野埋没土層（MB）と呼ばれている（町田，1971）．東京西北部地域内の所沢市本郷の所沢面の段丘崖（地点142）では，SIP，On-Pm Iが確認できる（第8.9図）．\n指標テフラ\n本図幅内の下末吉ローム層には，SIP，On-Pm I，Hk-OPの3枚の広域テフラが挟まれる．武蔵野台地では，親子パミスは不明瞭である（杉原，1969；加藤・新堀，1973）．SIPは下末吉ローム層の基底に挟まれる雑色軽石層（Kobayashi，1965）と呼ばれる軽石質テフラで，その下部はSP2（関東第四紀研究会，1970），上部はピンクパミス（町田・森山，1968），SP14（関東第四紀研究会，1970）と呼ばれる．SIPの下部は町田（1971）の箱根火山起源のHk-Klp6～9のうちのいくつかの軽石層に，上部はHk-Klp13に対比される（町田，1971；新井ほか，1977；岡・宇野沢，1989）．SIPはMIS5eの海成層の直上を覆うことから（Kobayashi，1965；Kobayashi et al., 1968；町田，1971；杉原ほか，1972），その年代は約12.5万年前と考えられる．\nOyP，OyPは，それぞれ吉沢C，D軽石（町田・森山，1968），SP10，SP11（関東第四紀研究会，1970），Hk-KmP6，Hk-KmP7（町田，1971；町田・新井，1992）と呼ばれる軽石質テフラである．下位の箱根吉沢中部1テフラ（Hk-KmP1；町田，1971；町田・新井，1992）が三浦半島のMIS5dの海成段丘面（引橋面：町田・鈴木，1971）の直上を覆うことから，親子パミスの年代はMIS5d～5cと判断される．\nOn-Pm Iは下末吉ローム層の中部にあり，SP（Kobayashi，1965），御岳火山第一浮石層（小林ほか，1967），SP13（関東第四紀研究会，1970）と呼ばれる中部地方の御岳火山起源の軽石質テフラで，その年代は約10万年前である（町田・新井，2003）．渋谷ほか（1968）が金子台，所沢台で報告したUPはOn-Pm Iと思われる．\nHk-OPは下末吉ローム層の上部にあり，小原台浮石（走水グループ，1965），藤沢軽石（関東ローム研究グループ，1965），クリヨーカン軽石（Kobayashi et al.，1968），白パミス（町田・森山，1968），SP14（関東第四紀研究会，1970），小原台軽石（町田，1971）と呼ばれる箱根火山給源の軽石質テフラで，その年代は8.5-8万年前である（町田・新井，2003）．本報告ではHk-OPは未確認である．\n年代\nSIP，Hk-OPの年代から，下末吉ローム層の年代は12.5-7万年前と考えられる．\n武蔵野ローム層\n地層名\n関東ローム研究グループ（1956）による．狭山丘陵北部の新期ローム層の下部（早稲田大学所沢校地文化財調査室，1989，1991）に相当する．\n模式地\n東京西南部図幅内の世田谷区岡本の段丘崖（関東ローム研究グループ，1956）．\n分布\n武蔵野台地，日野台地の所沢面から空堀川面の上に分布する．また，加住南丘陵南東部の斜面の一部の上に分布する（関東ローム研究グループ，1958）．\n層序\n所沢面，成増面，小平面上では下末吉ローム層を覆う．赤羽面上では基底から70-180cm上位にHk-TPを挟む武蔵野ローム層全体が赤羽層を覆う（貝塚・戸谷，1953；寿円，1956，1966；関東ローム研究グループ，1956；岡ほか，1971；杉原ほか，1972；羽鳥，1981；飯田，1984）．中台面上では，Hk-TPを基底に挟む武蔵野ローム層中部～上部が中台層を覆う（寿円，1966；杉原ほか，1972）．黒目川面，久米川面上では，それぞれHk-TPより上位の武蔵野ローム層中部～上部が黒目川層，久米川層を覆うはずであるが，未確認である．空堀川面上では，箱根中央火口丘5テフラ（Hk-CC5：町田・新井，1992）を基底に挟む武蔵野ローム層上部が黒目川層を覆う（羽鳥ほか，1983）．いずれの場合も，武蔵野ローム層は立川ローム層に覆われる．\n層厚\n赤羽面上の武蔵野ローム層全体の層厚は武蔵野台地では約5mであるが（関東ローム研究グループ，1956），日野台地では従来の研究の柱状図には下末吉，武蔵野，立川ローム層が区分されていないので不明である．同様に，中台面，黒目川面，久米川面の上の武蔵野ローム層の層厚も不明である．空堀川面上の武蔵野ローム層の層厚は約1.5mである（羽鳥ほか，1983）．\n層相\n茶色の火山灰土からなり，Hk-TP，Hk-CC5の2枚の広域テフラを挟む．武蔵野台地では，Hk-TPの上位にクラックが発達する4枚の埋没土層がある（関東ローム研究グループ，1965；寿円，1966）．加住南丘陵南東部では，Hk-TPを挟む層厚3-5mの武蔵野ローム層が加住層を覆う（関東ローム研究グループ，1958）．\n指標テフラ\nHK-TPは東京浮石土（原田，1933，1943），東京浮石層（貝塚・戸谷，1953），東京軽石（町田・森山，1968）と呼ばれる箱根火山起源の軽石質テフラであり，本図幅内では層厚10-20cmで普遍的に見出される．その年代は6.5-6万年前（町田・新井，2003）である．Hk-CC5はCC5（Kuno，1950），BCVA，青色火山灰密集層（皆川，1968-1969；町田ほか，1971；上杉，1976），CCP5（新井ほか，1977；森・山口，1979），Y-94（上杉ほか，1980，1983）と呼ばれる箱根火山起源の岩片質テフラである．東京西北部図幅内の東久留米市，和光市周辺のみで見出されている（羽鳥ほか，1983；加藤，1993）．小林（1999）は，Hk-TPの年代を5.2万年前としてHk-CC5の年代を3.9万年前と見積もったが，最近の姶良Tnテフラ（AT：町田・新井，1976），Hk-TPの年代はそれぞれ2.9-2.6万年前，6.5-6万年前である（町田・新井，2003）．そこで，Hk-TPとATの間のローム層の堆積速度を一定とすると，Hk-CC5の年代は4.6-4.4万年前に修正される．\n化石\n武蔵野ローム層下部から立川ローム層上部では，最終氷期の気候変化とよく対応した植物珪酸体群集の変動が見られる（佐瀬ほか，2006）．\n年代\n本図幅内では武蔵野ローム層基底にHk-MPは見出されないが，その下位の箱根安針テフラ（HK-AP：町田・新井，1992）の年代（約7万年前：町田・新井，2003），上位のHk-TPの年代（6.5-6万年前）に基づくと，Hk-MPの年代は7-6.5万年前となる．したがって，Hk-MPとHk-CC5の年代から武蔵野ローム層の年代は7-4万年前と考えられる．\n立川ローム層\n地層名\n関東ローム研究グループ（1956）による．国分寺市では国分寺ローム層，多喜窪ローム層（近藤・岡田，1956），狭山丘陵北部では新期ローム層の上部（早稲田大学所沢校地文化財調査室，1989，1991）に相当する．立川ローム層最上部（青柳ローム層）は，東京西北部図幅内の中野区江古田の江古田層中のローム層（第IV層）に対比されている（関東ローム研究グループ，1965）．\n模式地\n東京西南部図幅内の世田谷区岡本の段丘崖（関東ローム研究グループ，1956）．\n分布\n山地，丘陵の一部と，沖積段丘面より新しい地形面を除くほとんどの場所に分布する．\n層序\n所沢面から空堀川面上では武蔵野ローム層を覆う．立川1面上では，基底から0.3-1.5m上位に第2暗色帯（BB-II：小林ほか，1971；TB-II：町田ほか，1971）を挟む立川ローム層全体が立川1層を覆う（松田・大倉，1988；大倉ほか，1988；松田ほか，1990；松田，2001）．立川2面上では，基底にTB-IIを挟む立川ローム層中部～上部が立川2層を覆う．青柳面，不老面の上では，立川ローム上部ガラス質テフラ（UG：山崎，1978）を挟む第1暗色帯（BB-I：小林ほか，1971；TB-I：町田ほか，1971）以上の立川ローム層最上部が，それぞれ青柳層，不老層を覆い，それは特に青柳部層（羽鳥ほか，1962），青柳ローム層（寿円，1966）と呼ばれる．いずれの場合も，立川ローム層は腐植土層に覆われる．山地，丘陵の斜面上では，秩父帯，四万十帯，鮮新統及び下部更新統，多摩ローム層を覆う．\n層厚\n立川1面上の立川ローム層全体の層厚は約3.5mである（町田ほか，1971）．立川2面上の立川ローム層中部～上部の層厚は，武蔵野台地では一般に約2mであるが（関東ローム研究グループ，1956），場所によって0.5-3mで異なる．また，秋留台地では0.5-2m（沢辺，1956；角田，1981a，1986b，1993；秋川市，1983，1984），日野台地南縁では約2.5m（土屋，1989），加住丘陵南の川口川両岸では最大5-6mである（藤本ほか，1962；椚，1995）．青柳面，不老面上の立川ローム層最上部の層厚は，武蔵野台地では25-55cm（町田，1973；山崎，1978），秋留台地では20-40cm（秋川市，1983，1984；角田，1986b；国分・中山，1996），日野台地南東縁では約70cm（土屋，1989）である．また，日野台地南東縁，加住丘陵南方の川口川左岸では5-6mとされ（藤本ほか，1962；竹迫ほか，1984；椚，1995），他の地域に比べて層厚が大きい．\n層相\n黄褐色，赤褐色の火山灰土からなり，AT，UGの2枚の広域テフラを挟む．その最上部（青柳ローム層）はスコリア質で赤色が濃く，クラックが発達している．下位のローム層と比べて軟らかいことから，ソフトロームと呼ばれる（関東ローム研究グループ，1965）．\n武蔵野台地では，一般に1～2枚の埋没土層（暗色帯）がはさまれる（貝塚・戸谷，1953；石原ほか，1954；関東ローム研究グループ，1956，1965；近藤・岡田，1956；戸谷，1956，1962；戸谷・貝塚，1956；貝塚，1958；赤土研究グループ，1959；黒部，1960a，b；Kanto Loam Research Group，1961；榎本・松井，1962；Toya，1962；寿円，1966；小林ほか，1971；町田ほか，1971；杉原ほか，1972；加藤・新堀，1973；町田，1973；宇津川ほか，1980；松田・大倉，1988；大倉ほか，1988；松田ほか，1990；石川・KKパレオ・ラボ，1999；松田，2001：石川，2002b）．2枚の暗色帯は下位から第2暗色帯，第1暗色帯と呼ばれ，それぞれTB-II，TB-I（町田ほか，1971），BB-II，BB-I（小林ほか，1971）と称される．秋留台地の立川ローム層中の暗色帯の14C年代は，17,000±400yrs BPである（角田，1993）．狭山丘陵北部の立川ローム層最上部の腐植の14C年代は，1.3-1.2万年前である（早稲田大学所沢校地文化財調査室，1989）．また，本図幅外の武蔵野台地上の立川ローム層中の暗色帯からは，3.2-1.6万年前の14C年代が得られている（松井ほか，1968；Kigoshi et al.，1969；町田，1970；町田ほか，1971；杉原，1983；坂上，1988；小疇ほか，1993）．立川ローム層の鉱物組成，理化学組成は，坂上ほか（1978），松田・大倉（1988，1989），坂上（1988）に示されている．\n武蔵野台地の下末吉，武蔵野，立川ローム層中のいくつかの層準ではテフラの波状の擾乱帯がしばしば認められ，波状帯と呼ばれている（鈴木ほか，1964；町田，1971；杉原，1983；加藤，1993）．その中で最も顕著な擾乱帯は武蔵野ローム層と立川ローム層の境界の層準にあり，それは最終氷期の極相に近いことから，周氷河作用によると解釈された（町田，1971；貝塚，1979）．しかし，上本（1989）は，相模野台地の波状帯の成因を地震時のテフラの液状化としている．\n指標テフラ\n立川ローム層には，下位からAT，UG，青柳スコリア（竹迫ほか，1984）が挟まれる．ATは丹沢パミス（上杉，1976），TNP-I，Y-118（上杉ほか，1980，1983；上杉，1990）と呼ばれる南九州の姶良（あいら）カルデラ起源のガラス質テフラであり（町田・新井，1976），その年代は2.9-2.6万年前である（町田・新井，2003）．一般に肉眼では確認できないが，TB-IIとTB-Iの間に挟まれる火山ガラスの密集帯として認められる（貝塚，1958；戸谷，1962；町田ほか，1971）．UGはTnP-III（上杉ほか，1980，1983），AS23-25（上杉，1990）と呼ばれる浅間火山起源のガラス質テフラであり（山路ほか，1982；鈴木ほか，1987；鈴木，1991），一般に肉眼では確認できないが武蔵野ローム層最上部中の火山ガラスの密集帯として認められる．その年代は，狭山丘陵北縁のUGを挟む堆積物の14C年代，浅間火山周辺のUGの上下の地層の14C年代から，約1.2万年前と考えられる（辻・鈴木，1989；鈴木，1991）．また，山崎（2006）は，ATと腐植土層下限の14C年代からローム層の平均堆積速度を求め，UGの年代を約1.4万年前と見積もった．青柳スコリアは腐植土層直下の赤色スコリアであり，Y138-141（上杉ほか，1980，1983）に対比される（竹迫ほか，1984）．八王子図幅内では日野台地南東縁の青柳面上で見出されている（竹迫ほか，1984；宇津川ほか，1984）．本図幅を含む武蔵野台地の立川ローム層中には，AT，UG以外の層準にも火山ガラスの密集帯が報告されている（遠藤・鈴木，1980；山路ほか，1980a，b；石川・KKパレオ・ラボ，1999）．\n化石\n福生市のローム層から産出する花粉・胞子化石は，草本が卓越し，やや冷涼な気候を示唆する広葉樹を含む（徳永，1979）．一方，立川ローム層全体で温暖な気候を示唆する広葉樹が卓越するという報告がある（田尻，1969）．東京西北部図幅内の第2暗色帯から産出する花粉化石は，温帯林の存在を示唆する樹木花粉が卓越する（辻，1983）．武蔵野ローム層下部から立川ローム層上部では，最終氷期の気候変化とよく対応した植物珪酸体群集の変動が見られる（佐瀬ほか，2006）．\n年代\nAT，UGと上位の腐植土層基底の年代から，立川ローム層の年代は4-1.2万年前と考えられる．\n腐植土層\n表層の腐植土層は一般に“黒ボク土”，“黒土”と呼ばれる．狭山丘陵北部ではお伊勢山層と呼ばれる（早稲田大学所沢校地文化財調査室，1989，1990，1991，1994）．本図幅内では，山地，丘陵の一部，沖積段丘面の一部，現成の地形面を除くほとんどの場所に分布する．層厚は一般に50-70cmであるが（寿円，1969b），立川1面，立川2面上の凹地では1m以上の場合もある（坂上ほか，1978；坂上，1986；松田・大倉，1989）．\n貝塚・成瀬（1958），加藤・山田（1974）は表層の腐植土層を更新世のローム層を母材とする土壌としたが，町田（1964，1971），寿円（1969a），町田ほか（1971）は完新世の富士火山のテフラを母材とする土壌とした．現在は，表層の腐植土層は更新世のローム層と一連の火山灰土と見なされる場合が多い．\n武蔵野台地南部の腐植土層は，下位からVI～I層（松田・大倉，1988，1989），III～I層（坂上，1986）あるいは縄文土層，褐色帯，黒色帯，表土層に細分される（建石ほか，2000）．III層（坂上，1986），縄文土層（建石ほか，2000）は富士山東麓の富士黒土層（町田，1964）に相当する．腐植土層の基底の年代は，下位の立川ローム層中の暗色帯の14C年代から求められた立川ローム層の平均堆積速度を外挿することによって1.2-1万年前と見積もられている（町田ほか，1971）．狭山丘陵北縁の埼玉県所沢市堀之内の早稲田大学所沢キャンパス内では，腐植土層基底から11,500-8,900年前の14C年代が得られている（辻，1989a）．また，富士黒土層の年代は，考古遺物，14C年代から1万～5千年前とされる（町田，1964；坂上ほか，1985）．本図幅内の腐植土層の層相，鉱物組成，理化学特性は，東京都農業試験場（1978），坂上（1988），松田・大倉（1989）に詳しい．","blocks":[{"type":"heading","depth":1,"text":"第7章 関東ローム層（L）：断面図のみに示す","id":"sec-7"},{"type":"paragraph","text":"（植木岳雪）"},{"type":"section-title","text":"概要及び研究史"},{"type":"paragraph","text":"関東ローム層は，関東平野の丘陵，台地を覆う黄褐色，赤褐色，茶色のシルト質火山灰土であり，その中にはスコリア層，軽石層などのテフラ，暗色の埋没土層が挟まれる．関東ローム層はBrauns（1881），ブラウンス（1882）によってその粒度から“ローム”と呼ばれ，鈴木（1888）によって西方の火山に由来する火山灰土であるとされた．また，“赤上”，“野土”，“壌土”などとも呼ばれ，1930年頃からは地層名，物質名として“関東ローム”と呼ばれるようになった．脇水（1918c，1927），東木（1933），西尾（1937）は関東ロームを水成層と考えたが，中尾（1929，1931a，b，1932a，b，1937，1940），Tsuya（1931，1939），津屋（1939），久野（1936），原田（1943）などの鉱物学，堆積学，土壌学的な研究によって，関東ローム層は風成の火山灰を母材とする古土壌であることが明らかになった．1960年代までの関東ロームの研究については，貝塚（1954），貝塚・石房（1954），多田（1954），ローム団研グループ（1955），関東ローム研究グループ（1965）にまとめられている．関東ローム層の土質工学的特徴は竹中（1965，1968），高速道路調査会（1973），理化学特性は菅野ほか（1952），町田・川地（1969），東京都農業試験場（1978）に詳しい．関東ローム層中の強磁性鉱物については，青柳（1970）の報告がある．"},{"type":"paragraph","text":"従来の研究の関東ローム層の層序区分は，以下のようにまとめられる．関東平野の丘陵，台地は，古い地形面ほど古いローム層に覆われ，それらが累積した結果古い地形面上ほどローム層の層厚は大きくなる（貝塚・戸谷，1953）．関東ローム層は，貝塚（1953）により箱根東京テフラ（Hk-TP：町田・新井，1992）の下で2分されたが，関東ローム研究グループ（1956）は関東ローム層を層群とし，多摩面，下末吉面，武蔵野面，立川面を覆うローム層として，それぞれ多摩ローム層，下末吉ローム層，武蔵野ローム層，立川ローム層の4累層に分けた．関東地方南部の多摩ローム層は各地域で細分されているが（例えば，皆川，1968-1969；関東第四紀研究会，1970，1974；皆川・町田，1971；町田ほか，1974；上杉，1976；岡ほか，1984；岡，1985，1991），一般には羽鳥・成瀬（1957），羽鳥・寿円（1958a）の多摩1面，多摩2面を覆うローム層として，それぞれ多摩Iローム層，多摩IIローム層に大別される（町田ほか，1974）．また，下末吉ローム層は3部層に分けられる（町田，1969）．立川ローム層は4部層に分けられ，最上部50cmの赤みに富みクラックが発達する部層は青柳ローム層とも呼ばれる（関東ローム研究グループ，1965）．各ローム層の境界は以下のとおりである．多摩Iローム層と多摩IIローム層の境界は，多摩ゴマシオ1テフラ（Gol：町田・新井，2003）の基底（町田ほか，1974），多摩IIローム層と下末吉ローム層の境界は三色アイス軽石層（SIP：Kobayashi et al.，1968）の直下のクラック帯の基底である（町田，1971）．下末吉ローム層と武蔵野ローム層の境界はHk-TPの約1m下位のチョコレート色のクラック帯の上面であり（関東ローム研究グループ，1956），武蔵野台地南部の箱根三浦テフラ（Hk-MP：町田・新井，1992）の分布域ではその20～30cm下位にあたる（Kobayashi et al.，1968；町田，1971）．武蔵野ローム層と立川ローム層との境界は，地表から深度3～4mにある栗色のクラック帯の上面である（関東ローム研究グループ，1956，1965；町田，1971）．武蔵野台地では，その境界は立川ローム層中の2枚の暗色帯の中で下位のもの（第2暗色帯）から約70cm下位にある．武蔵野ローム層と立川ローム層の境界の問題点については，羽鳥（1993）のまとめがある．"},{"type":"paragraph","text":"ローム層間の不整合関係，その間に段丘，埋没土が形成されたこと，層相，鉱物組成の変化などから，各ローム層の堆積には時間間隙があるとされ（貝塚，1953，1958；関東ローム研究グループ，1956，1958），それは1～10万年オーダーとされた（関東ローム研究グループ，1965）．しかし，各ローム層は基本的に整合関係であり，部分的な斜面堆積のため不整合関係になることが明らかにされた（Kobayashi，1965；Kobayashi et al.，1968；町田，1971；皆川・町田，1971）．このため各ローム層の境界に層序学的な意味はないが，関東ローム層を多摩ローム層，下末吉ローム層，武蔵野ローム層，立川ローム層に細分し記載することは，現在まで一般に行われている．"},{"type":"paragraph","text":"本報告では，従来の関東ローム層の層序区分に従い，多摩ローム層，下末吉ローム層，武蔵野ローム層，立川ローム層，腐植土層に区分する．なお，関東ローム層を地質図に表現すると，丘陵，台地のほとんどは関東ローム層に区分されてしまい，それに覆われる地層が表現できないため，本報告では関東ローム層を断面図のみに示す．また，以下の記載に出てくる段丘面，段丘礫層は，第8章，第9章で詳しく述べる．"},{"type":"section-title","text":"多摩ローム層"},{"type":"section-title","text":"地層名"},{"type":"paragraph","text":"関東ローム研究グループ（1956）による．加治丘陵，狭山丘陵，加住丘陵では多摩粘土層（羽鳥・寿円，1954），狭山丘陵全体では所沢粘土層（福田，1952；藤本・福田，1954；藤本ほか，1954；寿円，1956），狭山丘陵北縁では大里ローム層（渋谷，1983），狭山ローム層（早稲田大学所沢校地文化財調査室，1991；清水・堀口，1994；埼玉県，1999），加住丘陵南東部では稲荷坂ローム層（多摩地学会，1957）に相当する．所沢粘土層の細粒相は南矢作粘土層，凝灰質相は宅部浮石層と呼ばれる（福田，1952；藤本・福田，1954；藤本ほか，1954；寿円，1956）．羽鳥・寿円（1958b），寿円（1958，1961a）は，日野台地を覆う多摩IIローム層最上部より上位のローム層全体を日野ローム層と呼んだ．"},{"type":"section-title","text":"模式地"},{"type":"paragraph","text":"東京西南部図幅内の川崎市多摩区枡形の多摩丘陵の斜面（関東ローム研究グループ，1956）．"},{"type":"section-title","text":"分布"},{"type":"paragraph","text":"加住南丘陵南東部に広く分布する．また，加治丘陵東端の阿須山面，加住北丘陵東端の美根面，狭山丘陵の狭山面上，武蔵野台地，日野台地の所沢面上に分布する．"},{"type":"section-title","text":"層序"},{"type":"paragraph","text":"多摩Iローム層と多摩IIローム層に細分される．多摩Iローム層，多摩IIローム層は，加治丘陵東端の豊岡層，狭山丘陵の芋窪層，加住北丘陵東端の美根層を覆う．そして，多摩IIローム層中部から武蔵野ローム層は堆積後に削剥されており，多摩IIローム層下部は立川ローム層に覆われる．武蔵野台地では多摩IIローム層最上部は所沢層を覆い，下末吉ローム層に覆われる．"},{"type":"section-title","text":"層厚"},{"type":"paragraph","text":"阿須山面上では多摩Iローム層の層厚は5m以下である．美根面上では多摩I，IIローム層の層厚は15m以上である．加住南丘陵南東部の八王子市みつい台から石川町の斜面上では，多摩ローム層の層厚は20m以上である．狭山丘陵北部の入間市宮寺から所沢市山口，狭山丘陵東部の所沢市上山口から東大和市諏訪町，東大和市湖畔から廻田町では，狭山面上の多摩ローム層の層厚は30m以上である．"},{"type":"section-title","text":"層相"},{"type":"paragraph","text":"こげ茶色の火山灰土からなり，貝塩上宝テフラ（KMT：鈴木，2000e），八王子黒雲母軽石層（HBP：皆川・町田，1969，1971）の2枚の中部山岳起源の広域テフラと，給源が不明な多数の軽石質テフラを挟む（関東ローム研究グループ，1965；皆川・町田，1971；町田，1973，2004；町田ほか，1974；渋谷，1983；岡・宇野沢，1989；大森，1989；竹越，1991；加藤，1991a；清水・堀口，1994；会田，1997；関東火山灰グループ・関東平野西縁丘陵団体研究グループ，1998；鈴木ほか，1998；Machida, M., 1999；関東火山灰グループ，2001）．多摩ローム層は全体に風化が進んでおり，下末吉ローム層以上よりも固く，クラックが発達する．多摩ローム層中のテフラは川越図幅内の日高市上鹿山で詳しく記載されたが（関東ローム研究グループ，1965；皆川・町田，1971；町田，1973；町田ほか，1974；清水・堀口，1994；関東火山灰グループ，2001など），現在では露頭が見られない．本図幅内では，一般に多摩IIローム層の中部～上部は欠落しているが，狭山丘陵北東部の所沢市荒幡では，かつて層厚約3mの多摩Iローム層上部と層厚約12mの多摩IIローム層が見られた（大森，1989；竹越，1991）．現在は，狭山丘陵北部の入間市宮寺の埼玉県立狭山自然公園南（付図の地点111付近）で層厚20m程度の多摩Iローム層，層厚約5mの多摩IIローム層下部が見られ，その中に挟まれるテフラが確認できる（第7.1図：鈴木ほか，1998）．狭山丘陵の多摩ローム層の鉱物組成は，東村山市（1971），関東火山灰グループ（2001）に示されている．"},{"type":"paragraph","text":"武蔵野台地の所沢面上では，SIPの下位の層厚1～1.5mの多摩IIローム層最上部が所沢層を覆う（守屋，1970b，1971；守屋・堀木，1970a；杉原，1970a；町田，1971；岡ほか，1971；杉原ほか，1971a，b，1972；加藤・新堀，1973；町田，1973，2004；竹越，1991；Machida, M., 1999）．それは，東京西北部図幅内の所沢市本郷の所沢面の段丘崖（付図の地点142）で確認できる．"},{"type":"block-title","text":"狭山丘陵北西部の多摩Iローム層と多摩IIローム層中のテフラ"},{"type":"paragraph","text":"鈴木ほか（1998）による．本図の地点1〜4は，狭山丘陵北部の入間市宮寺の埼玉県立狭山自然公園南"},{"type":"section-title","text":"指標テフラ"},{"type":"paragraph","text":"本図幅内の多摩Iローム層には，下位からKMT，HBPの2枚の広域テフラが挟まれる．飯島・田口（1964）の関東平野西縁の丘陵を覆う黒雲母浮石層は，KMT，HBPのいずれかと思われる．KMTは多摩Iローム層の下部に挟まれ，黒雲母密集帯（皆川・町田，1971；町田ほか，1974），BP（町田，1973），Biol（清水・堀口，1994），C1（関東火山灰グループ・関東平野西縁丘陵団体研究グループ，1998；関東火山灰グループ，2001）と呼ばれる軽石質テフラである．その給源は飛騨山脈南部であり，年代は69～58万年前（鈴木，2000e），約62万年前（中里，2006）である．本図幅内では軽石の径は数mmで著しく風化している．斑晶鉱物として黒雲母と石英を含む．加治丘陵東端の阿須山面上では多摩Iローム層の基底にKMTが挟まれるとされるが（清水・堀口，1994），本報告では未確認である．"},{"type":"paragraph","text":"HBPは多摩Iローム層上部に挟まれ，TE-5（町田ほか，1974），Bio2（清水・堀口，1994），Tama116（関東火山灰グループ，2001）と呼ばれる軽石質テフラで，飛騨山脈南部を給源とする大町Apmテフラ群（APm）に対比される（鈴木・早川，1990）．その年代は，40～30万年前である（吉川ほか，1990；鈴木・早川，1990；町田，1996；鈴木ほか，1998；Machida, H., 1999；Machida, M.，2000）．本図幅内では軽石の径は数mmで著しく風化している．斑晶鉱物として黒雲母，角閃石，石英を含む．程久保第2軽石（皆川・町田，1971；鈴木ほか，1998でHdP-2と略記），八王子第1軽石（皆川・町田，1971；鈴木ほか，1998でHcP-1と略記）は，それぞれ多摩Iローム層中部，上部中にあり，それらのFT年代は0.40±0.17Ma，0.64±0.23Maである（鈴木ほか，1998）．加住北丘陵東端の美根面上では多摩Iローム層の基底に程久保軽石（皆川・町田，1971）が挟まれるとされるが（倉川・間島，1982），それが3枚の軽石層のいずれかは不明である．"},{"type":"paragraph","text":"多摩IIローム層下部にはおし沼（鴛鴦沼）軽石群（皆川・町田，1971）を構成するGo1，Go2の2枚の軽石質テフラが挟まれるが，本報告では未確認である．Go1は，ゴマ塩軽石層（関東ローム研究グループ，1960），ゴマシオ第1軽石層（GoP1：皆川・町田，1971），Go2はゴマシオ第2軽石層（GoP2：皆川・町田，1971）と呼ばれる．Go1は房総半島の薮層（坂倉，1935）中のYb5（徳橋・遠藤，1984）に対比されるが（杉原ほか，1978），会田（1997）はGo2とYb5を対比している．またGo1は長野県南部，八ヶ岳山麓の黒雲母含有軽石と対比されている（新井，1972）．Go1，Go2のFT年代はそれぞれ0.36±0.16Ma，0.27±0.12Maである（鈴木ほか，1998）．狭山丘陵北東部の所沢市荒幡では，多摩IIローム層中部に登戸軽石群（皆川・町田，1971）を構成するドーラン（関東ローム研究グループ，1960；岡，1985でDPと略記），バヤリース（関東ローム研究グループ，1960；岡，1985でBPと略記），ウワバミ（鶴見・大村，1966；町田ほか，1974でUPと略記）の3枚の軽石質，スコリア質テフラが挟まれるが（大森，1989；竹越，1991），本報告では未確認である．DPは登戸浮石I（羽鳥・寿円，1958a；皆川・町田，1971），登戸軽石I（NP-I：町田，1973；町田ほか，1974），T2u-1（高野，1987）と呼ばれ，下部は黄色の軽石層，上部は青色のスコリア層からなる．大磯丘陵のF5（遠藤・上杉，1972），TCu-1（町田ほか，1974），Tm-2（上杉，1976），横浜地域の本ガラ（関東第四紀研究会，1972），Mk-2（町田ほか，1974）に対比される（町田ほか，1974）．また，下部の軽石層は房総半島の上泉層（三土，1937）中のKm2（徳橋・遠藤，1984）に対比され（中里・佐藤，1988），上部のスコリア層は清川層（植田，1930）のKy2，Ky3（徳橋・遠藤，1984）に対比される（関東火山灰グループ・東京港地下地質研究会火山灰グループ，2000）．BPは登戸浮石II（羽鳥・寿円，1958a；皆川・町田，1971），登戸軽石II（NP-II：町田，1973；町田ほか，1974），T2u-4（高野，1987）と呼ばれ，大磯丘陵のハムパミス（遠藤・上杉，1972），TB-1（町田ほか，1974），Tm-8（上杉，1976）に対比される（町田ほか，1974）．また，房総半島の清川層のKy3.9，Ky4に対比される（関東火山灰グループ・東京港地下地質研究会火山灰グループ，2000）．UPはTAm-5（町田ほか，1974）と呼ばれ，大磯丘陵のTu-8（上杉，1976）に対比される．大磯丘陵，房総半島における層位から，DP，BP，UPは，それぞれMIS8，MIS7.5あるいは7.3，MIS6と推定される（町田・新井，2003）．"},{"type":"section-title","text":"年代"},{"type":"paragraph","text":"KMT，UPの年代から，本図幅内に分布する多摩Iローム層，多摩IIローム層の年代は70-15万年前である．また，後述のSIPの年代から，所沢面上の多摩IIローム層最上部の年代は14-12.5万年前である．"},{"type":"section-title","text":"下末吉ローム層"},{"type":"section-title","text":"地層名"},{"type":"paragraph","text":"関東ローム研究グループ（1956）による．"},{"type":"section-title","text":"模式地"},{"type":"paragraph","text":"東京西南部図幅内の横浜市鶴見区下末吉の下末吉面の段丘崖（関東ローム研究グループ，1956）．"},{"type":"section-title","text":"分布"},{"type":"paragraph","text":"武蔵野台地，日野台地の所沢面，成増面，小平面上に分布する．"},{"type":"section-title","text":"層序"},{"type":"paragraph","text":"武蔵野台地の金子台，所沢台では，SIPを基底に挟む下末吉ローム層全体が所沢層を覆う（赤土研究グループ，1959；寿円，1966；守屋，1970b，1971；守屋・堀木，1970a；杉原，1970a；町田，1971；岡ほか，1971；杉原ほか，1972；加藤・新堀，1973；町田，1973，2004；大井町，1985；Machida, M., 1999）．武蔵野台地北縁，日野台地北端では，御岳第1テフラ（On-Pm I：Kobayashi，1960）以上の下末吉ローム層中部―上部が成増層を覆う（黒田ほか，1972；角田，1980，1981c，d，1982d，2001a：町田，1984；青梅市，1995）．武蔵野台地南部では，基底から50-80cm上位に箱根小原台テフラ（Hk-OP：町田・新井，1992）を挟む下末吉ローム層上部が小平層を覆う．いずれも，下末吉ローム層は武蔵野ローム層に覆われる．"},{"type":"section-title","text":"層厚"},{"type":"paragraph","text":"所沢面上の下末吉ローム層全体の層厚は，武蔵野台地の金子台，所沢台で2-6.5m（赤土研究グループ，1959；関東ローム研究グループ，1965；岡ほか，1971；杉原ほか，1972；加藤・新堀，1973；町田，1973，2004；Machida, M., 1999），日野台地では2-6mである．成増面上の下末吉ローム層の層厚は日野台地では約5mであるが（町田，1984），武蔵野台地では従来の研究の柱状図には下末吉ローム層，武蔵野ローム層，立川ローム層が区分されていないので，下末吉ローム層の層厚は不明である．小平面上の下末吉ローム層上部の層厚は約2mである（岡ほか，1971）．"},{"type":"section-title","text":"層相"},{"type":"paragraph","text":"こげ茶色の火山灰土からなり，SIP，親子パミス（OyP，OyP'：皆川，1968-1969），On-Pm I，Hk-OPの4枚の広域テフラを挟む．下末吉ローム層中には，SIPの直下，On-Pm IとHk-OPの中間にクラックが発達する埋没土層があり，それぞれ下末吉埋没土層（SB），小原台埋没土層（OB）と呼ばれている（町田，1971）．また，武蔵野ローム層との境界のクラックが発達する埋没土層は，武蔵野埋没土層（MB）と呼ばれている（町田，1971）．東京西北部地域内の所沢市本郷の所沢面の段丘崖（地点142）では，SIP，On-Pm Iが確認できる（第8.9図）．"},{"type":"section-title","text":"指標テフラ"},{"type":"paragraph","text":"本図幅内の下末吉ローム層には，SIP，On-Pm I，Hk-OPの3枚の広域テフラが挟まれる．武蔵野台地では，親子パミスは不明瞭である（杉原，1969；加藤・新堀，1973）．SIPは下末吉ローム層の基底に挟まれる雑色軽石層（Kobayashi，1965）と呼ばれる軽石質テフラで，その下部はSP2（関東第四紀研究会，1970），上部はピンクパミス（町田・森山，1968），SP14（関東第四紀研究会，1970）と呼ばれる．SIPの下部は町田（1971）の箱根火山起源のHk-Klp6～9のうちのいくつかの軽石層に，上部はHk-Klp13に対比される（町田，1971；新井ほか，1977；岡・宇野沢，1989）．SIPはMIS5eの海成層の直上を覆うことから（Kobayashi，1965；Kobayashi et al., 1968；町田，1971；杉原ほか，1972），その年代は約12.5万年前と考えられる．"},{"type":"paragraph","text":"OyP，OyPは，それぞれ吉沢C，D軽石（町田・森山，1968），SP10，SP11（関東第四紀研究会，1970），Hk-KmP6，Hk-KmP7（町田，1971；町田・新井，1992）と呼ばれる軽石質テフラである．下位の箱根吉沢中部1テフラ（Hk-KmP1；町田，1971；町田・新井，1992）が三浦半島のMIS5dの海成段丘面（引橋面：町田・鈴木，1971）の直上を覆うことから，親子パミスの年代はMIS5d～5cと判断される．"},{"type":"paragraph","text":"On-Pm Iは下末吉ローム層の中部にあり，SP（Kobayashi，1965），御岳火山第一浮石層（小林ほか，1967），SP13（関東第四紀研究会，1970）と呼ばれる中部地方の御岳火山起源の軽石質テフラで，その年代は約10万年前である（町田・新井，2003）．渋谷ほか（1968）が金子台，所沢台で報告したUPはOn-Pm Iと思われる．"},{"type":"paragraph","text":"Hk-OPは下末吉ローム層の上部にあり，小原台浮石（走水グループ，1965），藤沢軽石（関東ローム研究グループ，1965），クリヨーカン軽石（Kobayashi et al.，1968），白パミス（町田・森山，1968），SP14（関東第四紀研究会，1970），小原台軽石（町田，1971）と呼ばれる箱根火山給源の軽石質テフラで，その年代は8.5-8万年前である（町田・新井，2003）．本報告ではHk-OPは未確認である．"},{"type":"section-title","text":"年代"},{"type":"paragraph","text":"SIP，Hk-OPの年代から，下末吉ローム層の年代は12.5-7万年前と考えられる．"},{"type":"section-title","text":"武蔵野ローム層"},{"type":"section-title","text":"地層名"},{"type":"paragraph","text":"関東ローム研究グループ（1956）による．狭山丘陵北部の新期ローム層の下部（早稲田大学所沢校地文化財調査室，1989，1991）に相当する．"},{"type":"section-title","text":"模式地"},{"type":"paragraph","text":"東京西南部図幅内の世田谷区岡本の段丘崖（関東ローム研究グループ，1956）．"},{"type":"section-title","text":"分布"},{"type":"paragraph","text":"武蔵野台地，日野台地の所沢面から空堀川面の上に分布する．また，加住南丘陵南東部の斜面の一部の上に分布する（関東ローム研究グループ，1958）．"},{"type":"section-title","text":"層序"},{"type":"paragraph","text":"所沢面，成増面，小平面上では下末吉ローム層を覆う．赤羽面上では基底から70-180cm上位にHk-TPを挟む武蔵野ローム層全体が赤羽層を覆う（貝塚・戸谷，1953；寿円，1956，1966；関東ローム研究グループ，1956；岡ほか，1971；杉原ほか，1972；羽鳥，1981；飯田，1984）．中台面上では，Hk-TPを基底に挟む武蔵野ローム層中部～上部が中台層を覆う（寿円，1966；杉原ほか，1972）．黒目川面，久米川面上では，それぞれHk-TPより上位の武蔵野ローム層中部～上部が黒目川層，久米川層を覆うはずであるが，未確認である．空堀川面上では，箱根中央火口丘5テフラ（Hk-CC5：町田・新井，1992）を基底に挟む武蔵野ローム層上部が黒目川層を覆う（羽鳥ほか，1983）．いずれの場合も，武蔵野ローム層は立川ローム層に覆われる．"},{"type":"section-title","text":"層厚"},{"type":"paragraph","text":"赤羽面上の武蔵野ローム層全体の層厚は武蔵野台地では約5mであるが（関東ローム研究グループ，1956），日野台地では従来の研究の柱状図には下末吉，武蔵野，立川ローム層が区分されていないので不明である．同様に，中台面，黒目川面，久米川面の上の武蔵野ローム層の層厚も不明である．空堀川面上の武蔵野ローム層の層厚は約1.5mである（羽鳥ほか，1983）．"},{"type":"section-title","text":"層相"},{"type":"paragraph","text":"茶色の火山灰土からなり，Hk-TP，Hk-CC5の2枚の広域テフラを挟む．武蔵野台地では，Hk-TPの上位にクラックが発達する4枚の埋没土層がある（関東ローム研究グループ，1965；寿円，1966）．加住南丘陵南東部では，Hk-TPを挟む層厚3-5mの武蔵野ローム層が加住層を覆う（関東ローム研究グループ，1958）．"},{"type":"section-title","text":"指標テフラ"},{"type":"paragraph","text":"HK-TPは東京浮石土（原田，1933，1943），東京浮石層（貝塚・戸谷，1953），東京軽石（町田・森山，1968）と呼ばれる箱根火山起源の軽石質テフラであり，本図幅内では層厚10-20cmで普遍的に見出される．その年代は6.5-6万年前（町田・新井，2003）である．Hk-CC5はCC5（Kuno，1950），BCVA，青色火山灰密集層（皆川，1968-1969；町田ほか，1971；上杉，1976），CCP5（新井ほか，1977；森・山口，1979），Y-94（上杉ほか，1980，1983）と呼ばれる箱根火山起源の岩片質テフラである．東京西北部図幅内の東久留米市，和光市周辺のみで見出されている（羽鳥ほか，1983；加藤，1993）．小林（1999）は，Hk-TPの年代を5.2万年前としてHk-CC5の年代を3.9万年前と見積もったが，最近の姶良Tnテフラ（AT：町田・新井，1976），Hk-TPの年代はそれぞれ2.9-2.6万年前，6.5-6万年前である（町田・新井，2003）．そこで，Hk-TPとATの間のローム層の堆積速度を一定とすると，Hk-CC5の年代は4.6-4.4万年前に修正される．"},{"type":"section-title","text":"化石"},{"type":"paragraph","text":"武蔵野ローム層下部から立川ローム層上部では，最終氷期の気候変化とよく対応した植物珪酸体群集の変動が見られる（佐瀬ほか，2006）．"},{"type":"section-title","text":"年代"},{"type":"paragraph","text":"本図幅内では武蔵野ローム層基底にHk-MPは見出されないが，その下位の箱根安針テフラ（HK-AP：町田・新井，1992）の年代（約7万年前：町田・新井，2003），上位のHk-TPの年代（6.5-6万年前）に基づくと，Hk-MPの年代は7-6.5万年前となる．したがって，Hk-MPとHk-CC5の年代から武蔵野ローム層の年代は7-4万年前と考えられる．"},{"type":"section-title","text":"立川ローム層"},{"type":"section-title","text":"地層名"},{"type":"paragraph","text":"関東ローム研究グループ（1956）による．国分寺市では国分寺ローム層，多喜窪ローム層（近藤・岡田，1956），狭山丘陵北部では新期ローム層の上部（早稲田大学所沢校地文化財調査室，1989，1991）に相当する．立川ローム層最上部（青柳ローム層）は，東京西北部図幅内の中野区江古田の江古田層中のローム層（第IV層）に対比されている（関東ローム研究グループ，1965）．"},{"type":"section-title","text":"模式地"},{"type":"paragraph","text":"東京西南部図幅内の世田谷区岡本の段丘崖（関東ローム研究グループ，1956）．"},{"type":"section-title","text":"分布"},{"type":"paragraph","text":"山地，丘陵の一部と，沖積段丘面より新しい地形面を除くほとんどの場所に分布する．"},{"type":"section-title","text":"層序"},{"type":"paragraph","text":"所沢面から空堀川面上では武蔵野ローム層を覆う．立川1面上では，基底から0.3-1.5m上位に第2暗色帯（BB-II：小林ほか，1971；TB-II：町田ほか，1971）を挟む立川ローム層全体が立川1層を覆う（松田・大倉，1988；大倉ほか，1988；松田ほか，1990；松田，2001）．立川2面上では，基底にTB-IIを挟む立川ローム層中部～上部が立川2層を覆う．青柳面，不老面の上では，立川ローム上部ガラス質テフラ（UG：山崎，1978）を挟む第1暗色帯（BB-I：小林ほか，1971；TB-I：町田ほか，1971）以上の立川ローム層最上部が，それぞれ青柳層，不老層を覆い，それは特に青柳部層（羽鳥ほか，1962），青柳ローム層（寿円，1966）と呼ばれる．いずれの場合も，立川ローム層は腐植土層に覆われる．山地，丘陵の斜面上では，秩父帯，四万十帯，鮮新統及び下部更新統，多摩ローム層を覆う．"},{"type":"section-title","text":"層厚"},{"type":"paragraph","text":"立川1面上の立川ローム層全体の層厚は約3.5mである（町田ほか，1971）．立川2面上の立川ローム層中部～上部の層厚は，武蔵野台地では一般に約2mであるが（関東ローム研究グループ，1956），場所によって0.5-3mで異なる．また，秋留台地では0.5-2m（沢辺，1956；角田，1981a，1986b，1993；秋川市，1983，1984），日野台地南縁では約2.5m（土屋，1989），加住丘陵南の川口川両岸では最大5-6mである（藤本ほか，1962；椚，1995）．青柳面，不老面上の立川ローム層最上部の層厚は，武蔵野台地では25-55cm（町田，1973；山崎，1978），秋留台地では20-40cm（秋川市，1983，1984；角田，1986b；国分・中山，1996），日野台地南東縁では約70cm（土屋，1989）である．また，日野台地南東縁，加住丘陵南方の川口川左岸では5-6mとされ（藤本ほか，1962；竹迫ほか，1984；椚，1995），他の地域に比べて層厚が大きい．"},{"type":"section-title","text":"層相"},{"type":"paragraph","text":"黄褐色，赤褐色の火山灰土からなり，AT，UGの2枚の広域テフラを挟む．その最上部（青柳ローム層）はスコリア質で赤色が濃く，クラックが発達している．下位のローム層と比べて軟らかいことから，ソフトロームと呼ばれる（関東ローム研究グループ，1965）．"},{"type":"paragraph","text":"武蔵野台地では，一般に1～2枚の埋没土層（暗色帯）がはさまれる（貝塚・戸谷，1953；石原ほか，1954；関東ローム研究グループ，1956，1965；近藤・岡田，1956；戸谷，1956，1962；戸谷・貝塚，1956；貝塚，1958；赤土研究グループ，1959；黒部，1960a，b；Kanto Loam Research Group，1961；榎本・松井，1962；Toya，1962；寿円，1966；小林ほか，1971；町田ほか，1971；杉原ほか，1972；加藤・新堀，1973；町田，1973；宇津川ほか，1980；松田・大倉，1988；大倉ほか，1988；松田ほか，1990；石川・KKパレオ・ラボ，1999；松田，2001：石川，2002b）．2枚の暗色帯は下位から第2暗色帯，第1暗色帯と呼ばれ，それぞれTB-II，TB-I（町田ほか，1971），BB-II，BB-I（小林ほか，1971）と称される．秋留台地の立川ローム層中の暗色帯の14C年代は，17,000±400yrs BPである（角田，1993）．狭山丘陵北部の立川ローム層最上部の腐植の14C年代は，1.3-1.2万年前である（早稲田大学所沢校地文化財調査室，1989）．また，本図幅外の武蔵野台地上の立川ローム層中の暗色帯からは，3.2-1.6万年前の14C年代が得られている（松井ほか，1968；Kigoshi et al.，1969；町田，1970；町田ほか，1971；杉原，1983；坂上，1988；小疇ほか，1993）．立川ローム層の鉱物組成，理化学組成は，坂上ほか（1978），松田・大倉（1988，1989），坂上（1988）に示されている．"},{"type":"paragraph","text":"武蔵野台地の下末吉，武蔵野，立川ローム層中のいくつかの層準ではテフラの波状の擾乱帯がしばしば認められ，波状帯と呼ばれている（鈴木ほか，1964；町田，1971；杉原，1983；加藤，1993）．その中で最も顕著な擾乱帯は武蔵野ローム層と立川ローム層の境界の層準にあり，それは最終氷期の極相に近いことから，周氷河作用によると解釈された（町田，1971；貝塚，1979）．しかし，上本（1989）は，相模野台地の波状帯の成因を地震時のテフラの液状化としている．"},{"type":"section-title","text":"指標テフラ"},{"type":"paragraph","text":"立川ローム層には，下位からAT，UG，青柳スコリア（竹迫ほか，1984）が挟まれる．ATは丹沢パミス（上杉，1976），TNP-I，Y-118（上杉ほか，1980，1983；上杉，1990）と呼ばれる南九州の姶良（あいら）カルデラ起源のガラス質テフラであり（町田・新井，1976），その年代は2.9-2.6万年前である（町田・新井，2003）．一般に肉眼では確認できないが，TB-IIとTB-Iの間に挟まれる火山ガラスの密集帯として認められる（貝塚，1958；戸谷，1962；町田ほか，1971）．UGはTnP-III（上杉ほか，1980，1983），AS23-25（上杉，1990）と呼ばれる浅間火山起源のガラス質テフラであり（山路ほか，1982；鈴木ほか，1987；鈴木，1991），一般に肉眼では確認できないが武蔵野ローム層最上部中の火山ガラスの密集帯として認められる．その年代は，狭山丘陵北縁のUGを挟む堆積物の14C年代，浅間火山周辺のUGの上下の地層の14C年代から，約1.2万年前と考えられる（辻・鈴木，1989；鈴木，1991）．また，山崎（2006）は，ATと腐植土層下限の14C年代からローム層の平均堆積速度を求め，UGの年代を約1.4万年前と見積もった．青柳スコリアは腐植土層直下の赤色スコリアであり，Y138-141（上杉ほか，1980，1983）に対比される（竹迫ほか，1984）．八王子図幅内では日野台地南東縁の青柳面上で見出されている（竹迫ほか，1984；宇津川ほか，1984）．本図幅を含む武蔵野台地の立川ローム層中には，AT，UG以外の層準にも火山ガラスの密集帯が報告されている（遠藤・鈴木，1980；山路ほか，1980a，b；石川・KKパレオ・ラボ，1999）．"},{"type":"section-title","text":"化石"},{"type":"paragraph","text":"福生市のローム層から産出する花粉・胞子化石は，草本が卓越し，やや冷涼な気候を示唆する広葉樹を含む（徳永，1979）．一方，立川ローム層全体で温暖な気候を示唆する広葉樹が卓越するという報告がある（田尻，1969）．東京西北部図幅内の第2暗色帯から産出する花粉化石は，温帯林の存在を示唆する樹木花粉が卓越する（辻，1983）．武蔵野ローム層下部から立川ローム層上部では，最終氷期の気候変化とよく対応した植物珪酸体群集の変動が見られる（佐瀬ほか，2006）．"},{"type":"section-title","text":"年代"},{"type":"paragraph","text":"AT，UGと上位の腐植土層基底の年代から，立川ローム層の年代は4-1.2万年前と考えられる．"},{"type":"section-title","text":"腐植土層"},{"type":"paragraph","text":"表層の腐植土層は一般に“黒ボク土”，“黒土”と呼ばれる．狭山丘陵北部ではお伊勢山層と呼ばれる（早稲田大学所沢校地文化財調査室，1989，1990，1991，1994）．本図幅内では，山地，丘陵の一部，沖積段丘面の一部，現成の地形面を除くほとんどの場所に分布する．層厚は一般に50-70cmであるが（寿円，1969b），立川1面，立川2面上の凹地では1m以上の場合もある（坂上ほか，1978；坂上，1986；松田・大倉，1989）．"},{"type":"paragraph","text":"貝塚・成瀬（1958），加藤・山田（1974）は表層の腐植土層を更新世のローム層を母材とする土壌としたが，町田（1964，1971），寿円（1969a），町田ほか（1971）は完新世の富士火山のテフラを母材とする土壌とした．現在は，表層の腐植土層は更新世のローム層と一連の火山灰土と見なされる場合が多い．"},{"type":"paragraph","text":"武蔵野台地南部の腐植土層は，下位からVI～I層（松田・大倉，1988，1989），III～I層（坂上，1986）あるいは縄文土層，褐色帯，黒色帯，表土層に細分される（建石ほか，2000）．III層（坂上，1986），縄文土層（建石ほか，2000）は富士山東麓の富士黒土層（町田，1964）に相当する．腐植土層の基底の年代は，下位の立川ローム層中の暗色帯の14C年代から求められた立川ローム層の平均堆積速度を外挿することによって1.2-1万年前と見積もられている（町田ほか，1971）．狭山丘陵北縁の埼玉県所沢市堀之内の早稲田大学所沢キャンパス内では，腐植土層基底から11,500-8,900年前の14C年代が得られている（辻，1989a）．また，富士黒土層の年代は，考古遺物，14C年代から1万～5千年前とされる（町田，1964；坂上ほか，1985）．本図幅内の腐植土層の層相，鉱物組成，理化学特性は，東京都農業試験場（1978），坂上（1988），松田・大倉（1989）に詳しい．"}],"images":[{"id":"F7.1","src":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1139/image/1139_0091-0001.png","label":"第7.1図","title":"狭山丘陵北西部の多摩Iローム層と多摩IIローム層中のテフラ","caption":"鈴木ほか（1998）による．本図の地点1〜4は，狭山丘陵北部の入間市宮寺の埼玉県立狭山自然公園南"}],"tables":[],"anchors":[{"id":"m1139_f049","label":"関東ローム層","title":"関東ローム層"},{"id":"m1139_u042_L","label":"L","title":"火山灰土，腐植土及びテフラ"}]},"provenance":{"xml_url":"https://gbank.gsj.jp/ld/zfk/xmldata/1139_BITS.xml","xpath_target":"//*[@id='sec-7']","generated_at":"2026-09-28T01:56:36+09:00","html_url":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1139/1139.html"},"legend":{"focus":{"type":"LegendFacies","id":"m1139_f049","@id":"https://gbank.gsj.jp/ld/resource/zfk/facies/m1139_f049","map_id":1139,"legend_group_ref":{"type":"LegendGroup","id":"m1139_g001","@id":"https://gbank.gsj.jp/ld/resource/zfk/groups/m1139_g001","label":"図幅凡例"},"label_ja":"関東ローム層","label_en":"Kanto 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Legend"}},"derived":{"type":"LegendFacies","identifier":"m1139_f049","map_id":1139,"major_code":49,"unit_name":"関東ローム層","section_title":"関東ローム層（L）：断面図のみに示す","unit_symbol":null,"alt_names":[],"lithology":[],"minerals":["角閃石"],"minerals_details":[{"term":"角閃石","confidence":0.7,"evidence":{"block_index":25,"snippet":"．斑晶鉱物として黒雲母，角閃石，石英を含む．程久保第2"}}],"structures":["成層"],"structures_details":[{"term":"成層","confidence":0.7,"evidence":{"block_index":3,"snippet":"937）は関東ロームを水成層と考えたが，中尾（192"}}],"thickness":{"min_m":3,"max_m":3,"approx":true,"raw":"こげ茶色の火山灰土からなり，貝塩上宝テフラ（KMT：鈴木，2000e），八王子黒雲母軽石層（HBP：皆川・町田，1969，1971）の2枚の中部山岳起源の広域テフラと，給源が不明な多数の軽石質テフラを挟む（関東ローム研究グループ，1965；皆川・町田，1971；町田，1973，2004；町田ほか，1974；渋谷，1983；岡・宇野沢，1989；大森，1989；竹越，1991；加藤，1991a；清水・堀口，1994；会田，1997；関東火山灰グループ・関東平野西縁丘陵団体研究グループ，1998；鈴木ほか，1998；Machida, M., 1999；関東火山灰グループ，2001）．多摩ローム層は全体に風化が進んでおり，下末吉ローム層以上よりも固く，クラックが発達する．多摩ローム層中のテフラは川越図幅内の日高市上鹿山で詳しく記載されたが（関東ローム研究グループ，1965；皆川・町田，1971；町田，1973；町田ほか，1974；清水・堀口，1994；関東火山灰グループ，2001など），現在では露頭が見られない．本図幅内では，一般に多摩IIローム層の中部～上部は欠落しているが，狭山丘陵北東部の所沢市荒幡では，かつて層厚約3mの多摩Iローム層上部と層厚約12mの多摩IIローム層が見られた（大森，1989；竹越，1991）．現在は，狭山丘陵北部の入間市宮寺の埼玉県立狭山自然公園南（付図の地点111付近）で層厚20m程度の多摩Iローム層，層厚約5mの多摩IIローム層下部が見られ，その中に挟まれるテフラが確認できる（第7.1図：鈴木ほか，1998）．狭山丘陵の多摩ローム層の鉱物組成は，東村山市（1971），関東火山灰グループ（2001）に示されている．","source_block_index":19,"confidence":0.95,"evidence":{"text":"層厚約3m"}},"distribution":{"text":"加住南丘陵南東部に広く分布する．また，加治丘陵東端の阿須山面，加住北丘陵東端の美根面，狭山丘陵の狭山面上，武蔵野台地，日野台地の所沢面上に分布する．","key_localities":["加治丘陵東端の阿須山","狭山丘陵の狭山","日野台地の所沢"],"confidence":0.8},"contacts":[{"type":"overlies","type_jp":"被覆","with_unit_name":"美根層","with_unit_id":null,"text":"多摩Iローム層と多摩IIローム層に細分される．多摩Iローム層，多摩IIローム層は，加治丘陵東端の豊岡層，狭山丘陵の芋窪層，加住北丘陵東端の美根層を覆う．そして，多摩IIローム層中部から武蔵野ローム層は堆積後に削剥されており，多摩IIローム層下部は立川ローム層に覆われる．武蔵野台地では多摩IIローム層最上部は所沢層を覆い，下末吉ローム層に覆われる．","source_block_index":15,"confidence":0.74,"evidence":{"text":"美根層を覆う"}},{"type":"overlies","type_jp":"被覆","with_unit_name":"所沢層","with_unit_id":null,"text":"武蔵野台地の所沢面上では，SIPの下位の層厚1～1.5mの多摩IIローム層最上部が所沢層を覆う（守屋，1970b，1971；守屋・堀木，1970a；杉原，1970a；町田，1971；岡ほか，1971；杉原ほか，1971a，b，1972；加藤・新堀，1973；町田，1973，2004；竹越，1991；Machida, M., 1999）．それは，東京西北部図幅内の所沢市本郷の所沢面の段丘崖（付図の地点142）で確認できる．","source_block_index":20,"confidence":0.74,"evidence":{"text":"所沢層を覆う"}},{"type":"overlies","type_jp":"被覆","with_unit_name":"所沢層","with_unit_id":null,"text":"武蔵野台地の金子台，所沢台では，SIPを基底に挟む下末吉ローム層全体が所沢層を覆う（赤土研究グループ，1959；寿円，1966；守屋，1970b，1971；守屋・堀木，1970a；杉原，1970a；町田，1971；岡ほか，1971；杉原ほか，1972；加藤・新堀，1973；町田，1973，2004；大井町，1985；Machida, M., 1999）．武蔵野台地北縁，日野台地北端では，御岳第1テフラ（On-Pm I：Kobayashi，1960）以上の下末吉ローム層中部―上部が成増層を覆う（黒田ほか，1972；角田，1980，1981c，d，1982d，2001a：町田，1984；青梅市，1995）．武蔵野台地南部では，基底から50-80cm上位に箱根小原台テフラ（Hk-OP：町田・新井，1992）を挟む下末吉ローム層上部が小平層を覆う．いずれも，下末吉ローム層は武蔵野ローム層に覆われる．","source_block_index":37,"confidence":0.74,"evidence":{"text":"所沢層を覆う"}},{"type":"overlies","type_jp":"被覆","with_unit_name":"成増層","with_unit_id":null,"text":"武蔵野台地の金子台，所沢台では，SIPを基底に挟む下末吉ローム層全体が所沢層を覆う（赤土研究グループ，1959；寿円，1966；守屋，1970b，1971；守屋・堀木，1970a；杉原，1970a；町田，1971；岡ほか，1971；杉原ほか，1972；加藤・新堀，1973；町田，1973，2004；大井町，1985；Machida, M., 1999）．武蔵野台地北縁，日野台地北端では，御岳第1テフラ（On-Pm I：Kobayashi，1960）以上の下末吉ローム層中部―上部が成増層を覆う（黒田ほか，1972；角田，1980，1981c，d，1982d，2001a：町田，1984；青梅市，1995）．武蔵野台地南部では，基底から50-80cm上位に箱根小原台テフラ（Hk-OP：町田・新井，1992）を挟む下末吉ローム層上部が小平層を覆う．いずれも，下末吉ローム層は武蔵野ローム層に覆われる．","source_block_index":37,"confidence":0.74,"evidence":{"text":"成増層を覆う"}},{"type":"overlies","type_jp":"被覆","with_unit_name":"小平層","with_unit_id":null,"text":"武蔵野台地の金子台，所沢台では，SIPを基底に挟む下末吉ローム層全体が所沢層を覆う（赤土研究グループ，1959；寿円，1966；守屋，1970b，1971；守屋・堀木，1970a；杉原，1970a；町田，1971；岡ほか，1971；杉原ほか，1972；加藤・新堀，1973；町田，1973，2004；大井町，1985；Machida, M., 1999）．武蔵野台地北縁，日野台地北端では，御岳第1テフラ（On-Pm I：Kobayashi，1960）以上の下末吉ローム層中部―上部が成増層を覆う（黒田ほか，1972；角田，1980，1981c，d，1982d，2001a：町田，1984；青梅市，1995）．武蔵野台地南部では，基底から50-80cm上位に箱根小原台テフラ（Hk-OP：町田・新井，1992）を挟む下末吉ローム層上部が小平層を覆う．いずれも，下末吉ローム層は武蔵野ローム層に覆われる．","source_block_index":37,"confidence":0.74,"evidence":{"text":"小平層を覆う"}},{"type":"overlies","type_jp":"被覆","with_unit_name":"赤羽層","with_unit_id":null,"text":"所沢面，成増面，小平面上では下末吉ローム層を覆う．赤羽面上では基底から70-180cm上位にHk-TPを挟む武蔵野ローム層全体が赤羽層を覆う（貝塚・戸谷，1953；寿円，1956，1966；関東ローム研究グループ，1956；岡ほか，1971；杉原ほか，1972；羽鳥，1981；飯田，1984）．中台面上では，Hk-TPを基底に挟む武蔵野ローム層中部～上部が中台層を覆う（寿円，1966；杉原ほか，1972）．黒目川面，久米川面上では，それぞれHk-TPより上位の武蔵野ローム層中部～上部が黒目川層，久米川層を覆うはずであるが，未確認である．空堀川面上では，箱根中央火口丘5テフラ（Hk-CC5：町田・新井，1992）を基底に挟む武蔵野ローム層上部が黒目川層を覆う（羽鳥ほか，1983）．いずれの場合も，武蔵野ローム層は立川ローム層に覆われる．","source_block_index":57,"confidence":0.74,"evidence":{"text":"赤羽層を覆う"}},{"type":"overlies","type_jp":"被覆","with_unit_name":"中台層","with_unit_id":null,"text":"所沢面，成増面，小平面上では下末吉ローム層を覆う．赤羽面上では基底から70-180cm上位にHk-TPを挟む武蔵野ローム層全体が赤羽層を覆う（貝塚・戸谷，1953；寿円，1956，1966；関東ローム研究グループ，1956；岡ほか，1971；杉原ほか，1972；羽鳥，1981；飯田，1984）．中台面上では，Hk-TPを基底に挟む武蔵野ローム層中部～上部が中台層を覆う（寿円，1966；杉原ほか，1972）．黒目川面，久米川面上では，それぞれHk-TPより上位の武蔵野ローム層中部～上部が黒目川層，久米川層を覆うはずであるが，未確認である．空堀川面上では，箱根中央火口丘5テフラ（Hk-CC5：町田・新井，1992）を基底に挟む武蔵野ローム層上部が黒目川層を覆う（羽鳥ほか，1983）．いずれの場合も，武蔵野ローム層は立川ローム層に覆われる．","source_block_index":57,"confidence":0.74,"evidence":{"text":"中台層を覆う"}},{"type":"overlies","type_jp":"被覆","with_unit_name":"久米川層","with_unit_id":null,"text":"所沢面，成増面，小平面上では下末吉ローム層を覆う．赤羽面上では基底から70-180cm上位にHk-TPを挟む武蔵野ローム層全体が赤羽層を覆う（貝塚・戸谷，1953；寿円，1956，1966；関東ローム研究グループ，1956；岡ほか，1971；杉原ほか，1972；羽鳥，1981；飯田，1984）．中台面上では，Hk-TPを基底に挟む武蔵野ローム層中部～上部が中台層を覆う（寿円，1966；杉原ほか，1972）．黒目川面，久米川面上では，それぞれHk-TPより上位の武蔵野ローム層中部～上部が黒目川層，久米川層を覆うはずであるが，未確認である．空堀川面上では，箱根中央火口丘5テフラ（Hk-CC5：町田・新井，1992）を基底に挟む武蔵野ローム層上部が黒目川層を覆う（羽鳥ほか，1983）．いずれの場合も，武蔵野ローム層は立川ローム層に覆われる．","source_block_index":57,"confidence":0.74,"evidence":{"text":"久米川層を覆う"}},{"type":"overlies","type_jp":"被覆","with_unit_name":"黒目川層","with_unit_id":null,"text":"所沢面，成増面，小平面上では下末吉ローム層を覆う．赤羽面上では基底から70-180cm上位にHk-TPを挟む武蔵野ローム層全体が赤羽層を覆う（貝塚・戸谷，1953；寿円，1956，1966；関東ローム研究グループ，1956；岡ほか，1971；杉原ほか，1972；羽鳥，1981；飯田，1984）．中台面上では，Hk-TPを基底に挟む武蔵野ローム層中部～上部が中台層を覆う（寿円，1966；杉原ほか，1972）．黒目川面，久米川面上では，それぞれHk-TPより上位の武蔵野ローム層中部～上部が黒目川層，久米川層を覆うはずであるが，未確認である．空堀川面上では，箱根中央火口丘5テフラ（Hk-CC5：町田・新井，1992）を基底に挟む武蔵野ローム層上部が黒目川層を覆う（羽鳥ほか，1983）．いずれの場合も，武蔵野ローム層は立川ローム層に覆われる．","source_block_index":57,"confidence":0.74,"evidence":{"text":"黒目川層を覆う"}},{"type":"overlies","type_jp":"被覆","with_unit_name":"加住層","with_unit_id":null,"text":"茶色の火山灰土からなり，Hk-TP，Hk-CC5の2枚の広域テフラを挟む．武蔵野台地では，Hk-TPの上位にクラックが発達する4枚の埋没土層がある（関東ローム研究グループ，1965；寿円，1966）．加住南丘陵南東部では，Hk-TPを挟む層厚3-5mの武蔵野ローム層が加住層を覆う（関東ローム研究グループ，1958）．","source_block_index":61,"confidence":0.74,"evidence":{"text":"加住層を覆う"}},{"type":"underlies","type_jp":"被覆","with_unit_name":"腐植土層","with_unit_id":null,"text":"所沢面から空堀川面上では武蔵野ローム層を覆う．立川1面上では，基底から0.3-1.5m上位に第2暗色帯（BB-II：小林ほか，1971；TB-II：町田ほか，1971）を挟む立川ローム層全体が立川1層を覆う（松田・大倉，1988；大倉ほか，1988；松田ほか，1990；松田，2001）．立川2面上では，基底にTB-IIを挟む立川ローム層中部～上部が立川2層を覆う．青柳面，不老面の上では，立川ローム上部ガラス質テフラ（UG：山崎，1978）を挟む第1暗色帯（BB-I：小林ほか，1971；TB-I：町田ほか，1971）以上の立川ローム層最上部が，それぞれ青柳層，不老層を覆い，それは特に青柳部層（羽鳥ほか，1962），青柳ローム層（寿円，1966）と呼ばれる．いずれの場合も，立川ローム層は腐植土層に覆われる．山地，丘陵の斜面上では，秩父帯，四万十帯，鮮新統及び下部更新統，多摩ローム層を覆う．","source_block_index":76,"confidence":0.74,"evidence":{"text":"腐植土層に覆われる"}},{"type":"correlates","type_jp":"対比","with_unit_name":"富士黒土層","with_unit_id":null,"text":"武蔵野台地南部の腐植土層は，下位からVI～I層（松田・大倉，1988，1989），III～I層（坂上，1986）あるいは縄文土層，褐色帯，黒色帯，表土層に細分される（建石ほか，2000）．III層（坂上，1986），縄文土層（建石ほか，2000）は富士山東麓の富士黒土層（町田，1964）に相当する．腐植土層の基底の年代は，下位の立川ローム層中の暗色帯の14C年代から求められた立川ローム層の平均堆積速度を外挿することによって1.2-1万年前と見積もられている（町田ほか，1971）．狭山丘陵北縁の埼玉県所沢市堀之内の早稲田大学所沢キャンパス内では，腐植土層基底から11,500-8,900年前の14C年代が得られている（辻，1989a）．また，富士黒土層の年代は，考古遺物，14C年代から1万～5千年前とされる（町田，1964；坂上ほか，1985）．本図幅内の腐植土層の層相，鉱物組成，理化学特性は，東京都農業試験場（1978），坂上（1988），松田・大倉（1989）に詳しい．","source_block_index":92,"confidence":0.73,"evidence":{"text":"富士黒土層に相当する"}}],"figures_count":1,"tables_count":0,"provenance":{"xml_url":"https://gbank.gsj.jp/ld/zfk/xmldata/1139_BITS.xml","sec_id":"sec-7","xpath":"//*[@id='sec-7']","generated_at":"2026-09-28T01:56:36+09:00"}},"derived_keywords":[{"@type":"Mineral","label":"角閃石"},{"@type":"Structure","label":"成層"}],"linkData":[{"category":"wasDerivedFrom","type":"text/html","@id":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1139/1139.html","label":"図幅説明書 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