{"ok":true,"version":"1.1.0","license":"https://www.gsj.jp/license/license.html","attribution":"出典：産業技術総合研究所 地質調査総合センター「GSJ 地質図幅凡例データセット」","lang":"ja","type":"LegendFacies","id":"m1014_f020","@id":"https://gbank.gsj.jp/ld/resource/zfk/facies/m1014_f020","geom":{"uri":"https://gbank.gsj.jp/ld/resource/zfk/units/m1014_f020/geom","geojson_url":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/units_geojson/m1014_f020.geojson","centroid":null,"bbox":null},"map":{"type":"LegendMap","map_id":1014,"@id":"https://gbank.gsj.jp/ld/resource/zfk/maps/m1014","sheet_code":"G50_08_085","series":"地域地質研究報告 5万分の1地質図幅","title_ja":"富津地域の地質","title_en":"Futtsu","author":["中嶋輝允","渡辺真人"],"authors":[{"name_display":"中嶋輝允","name_ja":"中嶋輝允","name_en":"Terumasa NAKAJIMA","name_alt":["Terumasa NAKAJIMA"]},{"name_display":"渡辺真人","name_ja":"渡辺真人","name_en":"Mahito WATANABE","name_alt":["Mahito 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id=\"m1014_f020\"></span><p>（中嶋輝允・渡辺真人）</p><p>命名は，伊田ほか（1956）による．本層群は，下限は安房層群との間の黒滝不整合，上限は下総層群最下位の地蔵堂層の基底で，この間の一連の海成層をまとめたものである（第2.2図，第3.1表）．本層群の上限については種々の見解があるが，ここでは，地蔵堂層の基底を上限とする徳橋・遠藤（1984）の見解にしたがった．本地域に分布する上総層群の地層は下位から黒滝層，十宮層，黄和田層，大田代層，東日笠層，梅ヶ瀬層，国本層，市宿層，長南層，笠森層の10層である．上総層群が模式的に発達する養老川流域では上総層群の各層はそれぞれ整合関係にある．しかし，富津地域では市宿層，長南層及び笠森層の基底は削剥面をもって下位層を覆う．とくに市宿層と笠森層の基底においては，本地域西部で地質図に表現できる規模の下位層の削剥・欠如が認められ，明らかな不整合面となっている．この不整合面は東方へ整合面へと移化する．このように本地域の上総層群上部にいくつかの不整合面が現れるのは，本地域が堆積盆の縁辺にあって，氷河性海水準変動に伴う低海水準期の削剥が養老川流域より早い時期から顕著になったためと考えられる．</p><p>上総層群が模式的に発達する養老川周辺では，古地磁気・微化石層序及び酸素同位体層序など詳細な層位学的研究が行われており，また上総層群中の多くの凝灰岩層についてフィッション・トラック年代測定が行われている（第2.3図）．これらの年代層序と堆積相解析及び同時間面である凝灰岩鍵層の収束・発散関係を総合して上総層群のシーケンス層序に関する研究が多数行われている．それに関してはIto（1992），Ito and Katsura（1992），伊藤（1997）などを参照されたい．</p><div id=\"sec-4-1\" class=\"section\" data-lv=\"2\" tabindex=\"-1\"><h1>4.1 黒滝層（Kt）</h1><span id=\"m1014_f034\"></span><span id=\"m1014_u036_Kt\"></span><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"命名\" tabindex=\"-1\"><h2>命名</h2><p>植田（1930）．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"模式地\" tabindex=\"-1\"><h2>模式地</h2><p>君津市小櫃川支流黒滝沢の黒滝．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"分布\" tabindex=\"-1\"><h2>分布</h2><p>本地域東部では，法ノ木背斜の北側，高宕山向斜の軸部に分布する．この分布は西へ，湊川下流の南部丘陵に沿って続き，十宮から竹岡海岸を経て萩生に達する．また，湊川下流北側の寺尾背斜の周囲にも分布する．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"層序\" tabindex=\"-1\"><h2>層序</h2><p>黒滝層は，主として礫岩と砂岩からなる地層である．砂岩の間には，稀に泥質砂岩が挟まれる．ここでは，黒滝層は岩相によって定義される．黒滝層上部の砂岩層の上に重なり，凝灰岩層を頻繁に挟む泥質砂岩・砂質泥岩層は，黒滝層ではなく十宮層に属する．</p><p>本層は，上総層群最下部層で基底礫岩をなす．下位の安房層群安野層には不整合に重なる（黒滝不整合）．上位の十宮層の泥質砂岩には漸移的に変わり整合である．</p><p>十宮層のいろいろな層準が，黒滝層の上にアバットしている様子が凝灰岩鍵層によって確かめられる．富津地域西海岸～中部の関付近までは，十宮層下部の鍵層To1付近が黒滝層上部に重なるが，関から東の法ノ木に向かって，To1からTo10までの鍵層が黒滝層の上に次々とアバットしている（第4.3図にはTo2～To4までの鍵層が示されている）．さらに東隣の大多喜地域に入り，小櫃川支流の笹川付近に至ると，黄和田層基底の鍵層Kd38付近の鍵層が黒滝層にアバットしている．このように，凝灰岩鍵層の追跡によって十宮層の各層準が西から東に向かって黒滝層の上にアバットする様子が確かめられる．凝灰岩鍵層は黒滝層の粗粒堆積物の中に入ると消えてしまうが，十宮層の岩相は凝灰岩鍵層に沿って次第に粗くなり，黒滝層の粗粒堆積物に漸移する．したがって，黒滝層の一部は十宮層の各層準と同時異相の関係にある．</p><p>なお，大多喜地域の笹川以東では，黄和田層以下の地層が逆に東から西に向かって黒滝層の上にアバットしていて，黒滝層の一部はそれらの地層と同時異相の関係にある．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"岩相\" tabindex=\"-1\"><h2>岩相</h2><p>礫岩と砂岩よりなる．</p><p>礫岩は，チャート，頁岩，硬質砂岩などの円礫（粒径1～10cm）や安房層群の泥岩礫（粒径数cm～30cm）からなる．基質は粗粒なスコリア，軽石，貝化石片を含む砂である．一般にあまり厚く発達せず，通常数10cm～数m程度の厚さである．</p><p>砂岩は，中粒～極粗粒砂からなる．貝化石の破片，すなわち貝砂からなる場合とスコリアや軽石を多く含む場合がある．スコリア質砂岩は粗粒～極粗粒，しばしば細礫サイズの粗い部分を含む．黒滝層の砂岩の特徴は，斜層理が良く発達することである（第4.1図）．斜層理の傾斜方向は，各地でN10°W～NあるいはN～Eのものが多く，黒滝層の堆積物を運んだ流れが南から北へあるいは西から東に向かっていた可能性がある．</p><p>黒滝層の礫岩・砂岩は陸棚浅海砂帯の堆積物と考えられる．波浪や潮流などの流れによって絶えず堆積物が移動する環境なので，細粒な凝灰岩層は存在できず，粗粒な火山砕屑物のみが存在し，砂粒子とともに斜層理やラミナを形成している．志駒川岩本付近では，砂岩層の中に泥質砂岩が挟まれ，その中に例外的に粗粒～火山礫スコリア凝灰岩層やハイゴマ凝灰岩層が存在する．</p><p>黒滝層中に砕屑岩脈が稀に認められる．相川の腰越付近においては，黒滝層中にN47°E，78°S，脈幅1～10cmの砕屑岩脈が発達し，岩脈の中を細粒の軽石とスコリアが充填している．他の地域では，砕屑岩脈の充填物が黒滝層下部の礫岩に由来するものもある．</p><div class=\"image-holder overview-landing-limg\" id=\"F4.1\"><a href=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0049-0001.png\" target=\"_blank\" class=\"fig-open-link\"><img class=\"halfsize\" loading=\"lazy\" decoding=\"async\" src=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0049-0001.png\"></a><div class=\"figures-tables-support-txt\"><h6><span class=\"fig-label\">第4.1図</span> 斜層理の発達する黒滝層の砂岩</h6><p>富津市岩本．</p></div></div></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"層厚\" tabindex=\"-1\"><h2>層厚</h2><p>第4.1表に各地における黒滝層の層厚を示す．萩生―法ノ木の東西断面では，最も厚いところは相川下流居作の96m，最も薄いのは法ノ木の0.7mである．西側の岩本―萩生間と東側の高宕山―高宕川間で厚く発達し，60～90m台となる（地質図，第4.2図）．寺尾背斜の北では，1～7mで薄い．</p><div class=\"image-holder overview-landing-limg\" id=\"T4.1\"><a href=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0050-0001.png\" target=\"_blank\" class=\"fig-open-link\"><img class=\"halfsize\" loading=\"lazy\" decoding=\"async\" src=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0050-0001.png\"></a><div class=\"figures-tables-support-txt\"><h6><span class=\"fig-label\">第4.1表</span> 黒滝層の層厚（単位：m）</h6><p>距離は萩生を起点として計測．</p></div></div><div class=\"image-holder overview-landing-limg\" id=\"F4.2\"><a href=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0050-0002.png\" target=\"_blank\" class=\"fig-open-link\"><img class=\"halfsize\" loading=\"lazy\" decoding=\"async\" src=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0050-0002.png\"></a><div class=\"figures-tables-support-txt\"><h6><span class=\"fig-label\">第4.2図</span> 黒滝層の層厚変化</h6></div></div></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"化石\" tabindex=\"-1\"><h2>化石</h2><p>黒滝層中には貝類をはじめ石灰藻，腕足類，棘皮動物など多くの化石が産する．大原・高橋（1975）が黒滝層の貝化石についてまとまった報告をしている．それによると，大部分の種類は日本列島近海に生息する現生種であるが，鮮新統に限って産する種類も含まれている．また，黒滝貝化石群は，岩礁性の種類が卓越し，浅海区下部と上部の要素が混合している．その環境は温暖な海流の影響を受けた浅海区下部で，岩礁性海岸に近く，潮間帯～上浅海帯に生息していた種類が潮流などで運ばれて堆積する場所であると推定された．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"対比\" tabindex=\"-1\"><h2>対比</h2><p>Otuka（1949）の竹岡凝灰質角礫岩，小池（1949）の竹岡凝灰角礫岩層及び駒場凝灰角礫岩層は黒滝層に対比される（第3.1表）．</p></div></div><div id=\"sec-4-2\" class=\"section\" data-lv=\"2\" tabindex=\"-1\"><h1>4.2 十宮層（To）</h1><span id=\"m1014_f033\"></span><span id=\"m1014_u035_To\"></span><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"命名\" tabindex=\"-1\"><h2>命名</h2><p>Otuka（1949）．命名時は十宮凝灰質砂岩とされた．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"模式地\" tabindex=\"-1\"><h2>模式地</h2><p>富津市十宮から竹岡に至る海岸．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"分布\" tabindex=\"-1\"><h2>分布</h2><p>黒滝層とほぼ同様の分布をする．本地域東部の法ノ木背斜の北側から西へ，湊川下流の南部丘陵に沿って分布し，十宮・竹岡海岸に達する．また，湊川下流北側の寺尾背斜の周囲に分布する．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"層序\" tabindex=\"-1\"><h2>層序</h2><p>本層は，黒滝層の礫岩・砂岩層の上に重なる泥質砂岩・砂質泥岩からなる地層である．下位の黒滝層に整合に重なる．上位は黄和田層によって整合に覆われる．</p><p>凝灰岩鍵層による定義では，To1～Kd38の間が本層である．黒滝層のところで述べたように，富津地域の湊川関付近から東へ，大多喜地域の笹川に向かって十宮層が黒滝層の上にアバットしている．本地域東部では十宮層の下部は黒滝層と同時異相になっている．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"岩相\" tabindex=\"-1\"><h2>岩相</h2><p>主に砂質泥岩と泥質砂岩よりなり，少量の中粒～粗粒砂岩を含む．凝灰岩層は多数挟まれる．西海岸の萩生から東の法ノ木に至る東西断面では，下部が泥質砂岩と少量の中粒～粗粒砂岩からなり，上部は砂質泥岩と泥質砂岩からなる．但し，西海岸の萩生では全体が泥質砂岩と少量の中粒砂岩からなる（第4.3図）．すなわち，十宮層は上部及び東部に向かって細粒になる傾向がある．湊川下流北部の寺尾背斜の周囲では，十宮層全体が泥質砂岩と中粒砂岩からなる．</p><div class=\"image-holder overview-landing-limg\" id=\"F4.3\"><a href=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0051-0001.png\" target=\"_blank\" class=\"fig-open-link\"><img class=\"halfsize\" loading=\"lazy\" decoding=\"async\" src=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0051-0001.png\"></a><div class=\"figures-tables-support-txt\"><h6><span class=\"fig-label\">第4.3図</span> 十宮層の層厚・岩相変化</h6></div></div><div id=\"sec-4-2-1\" class=\"section\" data-lv=\"6\" tabindex=\"-1\"><h1>a． 砂質泥岩・泥質砂岩</h1><p>本層の砂質泥岩・泥質砂岩は天津・安野両層のものと基本的に変わらない．両岩相ともに生痕化石や保存状態の良い貝化石をしばしば含む．</p><p>泥質砂岩は凝灰質であることが多いため，間に挟まれる凝灰岩層との境界が不明瞭である．泥質砂岩の中には，粗粒な砂粒子からなる不明瞭なラミナやlenticular beddingが認められ，陸棚泥帯の波浪限界に近い環境の堆積物であることが推測される（中嶋，1978）．下部の泥質砂岩に挟まれる中粒～粗粒砂岩は，スコリア又はゴマシオ凝灰岩質でトラフ状の斜層理やflaser beddingを持ち，堆積盆が一時的にさらに浅海域に近い環境になったことを示す．</p><p>砂質泥岩は，間に挟まれる凝灰岩層との境界が明瞭である．砂質泥岩の中にはlenticular beddingや砂岩の薄いレンズが存在する．</p></div><div id=\"sec-4-2-2\" class=\"section\" data-lv=\"6\" tabindex=\"-1\"><h1>b． 凝灰岩</h1><p>十宮層には天津・安野層と同様に，スコリア凝灰岩，軽石凝灰岩，ゴマシオ凝灰岩，細粒凝灰岩など多数の凝灰岩層が存在する．凝灰岩層は厚さの範囲，種類ともに両層のものと同じである．</p><p>十宮層下部の泥質砂岩中の凝灰岩層は，前述のように周囲の泥質砂岩が凝灰質であるため境界が不明瞭で見分けにくい．また，波浪限界に近い浅い堆積環境であったため，一度海底に堆積した凝灰岩層が波浪や海流などの作用によって浸食され断片的になっていることが多い．</p><p>第4.4図に十宮層の代表的な凝灰岩鍵層To3を示す．この凝灰岩は十宮層下部の泥質砂岩・中粒砂岩の中に存在し，厚さ30～40cmの中粒ゴマシオ凝灰岩（上部）と厚さ14～40cmの極粗粒スコリア凝灰岩（下部）などからなる．To3下部の極粗粒スコリア凝灰岩は内部に層構造をもち，上・中部は正級化を示す1～2ユニットのスコリア凝灰岩，下部は厚さ4～5cmの逆級化を示す極粗粒軽石凝灰岩からなる．このような層構造をもつ凝灰岩は，安野層の凝灰岩鍵層An2，An46，An158等と同様なタイプに属し（III-2-c），上・中部のスコリア凝灰岩はタービダイト凝灰岩，下部の軽石凝灰岩は降下火山灰起源の凝灰岩である．</p><p>To3は，西海岸の萩生では，黒滝層の上6mの位置に存在し，下部の極粗粒スコリア凝灰岩は火山礫サイズまで粗粒となる．しかし，このスコリア凝灰岩層は側方数mのところではその全体が浸食されてしまい，堆積時の波浪や海流の強い影響を認めることができる．</p><p>凝灰岩鍵層To12は十宮層上部にあり，上から極粗粒軽石凝灰岩（2～8cm），黒色細粒スコリア凝灰岩（2～6cm），極粗粒ハイゴマ凝灰岩＋粗粒逆級化軽石凝灰岩（9～23cm）の3層からなる（第4.5図）．それぞれの特徴は細部にわたって広い範囲に維持される．しかし，一番上の極粗粒軽石凝灰岩は，層としてまとまって存在する状態から凝灰岩を構成する軽石粒子が泥質砂岩中に散らばって存在する状態まで，その産状はかなり変化する．</p><div class=\"image-holder overview-landing-limg\" id=\"F4.4\"><a href=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0052-0001.png\" target=\"_blank\" class=\"fig-open-link\"><img class=\"halfsize\" loading=\"lazy\" decoding=\"async\" src=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0052-0001.png\"></a><div class=\"figures-tables-support-txt\"><h6><span class=\"fig-label\">第4.4図</span> 十宮層の凝灰岩鍵層To3（ホトトギス）の柱状図</h6><p>To3は3～5層の凝灰岩の組み合わせである．カッコ内は鍵層のニックネーム．凡例は第3.3図に示す．</p></div></div><div class=\"image-holder overview-landing-limg\" id=\"F4.5\"><a href=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0054-0001.png\" target=\"_blank\" class=\"fig-open-link\"><img class=\"halfsize\" loading=\"lazy\" decoding=\"async\" src=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0054-0001.png\"></a><div class=\"figures-tables-support-txt\"><h6><span class=\"fig-label\">第4.5図</span> 十宮層の凝灰岩鍵層To12（お嬢さん）の柱状図</h6><p>カッコ内は鍵層のニックネーム．凡例は第3.3図に示す．</p></div></div></div></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"層厚\" tabindex=\"-1\"><h2>層厚</h2><p>第4.2表に十宮層の各地の層厚を示す．層厚は大部分の地域で36～57mと均一であるが，湊川の関で71mと最も大きな値となっている．</p><div class=\"image-holder overview-landing-limg\" id=\"T4.2\"><a href=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0053-0001.png\" target=\"_blank\" class=\"fig-open-link\"><img class=\"halfsize\" loading=\"lazy\" decoding=\"async\" src=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0053-0001.png\"></a><div class=\"figures-tables-support-txt\"><h6><span class=\"fig-label\">第4.2表</span> 十宮層の主要鍵層間累積層厚</h6><p>距離は萩生を起点として計測．</p></div></div></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"化石\" tabindex=\"-1\"><h2>化石</h2><p>Otuka（1949）は，本層より多数の貝化石を報告している．その多くは現生種である．また，その生息環境は，暖流の影響を受ける陸棚から大陸斜面の半深海性種である．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"対比\" tabindex=\"-1\"><h2>対比</h2><p>小池（1949）の十宮凝灰質砂岩層の中・下部に相当する．なお，正式の地層名ではないが，三梨（1954）の十宮凝灰質砂岩相は，その中に記載された代表的な2層の凝灰岩鍵層がKd38とKd23に相当するので，少なくともその上部は本報告の黄和田層に当たる．</p></div></div><div id=\"sec-4-3\" class=\"section\" data-lv=\"2\" tabindex=\"-1\"><h1>4.3 黄和田層（Kd）</h1><span id=\"m1014_f032\"></span><span id=\"m1014_u033_Kdl\"></span><span id=\"m1014_u034_Kd\"></span><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"命名\" tabindex=\"-1\"><h2>命名</h2><p>植田（1930）．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"模式地\" tabindex=\"-1\"><h2>模式地</h2><p>君津市黄和田畑．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"分布\" tabindex=\"-1\"><h2>分布</h2><p>本地域東部の法ノ木背斜北翼から西へ分布し，高宕山向斜の西延長に当たる関向斜の軸部を広く占める．さらに西側では湊川下流の低地に沿って，富津市六野，台原から上総湊の市街地を通って十宮海岸に至る．また，十宮層と同様に湊川下流北側の寺尾背斜の周囲に分布する．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"層序\" tabindex=\"-1\"><h2>層序</h2><p>植田（1930）による命名時の記載では，主として凝灰質頁岩よりなる地層とあるだけで詳細はない．三梨ほか（1959）が再定義し，君津市黄和田畑を模式地として，凝灰岩鍵層Kd2～Kd38の間の泥岩層を黄和田泥岩層とした．ここでは基本的にその定義に従うが，鍵層Kd2については記載がなく，広域的にも追跡されていないことから，上限については，再定義が必要となる．</p><p>黄和田層上位の大田代層基底部にある凝灰岩鍵層O26，O27は，富津地域にも認められる広域的な鍵層である．したがって，ここではO27をもって黄和田層と大田代層の境界とする．すなわち，凝灰岩鍵層による定義では，O27～Kd38の間が黄和田層である．なお，地質図上では，鍵層O26を黄和田・大田代両層の境界として示している．O26は，容易に追跡でき，多くの場所に認められる鍵層である．O27との距離もごく近く，5万分の1地質図上では位置の差は微小である．</p><p>本層は，十宮層の泥質砂岩・砂質泥岩に整合に重なる．上位は大田代層によって整合に覆われる．上下の境界付近では岩相の差がないか漸移的．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"岩相\" tabindex=\"-1\"><h2>岩相</h2><p>主として泥岩，砂質泥岩及び泥質砂岩よりなる．法ノ木から高溝にかけて黄和田層中部にタービダイト砂岩層が少し挟まれる．また，高溝から湊川中流関，志駒川下流関尻付近にかけて中部に厚いスランプ堆積層が存在する．黄和田層には十宮層と同様に凝灰岩層が多数存在する．</p><div id=\"sec-4-3-1\" class=\"section\" data-lv=\"6\" tabindex=\"-1\"><h1>a． 泥岩・砂質泥岩・泥質砂岩</h1><p>本地域の黄和田層は西海岸の十宮付近を除くと，おおまかに下部の鍵層Kd23以下が泥質砂岩，鍵層Kd8-Kd23間が砂質泥岩，鍵層Kd8以上が粗粒～中粒泥岩からなる．すなわち，黄和田層は上部に向かって細粒化する（第4.6図）．しかし，詳細に見ると黄和田層の岩相変化は富津地域内ではかなり変化に富んでいる．</p><p>側方の岩相変化を十宮―法ノ木の東西断面についてみると，黄和田層下部は東部の法ノ木では，鍵層Kd23以下が全て泥質砂岩であるが，西に向かって細粒化し，次第に砂質泥岩に置き換わる．本地域中部，関と小志駒の間では鍵層Kd23以下は全て砂質泥岩となる．しかし，小志駒からさらに西の十宮付近に至ると黄和田層下部は再び粗粒化して鍵層Kd23-Kd38間は泥質砂岩に変わる．</p><p>泥質砂岩の上に重なる砂質泥岩の上限，すなわち上位の粗粒～中粒泥岩との境界は法ノ木では鍵層Kd23の少し上にあるが，西に向かって次第に上位に移動し，小志駒付近では鍵層Kd8を越え，その結果，粗粒～中粒泥岩の範囲は狭まり，黄和田層の下半部が砂質泥岩によって占められてしまう．さらに西の十宮付近になると，一層粗粒化して粗粒～中粒泥岩の岩相はなくなり，黄和田層中部が砂質泥岩，上部が泥質砂岩によって占められる．とくに，上部の泥質砂岩は，その中に斜層理を持つ中粒砂岩を挟むほど粗くなる．</p><p>東西断面全体として見れば，西に向かって粗くなると言ってよいが，その実態は上記のように単純ではない．</p><p>寺尾背斜周囲の寺尾北―恩田の東西断面では，黄和田層中・下部の砂質泥岩の上限はKd5付近まで拡がっているので，南の十宮―法ノ木の東西断面に比較すると，北に向かって黄和田層の粗粒化する傾向が認められる（第4.6図）．</p><p>なお，黄和田層の砂質泥岩と泥質砂岩には，十宮層と同様に，その中に粗粒な砂粒子からなる不明瞭なラミナやlenticular beddingが認められる．</p><div class=\"image-holder overview-landing-limg\" id=\"F4.6\"><a href=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0055-0001.png\" target=\"_blank\" class=\"fig-open-link\"><img class=\"halfsize\" loading=\"lazy\" decoding=\"async\" src=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0055-0001.png\"></a><div class=\"figures-tables-support-txt\"><h6><span class=\"fig-label\">第4.6図</span> 黄和田層の層厚・岩相変化</h6></div></div></div><div id=\"sec-4-3-2\" class=\"section\" data-lv=\"6\" tabindex=\"-1\"><h1>b． 砂岩</h1><p>タービダイト砂岩は黄和田層の中には少なく，東部の法ノ木から高溝付近にかけて黄和田層中部に若干認められるのみ．法ノ木では，厚さ0.8～1mの細粒～中粒タービダイト砂岩が少しまとまって見られるが，高溝付近になると厚さ10～50cmの細粒タービダイト砂岩が4～5層存在するだけである．</p></div><div id=\"sec-4-3-3\" class=\"section\" data-lv=\"6\" tabindex=\"-1\"><h1>c． スランプ堆積層</h1><p>本層中部には大規模なスランプ堆積層（Tmzスランプ層）が存在する（第4.6図）．このスランプ堆積層は高溝付近から関を経て，志駒川下流の関尻，小志駒まで分布し，一部はさらに西の横山付近に達する．高溝―関間で最も厚く，層厚29～30mになる．このスランプ堆積層の下部はタイプIIの砂質泥岩，流状シルト岩，含礫泥岩などからなる．上部は地層の褶曲変形からなるタイプIのスランプ堆積層である（第4.7図，第3.2表）．</p><p>上部のタイプIは，スランプ堆積層全体の厚くなる高溝―関尻間に存在し，それより東あるいは西側では尖滅する．一方，下部のタイプIIはタイプIより連続性が良く，東西に拡がっている．Tmzスランプ層は下位の地層を大きく削剥している．このスランプ層はKd4の直下に存在するが，スランプ堆積層基底の削剥は，Kd5からKd23直上までのいろいろなレベルに及ぶ．</p><p>高溝から関にかけては，タイプIとIIの間に砂岩，礫岩，泥質砂岩が介在する．この粗粒層は一部液状化して，上位のタイプIのスランプ堆積層中に貫入している．関付近の湊川河床の観察では，この砂岩・礫岩層は単層の厚さが1～5mで，4～5ユニットからなる．また，それぞれの層の基底部が下位層をチャネル状に浸食している部分もある．チャネル壁の方向は，N10-15°Wで南北に近い．</p><div class=\"image-holder overview-landing-limg\" id=\"F4.7\"><a href=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0056-0001.png\" target=\"_blank\" class=\"fig-open-link\"><img class=\"halfsize\" loading=\"lazy\" decoding=\"async\" src=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0056-0001.png\"></a><div class=\"figures-tables-support-txt\"><h6><span class=\"fig-label\">第4.7図</span> 黄和田層Tmzスランプ層の概念図</h6></div></div></div><div id=\"sec-4-3-4\" class=\"section\" data-lv=\"6\" tabindex=\"-1\"><h1>d． 凝灰岩</h1><p>黄和田層には，十宮層と同様に多様な凝灰岩層が存在する．種類としては，ハイゴマ凝灰岩が最も多く，スコリア凝灰岩がそれに次ぐ．軽石凝灰岩，ゴマシオ凝灰岩，細粒凝灰岩などは少ない．</p><p>スコリア凝灰岩が出現して，凝灰岩層が多様化した天津層下部から黄和田層までを通して見ると，この間凝灰岩の数は多く，その出現間隔は，泥岩層の厚さにしておよそ10cm～3mおきである．その中でもとくに凝灰岩層の多いのは，天津層小湊凝灰岩部層中と黄和田層下部の鍵層Kd23～Kd38の間である．その出現間隔は泥岩層約10～50cmおきで，非常に高い頻度である．</p><p>しかし，黄和田層上部のKd8付近から上になると凝灰岩層は急激に減少する．凝灰岩層の出現間隔は約3～10mおきになり，ひとつの露頭で1～2層の凝灰岩が見える程度になる．以後，凝灰岩数の少なくなる傾向は上総層群の上部まで続くので，Kd8付近は，凝灰岩数の急減する層準として重要である．</p><p>第4.8図には黄和田層の代表的な凝灰岩鍵層Kd38を示す．鍵層Kd38は黄和田層基底の泥質砂岩～砂質泥岩の中に存在する．厚さ3～40cmの凝灰岩層の8～10層の組み合わせからなる．中粒～粗粒のゴマシオ凝灰岩とハイゴマ凝灰岩が多く，下部にベージュ～ピンク色の細粒凝灰岩が1層存在するのが特徴である．ゴマシオ及びハイゴマ凝灰岩は，正級化層理を示すタービダイト凝灰岩であるが，その多くは上部にスコリアを多く含み2層構造をなす．凝灰岩のタイプはI-1-cである（第3.15図）．鍵層Kd38の上部にある厚さ20cm前後の中粒ゴマシオ凝灰岩は，その基底3～4cmが細粒となっていて2層構造をなし，タイプIII-2-bの凝灰岩である．この特徴はKd38を識別するのに役立つ．</p><p>鍵層Kd38を凝灰岩層の間の泥岩層を含めて全体として見ると，層厚変化は小さく，東の法ノ木から西海岸の十宮までほぼ均一の厚さである．泥岩層は本地域中部の関から小志駒にかけては砂質泥岩，その東及び西側では粗粒化して泥質砂岩となる．西海岸では，Kd38下部の細粒凝灰岩は，周囲の泥岩が粗粒になるにもかかわらず厚くなっている．</p><p>第4.9図には凝灰岩鍵層Kd23を示す．この鍵層及び上位の鍵層の中には，中粒から粗粒のゴマシオ及びハイゴマ凝灰岩層が多い．凝灰岩層と互層する砂質泥岩や泥質砂岩の中には，中粒～ラピリサイズの軽石やスコリアの粒子が特定の層準に数多く散っている．これらの泥質岩中の粒子は，海面に降下した火山灰が泥の粒子とともに海中を沈降して海底に堆積したもので，タイプII-1の凝灰岩に属する．</p><p>鍵層Kd23を構成する凝灰岩層のなかで目立つのは，上部にある厚さ40～50cmの凝灰岩である．この凝灰岩層は上部が極粗粒～ラピリサイズの正級化ハイゴマ凝灰岩，下部が中粒～粗粒の正級化ゴマシオ凝灰岩の2層構造で，タイプI-2-bの凝灰岩である．この凝灰岩層の10cmほど下には，ピンク色を帯びた白色細粒凝灰岩が存在することがあるが，間の泥岩層が粗粒化して泥質砂岩になっている場所には見られない．Kd23及びその上位の凝灰岩層には，2層構造のものが多い．凝灰岩のタイプでは，I-1-b，I-1-c，I-2-bなどである．</p><p>層厚変化は，Kd23から上位の鍵層En tuffまで全体を通して見ると，均一で変化は小さい．しかし，湊川下流域の北側，寺尾背斜南翼の台原では明らかに厚くなる傾向がある．</p><div class=\"image-holder overview-landing-limg\" id=\"F4.8\"><a href=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0057-0001.png\" target=\"_blank\" class=\"fig-open-link\"><img class=\"halfsize\" loading=\"lazy\" decoding=\"async\" src=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0057-0001.png\"></a><div class=\"figures-tables-support-txt\"><h6><span class=\"fig-label\">第4.8図</span> 黄和田層の凝灰岩鍵層Kd38（一姫二太郎）の柱状図</h6><p>カッコ内は鍵層のニックネーム．凡例は第3.3図に示す．</p></div></div><div class=\"image-holder overview-landing-limg\" id=\"F4.9\"><a href=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0058-0001.png\" target=\"_blank\" class=\"fig-open-link\"><img class=\"halfsize\" loading=\"lazy\" decoding=\"async\" src=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0058-0001.png\"></a><div class=\"figures-tables-support-txt\"><h6><span class=\"fig-label\">第4.9図</span> 黄和田層の凝灰岩鍵層Kd23（おいろけ）の柱状図</h6><p>Kd23の上下は凝灰岩層が非常に多いので番号では鍵層を憶えきれない．カッコ内は鍵層のニックネーム．凡例は第3.3図に示す．</p></div></div></div></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"層厚\" tabindex=\"-1\"><h2>層厚</h2><p>西から萩生51m，小志駒79m，関86m，高溝100m，法ノ木81mである．寺尾背斜北翼の東大和田北では57mの層厚である（第4.3表）．東西断面では，高溝が最も厚く，西に向かって薄くなる．南北断面では北側が薄くなっている．</p><div class=\"image-holder overview-landing-limg\" id=\"T4.3\"><a href=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0059-0001.png\" target=\"_blank\" class=\"fig-open-link\"><img class=\"halfsize\" loading=\"lazy\" decoding=\"async\" src=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0059-0001.png\"></a><div class=\"figures-tables-support-txt\"><h6><span class=\"fig-label\">第4.3表</span> 黄和田層の主要鍵層間累積層厚</h6><p>距離は萩生を起点として計測．</p></div></div></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"対比\" tabindex=\"-1\"><h2>対比</h2><p>小池（1949），三梨（1990）の高溝泥岩層又は高溝層の下部と十宮凝灰質砂岩層又は十宮層の上部は本層に相当する（第3.1表）．微化石・古地磁気層序によれば，本層中の凝灰岩鍵層Kd38の直上に鮮新・更新統境界がある（新妻，1976；Oda，1977；佐藤ほか，1988）．</p></div></div><div id=\"sec-4-4\" class=\"section\" data-lv=\"2\" tabindex=\"-1\"><h1>4.4 大田代層（Ot）</h1><span id=\"m1014_f031\"></span><span id=\"m1014_u032_Ot\"></span><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"命名\" tabindex=\"-1\"><h2>命名</h2><p>植田（1933）．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"模式地\" tabindex=\"-1\"><h2>模式地</h2><p>大多喜町大田代．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"分布\" tabindex=\"-1\"><h2>分布</h2><p>本地域東部の法ノ木から西へ，宇藤原から大川崎まで分布し，そこから芹向斜によって北側に分布を繰り返す．北側の分布は更に寺尾背斜によってもう一度北へ繰り返され，寺尾背斜北翼を新田から西へ，東大和田北，寺尾北，駒場を経て，上総湊市街地に達する．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"層序\" tabindex=\"-1\"><h2>層序</h2><p>植田（1933）による命名時には岩相の記載はない．三梨ほか（1959）が大多喜町大田代を模式地として，本層の岩相の定義と凝灰岩鍵層の記載を行った．ここに用いる大田代層はその定義に従う．</p><p>模式地では，大田代層は砂勝ち互層と泥勝ち互層の繰り返しであるが，大多喜地域西部から富津地域にかけて全体が泥勝ち互層及び泥岩層へと岩相が変わる．とくに，大田代層の下部は下位の黄和田層と似たような岩相になり区別がつかなくなる．大田代層の下限は，前項の黄和田層で述べたように鍵層O27によって定義される．</p><p>上限については，富津地域東部の法ノ木，高溝の北にかけては，大多喜地域から引き続いて大田代層の上位に梅ヶ瀬層の厚いタービダイト砂岩からなる砂勝ち砂泥互層が重なるので，泥勝ち砂泥互層からなる大田代層上部との境界は明瞭である．しかし，富津地域中部の寺尾背斜北翼では，梅ヶ瀬層下部のタービダイト砂岩が尖滅して泥勝ち砂泥互層又は泥岩層となり，岩相による大田代層と梅ヶ瀬層の識別は困難になる．</p><p>梅ヶ瀬・大田代両層境界付近の凝灰岩鍵層として，富津地域においてはU10，O1，O7，O8などが認められる．三梨ほか（1959）の地層の定義では，U10とO1が梅ヶ瀬層，O7とO8が大田代層に属する．梅ヶ瀬層下部のOlと大田代層上部のO7の間には，広域的に追跡できる目立った凝灰岩鍵層が認められない．しかし，問題となる寺尾背斜北翼においては梅ヶ瀬・大田代両層中のタービダイト砂岩の尖滅に伴い全体の層厚が大きく減少し，鍵層O1とO7は短い距離に接近する．したがって，寺尾背斜北翼においては，他の地域のO1-O7間の両層境界位置からおおまかに推定して鍵層O1の約10m下を境界とした．</p><p>大田代層と黄和田・梅ヶ瀬両層の関係は整合である．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"岩相\" tabindex=\"-1\"><h2>岩相</h2><p>主としてタービダイト砂岩・泥岩互層と泥岩層からなる．凝灰岩層は，先に述べたように黄和田層中・下部に較べると少なく，とくに本層の上部には稀である．スランプ堆積層は2層認められる．</p><p>高溝と法ノ木の東西断面では，大田代層上部（O7より上）と最下部（O18とO26の間）の2層準に泥勝ち砂泥互層が存在する（第4.10図）．上部の泥勝ち互層にはタービダイト砂岩層の数が多く，とくに最上部でその数が増す．法ノ木では，上部の砂泥互層の中ほどに，砂勝ち互層が少し現れる．</p><p>大田代層基底部，黄和田層との境界近くは（O26とO27の間），タービダイト砂岩が含まれず，泥岩層のみである．大田代層に入ってタービダイト砂岩が頻繁に現れるようになるのはO26以上である．しかし，大田代層下部は上部に較べ，タービダイト砂岩層の挟みが少なく泥岩層を主とする岩相である．</p><p>寺尾背斜北翼になると，大田代層中のタービダイト砂岩の数は一層減少し，大田代層全体が泥岩層を主とする岩相に変わる．ただし，西海岸の上総湊に至ると，中部のO7層準付近に比較的厚いタービダイト砂岩を含む砂泥互層が再び現れる．</p><div class=\"image-holder overview-landing-limg\" id=\"F4.10\"><a href=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0060-0001.png\" target=\"_blank\" class=\"fig-open-link\"><img class=\"halfsize\" loading=\"lazy\" decoding=\"async\" src=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0060-0001.png\"></a><div class=\"figures-tables-support-txt\"><h6><span class=\"fig-label\">第4.10図</span> 大田代層の層厚・岩相変化</h6></div></div><div id=\"sec-4-4-1\" class=\"section\" data-lv=\"6\" tabindex=\"-1\"><h1>a． 泥岩・砂質泥岩</h1><p>高溝―法ノ木間の泥岩は中粒～粗粒泥岩である．寺尾背斜北翼においては，泥岩は少し粗粒化し，大田代層中・下部が粗粒泥岩，上部が粗粒泥岩～砂質泥岩に変わる．泥岩中には生痕がしばしば存在するが，それ以外は一般に塊状・均質で，堆積構造は認められない．</p><p>大田代層の泥岩は，安房層群の安野層～天津層の泥岩と堆積学的特徴はほとんど変わらないが，岩石の硬さは明らかに減少している．大田代層の泥岩はピッケルや堆積ハンマーで容易に割ることができる．</p></div><div id=\"sec-4-4-2\" class=\"section\" data-lv=\"6\" tabindex=\"-1\"><h1>b． 砂岩</h1><p>大田代層のタービダイト砂岩は，隣接の大多喜地域において厚く発達する．富津地域では，厚さ1mを超えるタービダイト砂岩は稀で，大半が厚さ1～50cmである．ソールマークを使った古流向解析などから，富津地域のタービダイト砂岩はタービダイト堆積盆上流縁辺部に堆積したものと考えられている（Hirayama and Naka-jima，1977）．</p><p>大田代層上部のタービダイト砂岩については，法ノ木において厚さ1～50cmの細粒～粗粒砂岩が多く見られる．また，上部の中ほどに厚さ100～200cmの粗粒砂岩（単層基底の粒度）が少量存在する．高溝では，上部のタービダイト砂岩層の数は変わらないが，厚さは1～25cmと薄くなる．</p><p>大田代層最下部のタービダイト砂岩については，法ノ木―高溝において厚さ1～10cmの極細粒～細粒砂岩が存在する．また，高溝の西方，大川崎付近の芹向斜南翼では，鍵層O26の上部に厚さ35～80cmの細粒砂岩が挟まれ，タービダイト砂岩の厚さが増している（第4.11図）．大田代層最下部の厚さはそれに伴って増加する．</p><p>芹向斜の褶曲軸付近と北翼に当たる東大和田の湊川及びその東側支流の河床には，大田代層最下部（O27-O26間及びその少し上部）と東日笠層が分布している．ここでは，大田代層最下部が東日笠層に接し，その一部が東日笠層の基底において浸食されている様子が観察される．また，東日笠層の北側に接する大田代層最下部には，厚さ50～500cmの厚いタービダイト砂岩が認められる．このタービダイト砂岩は，東日笠層の項で述べるように，東日笠海底谷を流れたturbidity currentsの谷からのオーバーフロー堆積物と考えられる．</p><p>大田代層最下部は東大和田から北側へ，寺尾背斜によって繰り返し分布するが，北側ではタービダイト砂岩の厚さと数が減じている．大田代層全体としても寺尾背斜北翼では，厚さ1～10cm程度の細粒タービダイト砂岩が少量含まれているに過ぎない．</p></div><div id=\"sec-4-4-3\" class=\"section\" data-lv=\"6\" tabindex=\"-1\"><h1>c． スランプ堆積層</h1><p>2層のスランプ堆積層のうち1層は大田代層中部にあり，高溝付近から寺尾背斜北翼にかけて，凝灰岩鍵層O7の少し上に位置する．このスランプ堆積層は下位の地層を鍵層O8のレベルの少し上まで浸食している．このため鍵層O7はこの間で存在しない．</p><p>このスランプ堆積層の厚さは，高溝付近で約10mある．下部約2mが含礫泥岩，その上は粗粒～砂質泥岩と薄いタービダイト砂岩からなる泥勝ち互層が強く褶曲したタイプのスランプ層が重なる．すなわち，これはタイプIIの下部とタイプIの上部からなるスランプ堆積層であり，黄和田層のTmzスランプ層に類似している．寺尾背斜北翼（東大和田の北）では，このスランプ堆積層は厚さ3～4mの粗粒泥岩（タイプII）からなる．一見上下の泥岩と区別しにくい．</p><p>大田代層のもう1層のスランプ堆積層は，大田代層最下部にある厚さ1～2mの含礫泥岩である．このスランプ堆積層は，東大和田の芹向斜軸部付近に存在する．</p></div><div id=\"sec-4-4-4\" class=\"section\" data-lv=\"6\" tabindex=\"-1\"><h1>d． 凝灰岩</h1><p>先にも述べたように，黄和田層に較べると大田代層においては凝灰岩層の数が大きく減少する．その中でやや多いのは白色～淡灰色～ベージュ色の細粒凝灰岩である．次いでスコリア凝灰岩の薄層が見られ，ゴマシオ凝灰岩やハイゴマ凝灰岩は少ない．大田代層の代表的鍵層であるO7，O11，O18，O26，O27等はいずれも白色～淡灰色～ベージュ色の細粒凝灰岩が主である．</p><p>鍵層O7は大田代層中部に位置する1層のベージュ色細粒凝灰岩からなる（付図第1図）．法ノ木で厚さ31cmあり，大田代層の中で最も厚い凝灰岩のひとつである．これより上，大田代層の上部には目立った凝灰岩層がないので，1層ではあるが鍵層としての確認は容易である．しかし，O7の判定を確実にしたい場合には，約10m下に鍵層O8が存在するかどうか確かめる．O8は，厚さ2～5cmの淘汰度の良い中粒スコリア凝灰岩（タイプII-2-a）である（第3.15図）．多くの場合2層構造になっている特徴をもつ．大田代層中には他にこのような例はないので，O8の鍵層としての判定はむずかしくない．法ノ木より西では，O7は直上のスランプ堆積層によって浸食され存在しないが，O8は浸食をのがれ広く追跡することができる．</p><p>第4.11図は，凝灰岩鍵層O26の側方変化を示している．O26は，上部の厚さ3～5cmのスコリアシルトと下部の厚さ11～53cmのベージュ色～灰白色細粒凝灰岩の組み合わせである．上部のスコリアシルトは内部が2層に分かれていて，上半が淡紫色，下半が黒色である．下部のベージュ色～灰白色細粒凝灰岩も同様に2層構造になっていることが多い．その場合は，上部がシルトサイズの細粒凝灰岩，下部が凝灰質細粒砂岩～砂質凝灰岩である．</p><p>O26全体としては，大川崎―法ノ木の東西断面では中部の大川崎で最も厚い．間に挟まれるタービダイト砂岩も同様である．O26下部の細粒凝灰岩は，厚くなるにしたがって含まれるユニットの数が増え，大川崎では3つの正級化ユニットからなる．大川崎から北へ，芹向斜，寺尾背斜を越えるにしたがいO26は層厚を減じる．</p><p>凝灰岩鍵層O18は，上部から厚さ1～2cmのスコリアシルト～中粒スコリア凝灰岩，2～4cmの細粒ゴマシオ凝灰岩，13～23cmの中粒ゴマシオ凝灰岩の3層からなる（第4.12図）．中部の細粒ゴマシオ凝灰岩は内部が2層構造で，下部1cmが灰白色細粒凝灰岩，その上が細粒ゴマシオ凝灰岩である．O18下部のゴマシオ凝灰岩も2層構造で，こちらは上部が灰白色細粒凝灰岩，下部が中粒ゴマシオ凝灰岩となっている．O18を構成する個々の凝灰岩層は厚さの変化があまりなく，内部構造も側方によく保たれる．全体の層厚は，高溝―法ノ木の東西断面では西に向かって少しずつ減少し，北へは寺尾背斜北翼に向かって大きく減少する．</p><div class=\"image-holder overview-landing-limg\" id=\"F4.11\"><a href=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0062-0001.png\" target=\"_blank\" class=\"fig-open-link\"><img class=\"halfsize\" loading=\"lazy\" decoding=\"async\" src=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0062-0001.png\"></a><div class=\"figures-tables-support-txt\"><h6><span class=\"fig-label\">第4.11図</span> 大田代層の凝灰岩鍵層O26（トリガー）の柱状図</h6><p>O26は上部がスコリアシルト，下部が淡灰色細粒凝灰岩からなる．カッコ内は鍵層のニックネーム．凡例は第3.3図に示す．</p></div></div><div class=\"image-holder overview-landing-limg\" id=\"F4.12\"><a href=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0063-0001.png\" target=\"_blank\" class=\"fig-open-link\"><img class=\"halfsize\" loading=\"lazy\" decoding=\"async\" src=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0063-0001.png\"></a><div class=\"figures-tables-support-txt\"><h6><span class=\"fig-label\">第4.12図</span> 大田代層の凝灰岩鍵層O18（梅雨）の柱状図</h6><p>O18は1層のスコリアシルトと2層のゴマシオ凝灰岩からなる．カッコ内は鍵層のニックネーム．凡例は第3.3図に示す．</p></div></div></div></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"層厚\" tabindex=\"-1\"><h2>層厚</h2><p>西から高溝138m，高宕川148m，法ノ木207mで，東に向かって厚くなる．北側の寺尾背斜北翼では，西から寺尾の北で143m，東大和田の北で126mとなっていて，高溝や高宕川とほぼ同じ厚さである（第4.4表）．</p><div class=\"image-holder overview-landing-limg\" id=\"T4.4\"><a href=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0061-0001.png\" target=\"_blank\" class=\"fig-open-link\"><img class=\"halfsize\" loading=\"lazy\" decoding=\"async\" src=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0061-0001.png\"></a><div class=\"figures-tables-support-txt\"><h6><span class=\"fig-label\">第4.4表</span> 大田代層の主要鍵層間累積層厚（単位：m）</h6><p>距離は東大和田北を起点として計測．</p></div></div></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"化石\" tabindex=\"-1\"><h2>化石</h2><p>隣接の大多喜地域では，大田代層泥岩中に暖流系深海性の貝化石群集が含まれ，その環境は水深400～1,000mと推定されている．一方タービダイト砂岩には主に暖流系の上部～下部浅海性及び岩礁性の貝化石が含まれる（馬場，1990）．</p><p>成瀬（1973）による貝化石及びAoki（1968）による有孔虫化石の検討によれば，富津地域の大田代層からは大多喜地域の小櫃川以東よりもより浅海の化石が産出することが明らかになっている．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"対比\" tabindex=\"-1\"><h2>対比</h2><p>坂倉（1935a）の小平ケ台泥岩層の上部～坂畑層下部に対比される．小池（1949）及び三梨（1990）の高溝泥岩層あるいは高溝層の上部にほぼ相当する（第3.1表）．</p></div></div><div id=\"sec-4-5\" class=\"section\" data-lv=\"2\" tabindex=\"-1\"><h1>4.5 東日笠層（Hg）</h1><span id=\"m1014_f030\"></span><span id=\"m1014_u030_Hg\"></span><span id=\"m1014_u031_Hgl\"></span><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"命名\" tabindex=\"-1\"><h2>命名</h2><p>大塚・望月（1932）．最初は東日笠泥砂礫層の名称が用いられている．なお，命名時には岩相の記載はない．ここでは，富津市芹付近を中心に，東西方向に帯状に分布する厚いタービダイト砂岩・礫岩層からなる地層を東日笠層とする．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"模式地\" tabindex=\"-1\"><h2>模式地</h2><p>富津市芹付近とする．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"分布\" tabindex=\"-1\"><h2>分布</h2><p>富津市の横山より山脇，東大和田，芹を経て君津市植畑，東日笠に至る東西約10km，南北約1kmの細長い帯状の地域に分布する．帯状分布の長軸方向はENE-WSWである．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"層序\" tabindex=\"-1\"><h2>層序</h2><p>東日笠層には凝灰岩鍵層が存在しないので，周囲の地層との層序関係を詳細に調べることは難しい．しかし，次の岩相の項で述べるように，スランプ堆積層や東日笠層特有の性質を用いておよその関係を知ることができる．それによると，東日笠層は分布の東半では鍵層U9以上の梅ヶ瀬層に，西半では鍵層U9以下の梅ヶ瀬層と大田代層に対応する．</p><p>以下に述べるように，東日笠層と周囲の地層の間には，著しい浸食現象が見られるが，それは海底におけるturbidity currentsによる浸食の結果で，不整合現象ではない．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"岩相\" tabindex=\"-1\"><h2>岩相</h2><p>東日笠層の立体形は，長軸がENE-WSW方向に伸びた谷を堆積物が充填したような形状である．この谷地形（芹向斜）の底と南及び北側の側壁に当たる部分では，東日笠層下位の地層が深く浸食され，谷状に抉られている様子が観察される．このことから，東日笠層堆積時の海底に実際に谷が存在し，その谷を埋め立てるように堆積作用が進行したことが分かる．佐藤・小池（1957）は，この谷を東日笠化石海底谷と名付けた（本論文では東日笠海底谷とする）．現在の東日笠層の最も高い位置から谷底までの高さは200mを越える．但し，これは後述するように必ずしも東日笠層堆積時に存在した谷の深さに対応するものではない．</p><p>東日笠層の基底に接する下位の地層は西から東へ，黄和田層（横山，山脇），大田代層（東大和田の湊川河床），梅ヶ瀬層中部（西日笠の小糸川河床）というように次第に上位の地層になる．すなわち，谷の浸食の及ぶ深さは東に向かって次第に浅くなっている．</p><p>東日笠層は，その大部分が厚いタービダイト砂岩からなり，泥岩を含まない．他に，スランプ堆積層が東日笠層の中部に1層存在するのみである．なお，佐藤・小池（1957）が東日笠層の基底に位置付けたスランプ堆積層は，東日笠層のものではなく，下位の黄和田層や大田代層中のものである．</p><p>タービダイト砂岩は，厚さ1.5～4mのものが多いが，とくに厚いものでは10～15mに達する（第4.13図）．砂岩は正級化を示し，下部は粗粒砂岩～礫質砂岩，上部は中粒砂岩からなる．下部の礫質砂岩は，中礫サイズの円礫を多く含むことが多く，良好な骨材資源となる．横山及び東大和田・高溝から芹付近にかけて分布する東日笠層が採掘対象となっていて，いくつかの砂取場がある（第8.1図）．</p><p>タービダイト砂岩の下部から中部にかけて，泥岩の偽礫が多く含まれる．泥岩偽礫は中粒～粗粒泥岩で，10～50cmのものが多い．とくに大きいものは，70～80cmに達する．これらの泥岩偽礫は，上流側に存在した泥岩層がturbidity currentsによって削剥され，下流に運ばれてきたものである．</p><p>タービダイト砂岩層基底の浸食は，東日笠層に普通に見られる（第4.13図）．下位にある砂岩層を深さ1～5mにわたってチャネル状に削る例も珍しくない．チャネル状浸食に加えて，ステップ状に下位の砂岩層を浸食することもしばしばある（第4.13図の1）．高溝北の尾根上では，大規模な山砂の採掘が行われ，東日笠層や東日笠海底谷の断面，谷の南側の側壁と東日笠層タービダイト層との関係などを観察することができる．第4.13図の2と3には，その様子を断面と平面図（ルートマップ）に示している．谷の南側の側壁は主に中粒～粗粒の泥岩で，厚さ1～5cmの細粒タービダイト砂岩と凝灰岩層が挟まれる．凝灰岩層には，梅ヶ瀬層中部の鍵層U9が存在する．U9とともに側壁を構成する地層はステップ状に浸食され，東日笠層のタービダイト砂岩と接している．</p><p>浸食によって生じたステップは，1段の高さが2～4m，幅は3～5mである．図から分かるように，ステップ1段に1層の厚いタービダイト砂岩層が対応している．すなわち，厚いタービダイト砂岩を運んできた1回のturbidity currentが，その強い側方浸食力によって，ひとつのステップを削り込んだのである．削り取られた側壁は，泥岩偽礫となって下流に堆積したと考えられる．このような厚いタービダイト砂岩の堆積と浸食作用のセットは，浸食による谷の形成とタービダイト砂岩の堆積・谷の充填が同時進行的に起きたことを示している．</p><p>なお，南側の側壁において浸食され東日笠層と接している梅ヶ瀬層の層準は，高溝の北ではU9層準であるが，東の宇藤原の北でU8層準，船塚付近でU7層準というように，東に向かって次第に上の層準になる．これは前記の東日笠層の基底に接する層準が東に向かって上位の層準になることと調和的である．</p><p>東日笠海底谷の北側側壁は，新田の付近で観察できる．東日笠層は大田代層の上にあり，その境界は南側側壁とは異なり，大田代層の層理に緩やかに斜交して，大田代層を浸食している．浸食は大田代層の凝灰岩鍵層O11の3.5m上まで及んでいる．</p><p>スランプ堆積層は，東日笠層の中部に1層認められる．厚さ4～9mの含礫泥岩を主とするものであるが，上部が流状シルト岩となっている．含まれる礫は，0.5～5cmの円礫である．含礫泥岩層の中間に厚さ1mの砂岩層を挟む場所もある．苗割付近ではスランプ堆積層の下位に，薄く剥離するシルト層が存在する．スランプ堆積層の分布は苗割から南西へ芹林道，田倉の南を経て高溝の北で芹向斜の軸部に達する．この間で，その分布は東日笠層を斜めに横断する形となり，東日笠層を東西あるいは上下に分けている．</p><p>東日笠層とその北側に接する梅ヶ瀬層の関係を調べるため，苗割付近でこのスランプ堆積層の分布を詳しく調べた（第4.14図）．図の破線が東日笠層と梅ヶ瀬層の境界である．南側の東日笠層が，厚いタービダイト砂岩からなるのに対して，北側の梅ヶ瀬層は苗割付近では泥岩を主とする地層（上部）と砂泥互層（下部）からなる．この間に凝灰岩鍵層U8～U9とスランプ堆積層が存在する．このうち，U9は砂泥互層の中にある（第4.16図）．砂泥互層は，厚さ1～100cmの細粒～粗粒タービダイト砂岩を含み，やや砂勝ちである．泥岩は厚さ5～65cmで中粒～粗粒泥岩である．この砂泥互層の直下にスランプ堆積層が存在する．</p><p>U9とスランプ堆積層は，連続的な露頭を東日笠層との境界まで追跡され，境界に至ってU9は東日笠層によって浸食され分布を断ち切られる．一方，U9の下のスランプ堆積層はそのまま境界を越えて東日笠層側へ連続して分布している．梅ヶ瀬層側のスランプ堆積層の下位にも薄く剥離するシルト層が存在し，その他の特徴も東日笠層中のスランプ堆積層の特徴に一致している．両側のものが同一のスランプ堆積層であることは間違いない．</p><p>東日笠層側に泥岩層や凝灰岩層がないのは，一度堆積したこれらの地層は，その後谷を頻繁に流下した強いturbidity currentsによって全て浸食されたためと考えられる．短期間に厚く堆積したスランプ堆積層のみが浸食を免れることができた．</p><p>一方，梅ヶ瀬層側のU9を挟む砂泥互層中のタービダイト砂岩は，東日笠海底谷をオーバーフローしたturbidity currentsから堆積したものとみなされる．砂勝ち砂泥互層は，苗割付近では，スランプ堆積層の上にあるが，西の田倉付近ではスランプ堆積層の下に厚さ20～100cmのタービダイト砂岩と厚さ1～30cmの泥岩からなる砂勝ち互層が存在し，この砂泥互層が南側の東日笠層と接している．スランプ堆積層の上は泥勝ち互層となっているので，砂勝ち互層は田倉付近では，下に移ったことになる．この傾向は更に西側の東大和田付近まで見られるので，全体としては，北側側壁からオーバーフローしたタービダイト砂岩の出現は，東に向かって次第に上位の層準に移ったことになる．</p><p>以上に述べたように，東日笠海底谷の側壁付近の状況は北側と南側で相違している．このような違いは，南側の側壁では谷の下部を，北側の側壁では谷の上部を見ていることによると考えられる．スランプ堆積層は鍵層U9の近くにあるので，東日笠層はこのスランプ堆積層を境に，東側が梅ヶ瀬層のU9より上位の地層に，西側がU9の下位層に相当することになる．</p><p>前記のように，高溝北の南側壁には（谷の外側に当たる），鍵層U9が存在しているが，その北側の東日笠層中（谷の内側に当たる）に上記のU9直下のスランプ堆積層が近接して存在する．両者の標高差は約30mある．谷の内側にあるスランプ堆積層は，芹向斜の軸部付近にあるので，この標高差はおおまかにU9堆積時の東日笠海底谷の底から谷の上までの高度差とみなされる．すなわち，堆積時の谷の深さは約30mあったことになる．</p><p>東日笠層の作る谷地形に関しては，それを東日笠層堆積時の海底谷やチャネルとする研究が古くからなされている（佐藤・小池，1957；Yamauchi et al., 1990）．また，東日笠層の谷地形を深海海底扇状地上部にあるfanvalleyと位置づけ，その東（下流）に分布する大田代層のタービダイト砂岩を堆積したturbidity currentsの通路とする研究がある（Hirayama and Nakajima, 1977）．本報告では，上述した東日笠層の産状から東日笠海底谷は全体として明確な海底谷の性質をもち，芹付近より東側では谷が浅くなり海底谷出口に近くなると考えた．次項で述べる梅ヶ瀬層のタービダイト砂岩の分布などから，その出口付近にはfan valleyを伴う深海海底扇状地上部の特徴が見られる．富津地域ではタービダイト砂岩堆積場の最も上流の部分を見ていることになる．</p><p>東日笠海底谷は，基盤に当たる下位の地層の示す向斜構造（芹向斜）の軸部に沿って存在する（第7.2図）．その密接な相関は，海底谷の発生が芹向斜の形成に深く関係していることを示す．向斜の形成によって生じた海底の凹地に沿ってturbidity currentsが次々と流れ，次第に海底谷に成長していったと考えられる．</p><div class=\"image-holder overview-landing-limg\" id=\"F4.13\"><a href=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0065-0001.png\" target=\"_blank\" class=\"fig-open-link\"><img class=\"halfsize\" loading=\"lazy\" decoding=\"async\" src=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0065-0001.png\"></a><div class=\"figures-tables-support-txt\"><h6><span class=\"fig-label\">第4.13図</span> 東日笠層のスケッチ（1と2）とルートマップ（3）</h6><p>高溝砂取場（第8.1図に位置を示す）．A-B断面のスケッチ後に，C-D断面まで採掘が進み，再びスケッチする．</p></div></div><div class=\"image-holder overview-landing-limg\" id=\"F4.14\"><a href=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0066-0001.png\" target=\"_blank\" class=\"fig-open-link\"><img class=\"halfsize\" loading=\"lazy\" decoding=\"async\" src=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0066-0001.png\"></a><div class=\"figures-tables-support-txt\"><h6><span class=\"fig-label\">第4.14図</span> 東日笠層と梅ヶ瀬層の関係を示す苗割付近のルートマップ</h6></div></div></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"層厚\" tabindex=\"-1\"><h2>層厚</h2><p>約200m.</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"化石\" tabindex=\"-1\"><h2>化石</h2><p>佐藤・小池（1957）は本層から多数の貝化石を報告している．それらの貝化石は汽水生から半深海生の種が入り混じって産する．馬場（1990）は，東日笠層下部には寒流系の上部浅海から下部浅海の貝化石群集が産し，中部には暖流系下部浅海の貝化石群集が産することを報告している．なお，東日笠層からは，Parelephas proximusなどの陸生哺乳類化石の産出が知られる（高井，1938）．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"対比\" tabindex=\"-1\"><h2>対比</h2><p>本層は東日笠層（大塚，1932：池辺，1948；小池，1957；三梨ほか，1962）をはじめ，東日笠貝層（植田，1933），東日笠砂礫層（小池，1949），東日笠砂礫相（三梨，1954）などの名称が使われているが，本層の岩相と分布は周囲の地層から明確に区別できるので，いずれも同じものを指していることは明らかである．</p><p>なお，岩相の記載で述べたように，東日笠層の上部は，梅ヶ瀬層の鍵層U9以上の地層に，下部はU9以下の地層に対比される．次項で述べる梅ヶ瀬層のタービダイト砂岩の分布から考えると，東日笠層上部は，富津地域の中では梅ヶ瀬層の鍵層U6層準まで含むと考えられる．東日笠層下部については，黄和田層より上位の地層であることは間違いない．おそらく，大田代層の多くが東日笠層下部に対比されると思われる．</p></div></div><div id=\"sec-4-6\" class=\"section\" data-lv=\"2\" tabindex=\"-1\"><h1>4.6 梅ヶ瀬層（Um, Umc）</h1><span id=\"m1014_f029\"></span><span id=\"m1014_u027_Umc\"></span><span id=\"m1014_u028_Um\"></span><span id=\"m1014_u029_Ums\"></span><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"命名\" tabindex=\"-1\"><h2>命名</h2><p>植田（1930）．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"模式地\" tabindex=\"-1\"><h2>模式地</h2><p>市原市朝生原の西にある梅ヶ瀬．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"分布\" tabindex=\"-1\"><h2>分布</h2><p>芹向斜南翼を船塚から高溝の北まで分布する．さらに，芹向斜と寺尾背斜によって梅ヶ瀬層の分布は北側へ繰り返される．寺尾背斜北翼の梅ヶ瀬層は，鹿野山の南麓沿いに，東粟倉から西へ九十九谷，諸崩，桜井，岩坂を通って上総湊の海岸に至る．</p><p>梅ヶ瀬層の分布は，褶曲によってさらに北側に繰り返され，佐貫の北に存在する磯根崎背斜の軸部に現れる．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"層序\" tabindex=\"-1\"><h2>層序</h2><p>三梨ほか（1959）が市原市朝生原の西にある梅ヶ瀬を模式地として，本層の上下限を定め，凝灰岩鍵層を記載している．ここではその定義に従う．</p><p>模式地では梅ヶ瀬層は厚いタービダイト砂岩を主とする砂勝ち砂泥互層からなり，泥勝ち砂泥互層からなる国本・大田代両層との間の境界は明瞭である．模式地では梅ヶ瀬層の上限は国本層基底の凝灰岩鍵層Ku6の少し下にある．鍵層Ku6は富津地域にも認められるので，上限については模式地と同様に定めることができる．下限については，大田代層の項で述べたように，目立った凝灰岩鍵層がない．富津地域東部の船塚から高溝北にかけては，模式地と同様に梅ヶ瀬層の砂勝ち砂泥互層と大田代層の泥勝ち砂泥互層の境界を下限として定めることができるが，寺尾背斜北翼においては梅ヶ瀬層が泥勝ち砂泥互層又は泥岩層に変わり，大田代層の泥岩を主とする岩相と区別がむずかしくなる．そのため既述のように寺尾背斜北翼では，他の地域の両層境界位置から推定し，鍵層O1の約10m下を下限とした．なお，下位の大田代層，上位の国本層とは整合である．</p><p>富津地域では，梅ヶ瀬層中の凝灰岩鍵層として，U1～U10及びO1が認められる．しかし，鹿野山の南麓（マザー牧場の南）では，梅ヶ瀬層上部の鍵層U1～U6の層準が国本層上位の市宿層基底部において浸食され失われている．浸食は東から西へ向かって順次下位の地層に及び，上部の鍵層から順になくなっている．</p><p>さらに西の海岸付近に至ると，市宿層は層厚を著しく減じるとともに上位の笠森層長浜砂礫部層によって大部分が浸食されなくなってしまう．このため，梅ヶ瀬層の一部が長浜砂礫部層によって直接不整合に覆われる．一方，東部では市宿層基底の浸食量は減少して国本層が現れ，国本層と市宿層が整合的に重なるようになる．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"岩相\" tabindex=\"-1\"><h2>岩相</h2><p>富津地域の梅ヶ瀬層は岩相変化に富んでいる．芹向斜南翼（東日笠層の南側）及び寺尾背斜北翼（東日笠層の北側）の東部（平田，本郷）では梅ヶ瀬層は砂泥互層からなり，砂勝ち互層と泥勝ち互層が交互に繰り返している．寺尾背斜北翼の平田・本郷の西方，諸崩に至ると梅ヶ瀬層は泥岩を主とする岩相に変わる．さらに西に向かうと，泥岩は梅ヶ瀬層上部から次第に粗粒になり，粗粒泥岩，砂質泥岩，泥質砂岩，細粒砂岩等に変わる．また，北側の磯根崎背斜軸部の梅ヶ瀬層は砂質泥岩・泥質砂岩からなる．</p><p>東日笠層の南側の砂泥互層は，船塚から高溝北の間に認められる（第4.15図）．この砂泥互層を含む層準は，梅ヶ瀬層の基底から鍵層U7の間である．砂泥互層は，砂勝ち互層と泥勝ち互層のそれぞれ3回の繰り返しからなる．地質図上では，下部の2つの砂勝ち互層はひとつにまとめて表現されている．U7の上位，すなわち北側は東日笠層（東日笠海底谷）によって浸食されている．</p><p>東日笠層北側の平田・本郷付近の梅ヶ瀬層は，最上部からU6層準までが分布していて，U6層準の下位で（南側），東日笠層（東日笠海底谷）に接する．この間にも砂勝ち互層と泥勝ち互層が3回ずつ繰り返される．しかし，平田・本郷付近の砂勝ち互層は，その約1.5km西方で泥勝ち互層～泥岩層へと急激に変化する．</p><div class=\"image-holder overview-landing-limg\" id=\"F4.15\"><a href=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0068-0001.png\" target=\"_blank\" class=\"fig-open-link\"><img class=\"halfsize\" loading=\"lazy\" decoding=\"async\" src=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0068-0001.png\"></a><div class=\"figures-tables-support-txt\"><h6><span class=\"fig-label\">第4.15図</span> 梅ヶ瀬層の層厚・岩相変化</h6><p>Ums1：砂勝ち互層1，Ums2：砂勝ち互層2，Ums3：砂勝ち互層3．</p></div></div><div id=\"sec-4-6-1\" class=\"section\" data-lv=\"6\" tabindex=\"-1\"><h1>a． 砂岩</h1><p>梅ヶ瀬層の砂勝ち互層を構成するタービダイト砂岩は，厚さ10～300cmの中粒～粗粒砂岩である．泥岩偽礫がしばしば含まれ，タービダイト砂岩中にはチャネル構造がよく見られる．</p><p>東日笠層（東日笠海底谷）の北と南にある梅ヶ瀬層の砂勝ち互層の中で1mを越えるような厚いタービダイト砂岩の分布は，芹付近を要として，東に向かって開いた扇形の内側に限られる．この扇形の中心を通って西から東に向かって東日笠層（東日笠海底谷）が分布する．富津地域東端を南北に流れる小糸川の河床の露頭では（隣接の大多喜地域の範囲ではあるが），梅ヶ瀬層と東日笠層の断面を観察できる．東日笠層には，主に厚さ5～10mの礫質タービダイト砂岩が発達し，砂岩の基底にはチャネル構造が数多く見られる．東日笠層の厚い礫質砂岩が，梅ヶ瀬層の砂勝ち互層を多数の浅いチャネルによって削り込みながら重なっている．東日笠層の項で述べたような谷地形や泥岩からなる谷の側壁のようなものは存在しない．これらの特徴から，芹東方の平田，本郷，船塚付近に分布する梅ヶ瀬層のタービダイト砂岩は，海底扇状地上部のfan valleyが発達するような環境に堆積したと推定される．</p></div><div id=\"sec-4-6-2\" class=\"section\" data-lv=\"6\" tabindex=\"-1\"><h1>b． 泥岩・砂質泥岩・泥質砂岩</h1><p>東日笠層南側の船塚―高溝北に分布する砂泥互層を構成する泥岩は，中粒～粗粒泥岩である．東日笠層北側の平田・本郷付近の砂泥互層の泥岩は主として粗粒泥岩からなる．西方の諸崩付近では，全体が泥岩層を主とする岩相に変わるとともに鍵層U6より上の泥岩は砂質泥岩に，U1付近から上は泥質砂岩や細粒砂岩に変わる（第4.15図）．さらに西方では，上部の粗粒相は次第に下部に拡がり，西海岸の岩坂，上総湊付近ではU8層準まで泥質砂岩や細粒砂岩になる．</p><p>北側の磯根崎背斜軸部に分布する梅ヶ瀬層は，鍵層Ku6以下の梅ヶ瀬層最上部で，泥質砂岩と細粒砂岩からなる．</p></div><div id=\"sec-4-6-3\" class=\"section\" data-lv=\"6\" tabindex=\"-1\"><h1>c． スランプ堆積層</h1><p>梅ヶ瀬層のスランプ堆積層には，厚さ1～9mの含礫泥岩・流状シルト岩（タイプII）と地層の褶曲したもの（タイプI）がある．あまり厚いものはなく，数も少ない．船塚の梅ヶ瀬層最下部の砂勝ち互層の基底（梅ヶ瀬層の基底）に1層，U8-2の下位とO1の上にそれぞれ1層認められる．また，苗割から田倉にかけて分布する含礫泥岩は，鍵層U9の下にあり，東日笠層の項で述べたように東日笠層中部の含礫泥岩層に連続するものである．</p></div><div id=\"sec-4-6-4\" class=\"section\" data-lv=\"6\" tabindex=\"-1\"><h1>d． 凝灰岩</h1><p>梅ヶ瀬層に含まれる凝灰岩層は大田代層と同様に多くはない．灰白色～灰色細粒凝灰岩が最も多く見られ，ゴマシオ凝灰岩とハイゴマ凝灰岩がそれに次ぐ．スコリア凝灰岩は薄層が主で，U5が厚さ3cm，U7-3が7cm，U8-1が9cmの粗粒スコリア凝灰岩からなり，これらが目立ったものである．</p><p>梅ヶ瀬層の代表的凝灰岩鍵層U9を第4.16図に示す．この凝灰岩層は，上部が厚さ14～45cmの灰白色細粒凝灰岩＋中粒ゴマシオ凝灰岩，下部が3cmの細粒～粗粒スコリア凝灰岩からなる．上部の凝灰岩は，苗割で最も厚く，細粒凝灰岩とその下のゴマシオ凝灰岩の間には厚さ16cmの細粒砂岩を挟んでいる．</p><p>第4.17図には鍵層U6を示す．この凝灰岩層も上下2層の特徴的な凝灰岩よりなる．</p><p>上部の凝灰岩は，厚さ46～58cmで一定の厚さを示す．おおまかに2層構造で，上はベージュ色～ピンク色の細粒凝灰岩，下は細粒～中粒のゴマシオ凝灰岩からなる．細粒凝灰岩は極細粒ゴマシオ凝灰岩と互層しており，下位のゴマシオ凝灰岩も薄い細粒凝灰岩を挟んでいる．この凝灰岩層全体としては複数のユニットの重なりで，上ほど細粒の部分が多くなっている．</p><p>一方，U6下部の凝灰岩は，厚さ7～11cmで多層構造をもつ．下からスコリアシルト，細粒～中粒ゴマシオ凝灰岩，極粗粒のパミス凝灰岩の順に重なる．下部及び上部の凝灰岩は降下火山灰起源である．非常に特徴的なので，この凝灰岩だけでU6と認めることが出来る．鍵層U6は，平田―本郷の間では，2つの砂勝ち互層の間に挟まれた泥勝ち互層中にあるが，上下の砂勝ち互層の影響を受けて，U6の周囲に存在するタービダイト砂岩も厚くなっている．</p><div class=\"image-holder overview-landing-limg\" id=\"F4.16\"><a href=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0070-0001.png\" target=\"_blank\" class=\"fig-open-link\"><img class=\"halfsize\" loading=\"lazy\" decoding=\"async\" src=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0070-0001.png\"></a><div class=\"figures-tables-support-txt\"><h6><span class=\"fig-label\">第4.16図</span> 梅ヶ瀬層の凝灰岩鍵層U9（風）の柱状図</h6><p>U9は1層の淡灰色細粒凝灰岩と1層の細粒スコリア凝灰岩からなる．カッコ内は鍵層のニックネーム，凡例は第3.3図に示す．</p></div></div><div class=\"image-holder overview-landing-limg\" id=\"F4.17\"><a href=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0071-0001.png\" target=\"_blank\" class=\"fig-open-link\"><img class=\"halfsize\" loading=\"lazy\" decoding=\"async\" src=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0071-0001.png\"></a><div class=\"figures-tables-support-txt\"><h6><span class=\"fig-label\">第4.17図</span> 梅ヶ瀬層の凝灰岩鍵層U6の柱状図</h6><p>U6は1層のベージュ色〜ピンク色細粒凝灰岩＋細粒〜中粒ゴマシオ凝灰岩と、1層の細粒〜中粒ゴマシオ凝灰岩からなる．凡例は第3.3図に示す．</p></div></div></div></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"層厚\" tabindex=\"-1\"><h2>層厚</h2><p>芹向斜南翼の船塚では，基底から東日笠層の南側境界まで（U7の上まで）214m．高溝北では，基底から東日笠層の南側境界まで（U9の少し上まで）123m．寺尾背斜北翼の平田付近では，東日笠層の北側境界から（U6の下から）国本層との境界まで246m．諸崩では，東日笠層の北側境界から（U9の下から）国本層との境界まで191mある（第4.5表）．</p><div class=\"image-holder overview-landing-limg\" id=\"T4.5\"><a href=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0069-0001.png\" target=\"_blank\" class=\"fig-open-link\"><img class=\"halfsize\" loading=\"lazy\" decoding=\"async\" src=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0069-0001.png\"></a><div class=\"figures-tables-support-txt\"><h6><span class=\"fig-label\">第4.5表</span> 梅ヶ瀬層の主要鍵層間累積層厚（単位：m）</h6><p>Ums1：砂勝ち互層1，Ums2：砂勝ち互層2，Ums3：砂勝ち互層3．距離は諸崩を起点として計測．</p></div></div></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"化石\" tabindex=\"-1\"><h2>化石</h2><p>Otuka（1949）は，JR上総湊駅北東の国道沿いの露頭より，貝化石及び有孔虫化石を報告している．東隣の大多喜地域では，坂倉（1935a）が本層から多数の貝化石を報告している．それによると，梅ヶ瀬層下部（U8の下位）には暖流系の群集（辻森化石帯）が産し，中部（U6の下位）には寒流系の群集（細野化石帯）の産することが報告されている．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"対比\" tabindex=\"-1\"><h2>対比</h2><p>Otuka（1949）及び小池（1949）の岩坂細砂層上部は本層に含まれる．坂倉（1935a）の坂畑層上部～蓮見砂層は，ほぼ本層に相当する．</p></div></div><div id=\"sec-4-7\" class=\"section\" data-lv=\"2\" tabindex=\"-1\"><h1>4.7 国本層（Ku, Kuc）</h1><span id=\"m1014_f028\"></span><span id=\"m1014_u025_Kuc\"></span><span id=\"m1014_u026_Ku\"></span><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"命名\" tabindex=\"-1\"><h2>命名</h2><p>植田（1930）．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"模式地\" tabindex=\"-1\"><h2>模式地</h2><p>市原市国本．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"分布\" tabindex=\"-1\"><h2>分布</h2><p>鹿野山の南麓に沿って，西粟倉から九十九谷を経て諸崩の北まで分布する．また，富津市佐貫の北，磯根崎背斜の軸部にも本層が分布する．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"層序\" tabindex=\"-1\"><h2>層序</h2><p>三土（1937）は，7.5万分の1地質図幅「茂原」に本層の分布を示した．三梨ほか（1959）は，市原市国本を模式地として本層の範囲を定義し，凝灰岩鍵層を記載している．ここでは三梨ほか（1959）の定義に従う．</p><p>模式地では，本層は砂質泥岩とタービダイト砂岩を含む砂勝ち砂泥互層からなる．富津地域に入ると砂泥互層を構成するタービダイト砂岩が尖滅し，泥岩，砂質泥岩及び泥質砂岩を主とする岩相となる．凝灰岩鍵層は，模式地では国本層上限付近の鍵層Ku0.1から下限付近の鍵層Ku6まで存在する．富津地域では，鍵層Ku3～Ku6までが認められる．国本層の下限は，凝灰岩鍵層Ku6によって識別できる．上限については，以下に述べるように国本層は岩相の異なる市宿層や笠森層長浜砂礫部層と接し，その境界が明瞭である．</p><p>下位の梅ヶ瀬層とは整合である．上位の市宿層とは東部の西粟倉付近では整合であるが，鹿野山南麓に沿う西粟倉から諸崩北の間において，国本層の鍵層Ku3～Ku6の層準が市宿層の基底で浸食されている．浸食は東から西に向かって，より下位の層準に及び，最終的には国本層全体が浸食されてしまう．佐貫北の磯根崎背斜軸部では，国本層は上位の笠森層長浜砂礫部層によって不整合に覆われる．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"岩相\" tabindex=\"-1\"><h2>岩相</h2><p>泥岩，砂質泥岩及び泥質砂岩よりなる．東部の西粟倉付近では下部（Ku6～Ku3）は主として泥岩と砂質泥岩からなりタービダイト砂岩を稀に含む．上部（Ku3より上）は砂質泥岩と泥質砂岩からなる．下部の泥岩は西に向かって粗くなり，諸崩の北東では，砂質泥岩と泥質砂岩に変わる（第4.18図）．磯根崎背斜周辺では砂質泥岩からなり，Ku6を挟在する．</p><p>第4.19図に磯根崎背斜付近における鍵層Ku6の柱状図を示す．この鍵層中のKu6Cは九州の猪牟田カルデラを給源とする広域火山灰（猪牟田アズキテフラ；町田・新井，2003）に対比できるものとしてよく知られている．磯根崎背斜のKu6Cの鉱物組成及びガラス・鉱物の屈折率などを求めたところ，他地域での分析値とよく一致する結果が得られ（付表第1表），対比の正しさが確認された．この鍵層は三梨ほか（1979）や鈴木ほか（1995）によってU6とされ，町田ほか（1980）ではKu6とされていたものである．</p><div class=\"image-holder overview-landing-limg\" id=\"F4.18\"><a href=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0072-0001.png\" target=\"_blank\" class=\"fig-open-link\"><img class=\"halfsize\" loading=\"lazy\" decoding=\"async\" src=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0072-0001.png\"></a><div class=\"figures-tables-support-txt\"><h6><span class=\"fig-label\">第4.18図</span> 国本層の層厚・岩相変化</h6></div></div><div class=\"image-holder overview-landing-limg\" id=\"F4.19\"><a href=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0073-0001.png\" target=\"_blank\" class=\"fig-open-link\"><img class=\"halfsize\" loading=\"lazy\" decoding=\"async\" src=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0073-0001.png\"></a><div class=\"figures-tables-support-txt\"><h6><span class=\"fig-label\">第4.19図</span> 国本層の凝灰岩鍵層Ku6の柱状図</h6><p>磯根崎背斜付近．凡例は第3.3図に示す．</p></div></div></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"層厚\" tabindex=\"-1\"><h2>層厚</h2><p>西粟倉では市宿層との境界（Ku3の少し上）から基底のKu6まで129m．諸崩の北では，市宿層との境界（Ku5の上）からKu6まで48mある（第4.6表）．</p><div class=\"image-holder overview-landing-limg\" id=\"T4.6\"><a href=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0073-0002.png\" target=\"_blank\" class=\"fig-open-link\"><img class=\"halfsize\" loading=\"lazy\" decoding=\"async\" src=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0073-0002.png\"></a><div class=\"figures-tables-support-txt\"><h6><span class=\"fig-label\">第4.6表</span> 国本層の主要鍵層間累積層厚（単位：m）</h6><p>距離は諸崩北を起点として計測．</p></div></div></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"化石\" tabindex=\"-1\"><h2>化石</h2><p>磯根崎背斜付近の本層から陸棚の貝化石の産出が報告されている（馬場，1990）．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"対比\" tabindex=\"-1\"><h2>対比</h2><p>鹿野山の南に分布する岩坂層及び粟倉層（三梨ほか，1962）の上部は本層に含まれる．磯根崎背斜軸部に分布する三梨ほか（1962）の岩坂層は，上記のようにKu6の存在によって国本層と梅ヶ瀬層上部であることが分かる．</p></div></div><div id=\"sec-4-8\" class=\"section\" data-lv=\"2\" tabindex=\"-1\"><h1>4.8 市宿層（Ij）</h1><span id=\"m1014_f027\"></span><span id=\"m1014_u024_Ij\"></span><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"命名\" tabindex=\"-1\"><h2>命名</h2><p>大塚・望月（1932）．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"模式地\" tabindex=\"-1\"><h2>模式地</h2><p>命名時の指定はないので，本報告では君津市市宿付近とする．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"分布\" tabindex=\"-1\"><h2>分布</h2><p>鹿野山，鬼泪山の丘陵を中心とし，南北3km，東西12kmに渡ってENE-WSW方向に分布する．西海岸の長浜付近に至り層厚を急に減じる．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"層序\" tabindex=\"-1\"><h2>層序</h2><p>市宿層の下限は西に向かってより下位の地層と接している．富津地域東部では国本層に整合的に重なるが，西部の岩坂周辺では国本層を欠き，その下の梅ヶ瀬層を不整合的に覆う．</p><p>上限については，富津地域東部では本層と上位の長南層の境界に小規模な浸食面が認められるものの全体として岩相は漸移的で両者の関係は整合である．中部から西部においては長南層を欠き，その上位の笠森層長浜砂礫部層によって不整合に覆われる．長浜砂礫部層基底にはチャネルを伴う浸食が見られる．</p><p>市宿層と下位層との関係を「東京湾不整合」として重視し，市宿層基底を下総層群の基底とする考え（楡井，1981）や逆にその関係は単なる海流や潮流による海底侵食の結果とする考え（峯崎・立石，1992）などがある．市宿層と国本層は，富津地域東部から大多喜地域にかけて広く整合であるので，ここでは市宿層の基底を層群の境界とはしない．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"岩相\" tabindex=\"-1\"><h2>岩相</h2><p>スコリア・軽石粒などに富み，大規模な斜交層理の発達する細粒から粗粒の砂層及び細礫層からなる．稀に泥岩層（20cm以下）を挟在する．単位層の厚さが3mに及ぶトラフ状斜交層理あるいは5mに及ぶ平板状斜交層理が見られる．</p><p>上述のように富津地域西部では本層は下位層と侵食面をもって接するが，中部から東部にかけての地域では顕著な浸食面は見られない．境界付近の岩相は国本層の生物擾乱を受けた泥質砂岩から，平行葉理の見られる細粒砂層を経て，市宿層の斜層理をもつ砂層へと漸移的に変化する．西部における侵食面の形成は，現在の海底の海釜地形と類似の成因によると考えられ（峯崎・立石，1992），市宿層基底の地層の欠如は海底浸食によるものである．中山・増田（1987）は市宿層の大規模な斜交層理が発達する砂層は，黒潮により陸棚状にっくられた海流サンドウェーブの堆積物であるとし，峯崎・立石（1992）はそれに加えて潮流の影響も指摘している．</p><p>地質図には示していないが，磯根崎背斜周辺に分布する国本層と長浜砂礫部層の境界部には，単位層の厚さが数10cmの斜交層理が発達する中粒砂岩が数m挟在する場合があり，市宿層に相当すると考えられる．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"層厚\" tabindex=\"-1\"><h2>層厚</h2><p>鹿野山周辺でもっとも厚く250m以上，鬼泪山付近で230m以上である．岩坂西方では本層の層厚が急減するとともに上位の笠森層長浜砂礫部層により本層の大部分が削剥されている．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"化石\" tabindex=\"-1\"><h2>化石</h2><p>中山・増田（1987）は本層から暖流系種をわずかに含む寒流系種を主体とした貝化石群集を報告し，殻の保存の良い貝化石から推定される本層の堆積した水深は50-250mであると考え，さらにサンドウェーブの堆積環境を考慮して古水深は50-130mであるとした．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"対比\" tabindex=\"-1\"><h2>対比</h2><p>富津地域東部において長南層と国本層の間に位置する本層は，東方に向かって大多喜地域の長南・国本両層間にある柿の木台層に移化する．</p></div></div><div id=\"sec-4-9\" class=\"section\" data-lv=\"2\" tabindex=\"-1\"><h1>4.9 長南層（Ch）</h1><span id=\"m1014_f026\"></span><span id=\"m1014_u023_Ch\"></span><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"命名\" tabindex=\"-1\"><h2>命名</h2><p>三土（1933）．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"模式地\" tabindex=\"-1\"><h2>模式地</h2><p>長生郡長南町長南．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"分布\" tabindex=\"-1\"><h2>分布</h2><p>鹿野山の北麓，馬登より福岡まで分布し，さらに東へ小糸川を越えて大井戸から東隣の大多喜地域に分布が続く．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"層序\" tabindex=\"-1\"><h2>層序</h2><p>前記のように下位の市宿層との境界には小規模な浸食が見られるが，全体としては整合に重なる．上部は笠森層長浜砂礫部層によって不整合に覆われる．この不整合により本層は中部から西部にかけて全て浸食されるので，分布は東部のみである．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"岩相\" tabindex=\"-1\"><h2>岩相</h2><p>本層下部は平行葉理ないし単位層の厚さ数10cmの小規模な斜交葉理の発達する細粒砂層からなり，砂質泥岩層を挟在する．下位の市宿層の大規模な斜交層理の発達する砂層との間には小規模な浸食面が認められる．細粒砂層の上位には，平行葉理の発達する細粒砂層を挟在し生物擾乱の発達した泥質砂岩が重なる．駒久保付近ではさらに上位に，砂鉄質の平行葉理を伴う細粒ないし中粒砂岩，その上に炭質物を多く含む砂質泥岩ないし泥岩が重なり，この中に凝灰岩鍵層Ch1が挟在する（第4.20図）．このCh1の鉱物組成及びガラス・鉱物の屈折率を付表第1表に示す．この泥岩は笠森層長浜砂礫部層の斜交層理をもつ砂礫層に覆われる．馬登付近から西では，長南層は長浜砂礫部層によって浸食されてなくなり，長浜砂礫部層が直接市宿層に重なる．</p><p>富津地域の長南層は，その岩相から陸棚泥帯から砂帯にかけての堆積物である．模式地付近の長南層はタービダイト砂岩を主体とする砂泥互層で，より深海の堆積環境を示す．長南層の堆積環境は東から西に向かって浅くなっている．</p><div class=\"image-holder overview-landing-limg\" id=\"F4.20\"><a href=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0074-0001.png\" target=\"_blank\" class=\"fig-open-link\"><img class=\"halfsize\" loading=\"lazy\" decoding=\"async\" src=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0074-0001.png\"></a><div class=\"figures-tables-support-txt\"><h6><span class=\"fig-label\">第4.20図</span> 長南層上部の凝灰岩鍵層Ch1の柱状図</h6><p>君津市駒久保付近．凡例は第3.3図に示す．</p></div></div></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"化石\" tabindex=\"-1\"><h2>化石</h2><p>馬場・青木（1980）は，大多喜・姉崎地域で寒流系の軟体動物化石群集を報告している．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"対比\" tabindex=\"-1\"><h2>対比</h2><p>本地域の長南層上部にはCh1が認められ，模式地付近の長南層上部に対比される．</p></div></div><div id=\"sec-4-10\" class=\"section\" data-lv=\"2\" tabindex=\"-1\"><h1>4.10 笠森層（Ks, Ksn, Ksk, Kss）</h1><span id=\"m1014_f021\"></span><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"命名\" tabindex=\"-1\"><h2>命名</h2><p>三土（1933）．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"模式地\" tabindex=\"-1\"><h2>模式地</h2><p>長生郡長南町笠森付近．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"分布\" tabindex=\"-1\"><h2>分布</h2><p>富津地域の中・北部に比較的広く分布する．小糸川の北側では，下総台地の南の縁に沿って練木から長石まで分布する．小糸川の南側では，鹿野山の北麓から小糸川のすぐ南の丘陵まで分布する．富津地域の西側では，本層の分布は佐貫向斜と磯根崎背斜によって繰り返され広い範囲に及んでいる．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"層序\" tabindex=\"-1\"><h2>層序</h2><p>富津地域では，本層は上総層群の最上部層である．下位層との関係は，本地域中部から西部では，笠森層下部の長浜砂礫部層が顕著なチャネル構造を伴う不整合をもって下位の市宿層，国本層及び梅ヶ瀬層を覆い，東部では長南層を不整合に覆っている．上位については，小糸川の南側では，下総層群地蔵堂層によって，北へ向かって開く谷状の不整合をもって覆われる．この不整合は一種の傾斜不整合で，北側では不整合面は笠森層上部の周南砂岩部層の上にあるが，南側では中部の佐貫泥岩部層まで浸食が及ぶ（地質図及び地質断面D-E参照）．</p><p>小糸川の北側では笠森層と地蔵堂層の間に顕著な構造差は認められないが，南側と同様に両者の関係は不整合である．本地域東隣の姉崎・大多喜地域においては，笠森層と地蔵堂層の間に，上総層群の最上位を占めて金剛地層が存在するが，本地域では金剛地層は欠如している．</p><p>金剛地層は大多喜地域の西部まで分布するが，富津地域との境界付近に至って厚さを減じ尖滅する．富津地域東端の小糸大谷付近には笠森層最上部に10m程度の比較的淘汰の良い砂層があり，金剛地層の一部が再び現れている可能性があるが，小糸大谷から西では金剛地層は全く欠如していて，笠森層主部の泥質岩の上に下総層群地蔵堂層が直接不整合に重なっている．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"岩相\" tabindex=\"-1\"><h2>岩相</h2><p>本地域の笠森層は，主部，長浜砂礫部層，佐貫泥岩部層，周南砂岩部層の4つに区分される．小糸川南側の笠森層については，砂礫層，泥岩層及び砂岩層の3つの特徴ある地層に分けられるので，従来の研究も踏まえてそれぞれ長浜砂礫部層，佐貫泥岩部層，周南砂岩部層の3部層に区分した．小糸川北側については主部と長浜砂礫部層の2つに区分した．</p><div id=\"sec-4-10-1\" class=\"section\" data-lv=\"6\" tabindex=\"-1\"><h1>1） 主部（Ks）</h1><span id=\"m1014_f022\"></span><span id=\"m1014_u019_Ks\"></span><p>小糸川の北側に分布し，東の大多喜地域の笠森層へそのまま連続する．岩相は，生物擾乱を受けた砂質泥岩ないし泥質細粒砂岩を主体とする．富津地域東縁から小糸大谷付近では長浜砂礫部層を除く笠森層主部の層厚は70m程度で，大多喜地域西部より更に薄くなっている．この地域では，主部は細粒砂層と泥質な極細粒砂層の数cmから数10cm単位の互層からなっており，最上部には数cm単位の細粒砂層と泥層の頻互層が発達する．細粒砂層にはリップル状斜交層理がしばしば見られる．さらに西の大鷲付近及びその西側に分布する主部は笠森層の最上部に当たり，岩相は東縁部より細粒で，塊状の砂質泥岩ないし泥岩からなっている．</p></div><div id=\"sec-4-10-2\" class=\"section\" data-lv=\"6\" tabindex=\"-1\"><h1>2） 長浜砂礫部層（Ksn）</h1><span id=\"m1014_f025\"></span><span id=\"m1014_u022_Ksn\"></span><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"命名\" tabindex=\"-1\"><h2>命名</h2><p>金原ほか（1949）による．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"模式地\" tabindex=\"-1\"><h2>模式地</h2><p>富津市長浜付近．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"岩相\" tabindex=\"-1\"><h2>岩相</h2><p>富津地域の笠森層の最下部にあたり，細礫・中礫層を主体とし，中粒から粗粒の砂岩を挟む．基底に顕著なチャネル構造を伴う．西部地域では，数10cmから数mに及ぶ巨大な泥岩ブロックを含む．模式地の長浜付近から宝竜寺にかけての地域では，本部層は基底に顕著なチャネル構造を伴って下位層を削剥し，下位層とは不整合関係にある．とくに，長浜付近では長南層，市宿層及び国本層を欠いて本部層が直接梅ヶ瀬層を不整合に覆っているところもある．富津市清水東方の砂取り場でも市宿層を削って発達するチャネルが観察され，幅数mから10数mのチャネルが複合して不整合面を形成している．</p><p>中部の馬登以東ではこのようなチャネルははっきりと認められず，長浜砂礫部層の厚さも薄くなる．磯根崎背斜周辺でも基底部にはチャネルは発達しない．しかし，本部層は長南層と市宿層を欠いて国本層に接する．本部層は東方へ向かって徐々に上位の地層に接し，富津地域東縁で長南層に重なる．</p><p>本部層は大多喜地域の万田野砂礫層の上半分に連続する．</p></div></div><div id=\"sec-4-10-3\" class=\"section\" data-lv=\"6\" tabindex=\"-1\"><h1>3） 佐貫泥岩部層（Ksk）</h1><span id=\"m1014_f024\"></span><span id=\"m1014_u021_Ksk\"></span><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"命名\" tabindex=\"-1\"><h2>命名</h2><p>植田（1930）による．藤原・生越（1952）が再定義．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"模式地\" tabindex=\"-1\"><h2>模式地</h2><p>富津市佐貫付近．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"岩相\" tabindex=\"-1\"><h2>岩相</h2><p>模式地付近から西側では，厚さ数cmの砂岩薄層を挟在する泥岩で，長浜砂礫部層との境界付近にスランプ堆積層が発達する．磯根崎背斜北側でも下部は同様の岩相であるが，上位へ向かって粗粒となり，周南砂岩部層に近い部分は砂質泥岩ないし泥質細粒砂岩を主体とする．本地域中部の山高原より東では部層全体が粗粒化し砂質泥岩ないし泥質細粒砂岩を主体とする．</p></div></div><div id=\"sec-4-10-4\" class=\"section\" data-lv=\"6\" tabindex=\"-1\"><h1>4） 周南砂岩部層（Kss）</h1><span id=\"m1014_f023\"></span><span id=\"m1014_u020_Kss\"></span><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"命名\" tabindex=\"-1\"><h2>命名</h2><p>金原ほか（1949）による．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"模式地\" tabindex=\"-1\"><h2>模式地</h2><p>富津市周南．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"岩相\" tabindex=\"-1\"><h2>岩相</h2><p>細粒砂岩ないし極細粒砂岩と砂質泥岩ないし泥質砂岩との10-30cm前後の厚さの互層を主とし，稀に50cmを越える級化層理を持っ細粒砂層を挟在する．これは，徳橋・遠藤（1984）が“ふきながし型”砂泥互層として記載した岩相に当たる．</p><p>細粒砂岩層にはしばしばリップル状斜交層理が発達する．生痕が発達することが多く，砂層と泥質な部分との境界は不明瞭である．富津市障子谷付近の本部層上部には，徳橋・遠藤（1984）が“ちりちり型”互層として記載した厚さ数mmから数cmの砂層と泥層の薄互層（flaser bedding）が挟在する．</p></div></div><div id=\"sec-4-10-5\" class=\"section\" data-lv=\"6\" tabindex=\"-1\"><h1>5） 凝灰岩鍵層</h1><p>長浜砂礫部層中にはKs15が認められている（町田ほか，1980）．佐貫泥岩部層中にはKs11.5A・B，Ks11，Ks10が認められており（町田ほか，1980），今回の調査でもKs11.5A・Bが君津市山高原以東で確認・追跡でき，富津市大堰付近でKs11とKs10が認められた（第4.21図）．このKs11とKs10の鉱物組成及びガラス・鉱物の屈折率を付表第1表に示す．</p><p>また，練木付近の笠森層主部最上部，相野谷付近の周南砂岩部層上部にはKs5が挟在する（三梨ほか，1979；町田ほか，1980；鈴木ほか，1995）．</p><div class=\"image-holder overview-landing-limg\" id=\"F4.21\"><a href=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0075-0001.png\" target=\"_blank\" class=\"fig-open-link\"><img class=\"halfsize\" loading=\"lazy\" decoding=\"async\" src=\"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0075-0001.png\"></a><div class=\"figures-tables-support-txt\"><h6><span class=\"fig-label\">第4.21図</span> 笠森層佐貫泥岩部層の凝灰岩鍵層Ks10，Ks11，Ks11.5A・Bの柱状図</h6><p>1：富津市大堰付近，2：君津市山高原．凡例は第3.3図に示す．</p></div></div></div></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"層厚\" tabindex=\"-1\"><h2>層厚</h2><p>笠森層全体として約200m前後あるが，本地域東縁部では100m前後に薄くなる．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"化石\" tabindex=\"-1\"><h2>化石</h2><p>本地域の笠森層の貝化石については，藤原・生越（1952）による報告がある．とくに，長浜砂礫部層からは多くの貝化石の報告がある（藤原ほか，1952：生越，1964）．本調査地域の長浜砂礫部層下部には，上部浅海性の寒冷系種を主とする群集が含まれ，長浜砂礫部層上部からは下部浅海性の暖流系群集が報告されている（馬場・青木，1980；馬場，1990）．</p><p>長浜砂礫部層及び佐貫泥岩部層からParelephas trogontherii，周南砂岩部層からStegodon sinensisなどの哺乳類化石が産出する（高井，1938）．</p></div><div class=\"section stratigraphic_desc\" data-category=\"対比\" tabindex=\"-1\"><h2>対比</h2><p>槇山（1930b）及び藤原ほか（1952）の笹毛層は，長浜砂礫部層と佐貫泥岩部層下部に相当する．長浜砂礫部層中にはKs15が認められ（町田ほか，1980），姉崎地域の万田野砂礫層はKs12-22前後の層準に相当するとされるので（徳橋・遠藤，1984），長浜砂礫部層は，姉崎地域の万田野砂礫層上部に対比され，前述した岩相の連続の仕方と矛盾しない．</p><p>佐貫泥岩部層と周南砂岩部層中には，凝灰岩鍵層Ks11.5A・B，Ks11，Ks10，Ks5などが挟在されることから，両部層は模式地付近の笠森層上部に相当する．</p></div></div></div></div>","text":"第4章 上総層群\n（中嶋輝允・渡辺真人）\n命名は，伊田ほか（1956）による．本層群は，下限は安房層群との間の黒滝不整合，上限は下総層群最下位の地蔵堂層の基底で，この間の一連の海成層をまとめたものである（第2.2図，第3.1表）．本層群の上限については種々の見解があるが，ここでは，地蔵堂層の基底を上限とする徳橋・遠藤（1984）の見解にしたがった．本地域に分布する上総層群の地層は下位から黒滝層，十宮層，黄和田層，大田代層，東日笠層，梅ヶ瀬層，国本層，市宿層，長南層，笠森層の10層である．上総層群が模式的に発達する養老川流域では上総層群の各層はそれぞれ整合関係にある．しかし，富津地域では市宿層，長南層及び笠森層の基底は削剥面をもって下位層を覆う．とくに市宿層と笠森層の基底においては，本地域西部で地質図に表現できる規模の下位層の削剥・欠如が認められ，明らかな不整合面となっている．この不整合面は東方へ整合面へと移化する．このように本地域の上総層群上部にいくつかの不整合面が現れるのは，本地域が堆積盆の縁辺にあって，氷河性海水準変動に伴う低海水準期の削剥が養老川流域より早い時期から顕著になったためと考えられる．\n上総層群が模式的に発達する養老川周辺では，古地磁気・微化石層序及び酸素同位体層序など詳細な層位学的研究が行われており，また上総層群中の多くの凝灰岩層についてフィッション・トラック年代測定が行われている（第2.3図）．これらの年代層序と堆積相解析及び同時間面である凝灰岩鍵層の収束・発散関係を総合して上総層群のシーケンス層序に関する研究が多数行われている．それに関してはIto（1992），Ito and Katsura（1992），伊藤（1997）などを参照されたい．\n黒滝層（Kt）\n命名\n植田（1930）．\n模式地\n君津市小櫃川支流黒滝沢の黒滝．\n分布\n本地域東部では，法ノ木背斜の北側，高宕山向斜の軸部に分布する．この分布は西へ，湊川下流の南部丘陵に沿って続き，十宮から竹岡海岸を経て萩生に達する．また，湊川下流北側の寺尾背斜の周囲にも分布する．\n層序\n黒滝層は，主として礫岩と砂岩からなる地層である．砂岩の間には，稀に泥質砂岩が挟まれる．ここでは，黒滝層は岩相によって定義される．黒滝層上部の砂岩層の上に重なり，凝灰岩層を頻繁に挟む泥質砂岩・砂質泥岩層は，黒滝層ではなく十宮層に属する．\n本層は，上総層群最下部層で基底礫岩をなす．下位の安房層群安野層には不整合に重なる（黒滝不整合）．上位の十宮層の泥質砂岩には漸移的に変わり整合である．\n十宮層のいろいろな層準が，黒滝層の上にアバットしている様子が凝灰岩鍵層によって確かめられる．富津地域西海岸～中部の関付近までは，十宮層下部の鍵層To1付近が黒滝層上部に重なるが，関から東の法ノ木に向かって，To1からTo10までの鍵層が黒滝層の上に次々とアバットしている（第4.3図にはTo2～To4までの鍵層が示されている）．さらに東隣の大多喜地域に入り，小櫃川支流の笹川付近に至ると，黄和田層基底の鍵層Kd38付近の鍵層が黒滝層にアバットしている．このように，凝灰岩鍵層の追跡によって十宮層の各層準が西から東に向かって黒滝層の上にアバットする様子が確かめられる．凝灰岩鍵層は黒滝層の粗粒堆積物の中に入ると消えてしまうが，十宮層の岩相は凝灰岩鍵層に沿って次第に粗くなり，黒滝層の粗粒堆積物に漸移する．したがって，黒滝層の一部は十宮層の各層準と同時異相の関係にある．\nなお，大多喜地域の笹川以東では，黄和田層以下の地層が逆に東から西に向かって黒滝層の上にアバットしていて，黒滝層の一部はそれらの地層と同時異相の関係にある．\n岩相\n礫岩と砂岩よりなる．\n礫岩は，チャート，頁岩，硬質砂岩などの円礫（粒径1～10cm）や安房層群の泥岩礫（粒径数cm～30cm）からなる．基質は粗粒なスコリア，軽石，貝化石片を含む砂である．一般にあまり厚く発達せず，通常数10cm～数m程度の厚さである．\n砂岩は，中粒～極粗粒砂からなる．貝化石の破片，すなわち貝砂からなる場合とスコリアや軽石を多く含む場合がある．スコリア質砂岩は粗粒～極粗粒，しばしば細礫サイズの粗い部分を含む．黒滝層の砂岩の特徴は，斜層理が良く発達することである（第4.1図）．斜層理の傾斜方向は，各地でN10°W～NあるいはN～Eのものが多く，黒滝層の堆積物を運んだ流れが南から北へあるいは西から東に向かっていた可能性がある．\n黒滝層の礫岩・砂岩は陸棚浅海砂帯の堆積物と考えられる．波浪や潮流などの流れによって絶えず堆積物が移動する環境なので，細粒な凝灰岩層は存在できず，粗粒な火山砕屑物のみが存在し，砂粒子とともに斜層理やラミナを形成している．志駒川岩本付近では，砂岩層の中に泥質砂岩が挟まれ，その中に例外的に粗粒～火山礫スコリア凝灰岩層やハイゴマ凝灰岩層が存在する．\n黒滝層中に砕屑岩脈が稀に認められる．相川の腰越付近においては，黒滝層中にN47°E，78°S，脈幅1～10cmの砕屑岩脈が発達し，岩脈の中を細粒の軽石とスコリアが充填している．他の地域では，砕屑岩脈の充填物が黒滝層下部の礫岩に由来するものもある．\n富津市岩本．\n層厚\n第4.1表に各地における黒滝層の層厚を示す．萩生―法ノ木の東西断面では，最も厚いところは相川下流居作の96m，最も薄いのは法ノ木の0.7mである．西側の岩本―萩生間と東側の高宕山―高宕川間で厚く発達し，60～90m台となる（地質図，第4.2図）．寺尾背斜の北では，1～7mで薄い．\n距離は萩生を起点として計測．\n化石\n黒滝層中には貝類をはじめ石灰藻，腕足類，棘皮動物など多くの化石が産する．大原・高橋（1975）が黒滝層の貝化石についてまとまった報告をしている．それによると，大部分の種類は日本列島近海に生息する現生種であるが，鮮新統に限って産する種類も含まれている．また，黒滝貝化石群は，岩礁性の種類が卓越し，浅海区下部と上部の要素が混合している．その環境は温暖な海流の影響を受けた浅海区下部で，岩礁性海岸に近く，潮間帯～上浅海帯に生息していた種類が潮流などで運ばれて堆積する場所であると推定された．\n対比\nOtuka（1949）の竹岡凝灰質角礫岩，小池（1949）の竹岡凝灰角礫岩層及び駒場凝灰角礫岩層は黒滝層に対比される（第3.1表）．\n十宮層（To）\n命名\nOtuka（1949）．命名時は十宮凝灰質砂岩とされた．\n模式地\n富津市十宮から竹岡に至る海岸．\n分布\n黒滝層とほぼ同様の分布をする．本地域東部の法ノ木背斜の北側から西へ，湊川下流の南部丘陵に沿って分布し，十宮・竹岡海岸に達する．また，湊川下流北側の寺尾背斜の周囲に分布する．\n層序\n本層は，黒滝層の礫岩・砂岩層の上に重なる泥質砂岩・砂質泥岩からなる地層である．下位の黒滝層に整合に重なる．上位は黄和田層によって整合に覆われる．\n凝灰岩鍵層による定義では，To1～Kd38の間が本層である．黒滝層のところで述べたように，富津地域の湊川関付近から東へ，大多喜地域の笹川に向かって十宮層が黒滝層の上にアバットしている．本地域東部では十宮層の下部は黒滝層と同時異相になっている．\n岩相\n主に砂質泥岩と泥質砂岩よりなり，少量の中粒～粗粒砂岩を含む．凝灰岩層は多数挟まれる．西海岸の萩生から東の法ノ木に至る東西断面では，下部が泥質砂岩と少量の中粒～粗粒砂岩からなり，上部は砂質泥岩と泥質砂岩からなる．但し，西海岸の萩生では全体が泥質砂岩と少量の中粒砂岩からなる（第4.3図）．すなわち，十宮層は上部及び東部に向かって細粒になる傾向がある．湊川下流北部の寺尾背斜の周囲では，十宮層全体が泥質砂岩と中粒砂岩からなる．\n砂質泥岩・泥質砂岩\n本層の砂質泥岩・泥質砂岩は天津・安野両層のものと基本的に変わらない．両岩相ともに生痕化石や保存状態の良い貝化石をしばしば含む．\n泥質砂岩は凝灰質であることが多いため，間に挟まれる凝灰岩層との境界が不明瞭である．泥質砂岩の中には，粗粒な砂粒子からなる不明瞭なラミナやlenticular beddingが認められ，陸棚泥帯の波浪限界に近い環境の堆積物であることが推測される（中嶋，1978）．下部の泥質砂岩に挟まれる中粒～粗粒砂岩は，スコリア又はゴマシオ凝灰岩質でトラフ状の斜層理やflaser beddingを持ち，堆積盆が一時的にさらに浅海域に近い環境になったことを示す．\n砂質泥岩は，間に挟まれる凝灰岩層との境界が明瞭である．砂質泥岩の中にはlenticular beddingや砂岩の薄いレンズが存在する．\n凝灰岩\n十宮層には天津・安野層と同様に，スコリア凝灰岩，軽石凝灰岩，ゴマシオ凝灰岩，細粒凝灰岩など多数の凝灰岩層が存在する．凝灰岩層は厚さの範囲，種類ともに両層のものと同じである．\n十宮層下部の泥質砂岩中の凝灰岩層は，前述のように周囲の泥質砂岩が凝灰質であるため境界が不明瞭で見分けにくい．また，波浪限界に近い浅い堆積環境であったため，一度海底に堆積した凝灰岩層が波浪や海流などの作用によって浸食され断片的になっていることが多い．\n第4.4図に十宮層の代表的な凝灰岩鍵層To3を示す．この凝灰岩は十宮層下部の泥質砂岩・中粒砂岩の中に存在し，厚さ30～40cmの中粒ゴマシオ凝灰岩（上部）と厚さ14～40cmの極粗粒スコリア凝灰岩（下部）などからなる．To3下部の極粗粒スコリア凝灰岩は内部に層構造をもち，上・中部は正級化を示す1～2ユニットのスコリア凝灰岩，下部は厚さ4～5cmの逆級化を示す極粗粒軽石凝灰岩からなる．このような層構造をもつ凝灰岩は，安野層の凝灰岩鍵層An2，An46，An158等と同様なタイプに属し（III-2-c），上・中部のスコリア凝灰岩はタービダイト凝灰岩，下部の軽石凝灰岩は降下火山灰起源の凝灰岩である．\nTo3は，西海岸の萩生では，黒滝層の上6mの位置に存在し，下部の極粗粒スコリア凝灰岩は火山礫サイズまで粗粒となる．しかし，このスコリア凝灰岩層は側方数mのところではその全体が浸食されてしまい，堆積時の波浪や海流の強い影響を認めることができる．\n凝灰岩鍵層To12は十宮層上部にあり，上から極粗粒軽石凝灰岩（2～8cm），黒色細粒スコリア凝灰岩（2～6cm），極粗粒ハイゴマ凝灰岩＋粗粒逆級化軽石凝灰岩（9～23cm）の3層からなる（第4.5図）．それぞれの特徴は細部にわたって広い範囲に維持される．しかし，一番上の極粗粒軽石凝灰岩は，層としてまとまって存在する状態から凝灰岩を構成する軽石粒子が泥質砂岩中に散らばって存在する状態まで，その産状はかなり変化する．\nTo3は3～5層の凝灰岩の組み合わせである．カッコ内は鍵層のニックネーム．凡例は第3.3図に示す．\nカッコ内は鍵層のニックネーム．凡例は第3.3図に示す．\n層厚\n第4.2表に十宮層の各地の層厚を示す．層厚は大部分の地域で36～57mと均一であるが，湊川の関で71mと最も大きな値となっている．\n距離は萩生を起点として計測．\n化石\nOtuka（1949）は，本層より多数の貝化石を報告している．その多くは現生種である．また，その生息環境は，暖流の影響を受ける陸棚から大陸斜面の半深海性種である．\n対比\n小池（1949）の十宮凝灰質砂岩層の中・下部に相当する．なお，正式の地層名ではないが，三梨（1954）の十宮凝灰質砂岩相は，その中に記載された代表的な2層の凝灰岩鍵層がKd38とKd23に相当するので，少なくともその上部は本報告の黄和田層に当たる．\n黄和田層（Kd）\n命名\n植田（1930）．\n模式地\n君津市黄和田畑．\n分布\n本地域東部の法ノ木背斜北翼から西へ分布し，高宕山向斜の西延長に当たる関向斜の軸部を広く占める．さらに西側では湊川下流の低地に沿って，富津市六野，台原から上総湊の市街地を通って十宮海岸に至る．また，十宮層と同様に湊川下流北側の寺尾背斜の周囲に分布する．\n層序\n植田（1930）による命名時の記載では，主として凝灰質頁岩よりなる地層とあるだけで詳細はない．三梨ほか（1959）が再定義し，君津市黄和田畑を模式地として，凝灰岩鍵層Kd2～Kd38の間の泥岩層を黄和田泥岩層とした．ここでは基本的にその定義に従うが，鍵層Kd2については記載がなく，広域的にも追跡されていないことから，上限については，再定義が必要となる．\n黄和田層上位の大田代層基底部にある凝灰岩鍵層O26，O27は，富津地域にも認められる広域的な鍵層である．したがって，ここではO27をもって黄和田層と大田代層の境界とする．すなわち，凝灰岩鍵層による定義では，O27～Kd38の間が黄和田層である．なお，地質図上では，鍵層O26を黄和田・大田代両層の境界として示している．O26は，容易に追跡でき，多くの場所に認められる鍵層である．O27との距離もごく近く，5万分の1地質図上では位置の差は微小である．\n本層は，十宮層の泥質砂岩・砂質泥岩に整合に重なる．上位は大田代層によって整合に覆われる．上下の境界付近では岩相の差がないか漸移的．\n岩相\n主として泥岩，砂質泥岩及び泥質砂岩よりなる．法ノ木から高溝にかけて黄和田層中部にタービダイト砂岩層が少し挟まれる．また，高溝から湊川中流関，志駒川下流関尻付近にかけて中部に厚いスランプ堆積層が存在する．黄和田層には十宮層と同様に凝灰岩層が多数存在する．\n泥岩・砂質泥岩・泥質砂岩\n本地域の黄和田層は西海岸の十宮付近を除くと，おおまかに下部の鍵層Kd23以下が泥質砂岩，鍵層Kd8-Kd23間が砂質泥岩，鍵層Kd8以上が粗粒～中粒泥岩からなる．すなわち，黄和田層は上部に向かって細粒化する（第4.6図）．しかし，詳細に見ると黄和田層の岩相変化は富津地域内ではかなり変化に富んでいる．\n側方の岩相変化を十宮―法ノ木の東西断面についてみると，黄和田層下部は東部の法ノ木では，鍵層Kd23以下が全て泥質砂岩であるが，西に向かって細粒化し，次第に砂質泥岩に置き換わる．本地域中部，関と小志駒の間では鍵層Kd23以下は全て砂質泥岩となる．しかし，小志駒からさらに西の十宮付近に至ると黄和田層下部は再び粗粒化して鍵層Kd23-Kd38間は泥質砂岩に変わる．\n泥質砂岩の上に重なる砂質泥岩の上限，すなわち上位の粗粒～中粒泥岩との境界は法ノ木では鍵層Kd23の少し上にあるが，西に向かって次第に上位に移動し，小志駒付近では鍵層Kd8を越え，その結果，粗粒～中粒泥岩の範囲は狭まり，黄和田層の下半部が砂質泥岩によって占められてしまう．さらに西の十宮付近になると，一層粗粒化して粗粒～中粒泥岩の岩相はなくなり，黄和田層中部が砂質泥岩，上部が泥質砂岩によって占められる．とくに，上部の泥質砂岩は，その中に斜層理を持つ中粒砂岩を挟むほど粗くなる．\n東西断面全体として見れば，西に向かって粗くなると言ってよいが，その実態は上記のように単純ではない．\n寺尾背斜周囲の寺尾北―恩田の東西断面では，黄和田層中・下部の砂質泥岩の上限はKd5付近まで拡がっているので，南の十宮―法ノ木の東西断面に比較すると，北に向かって黄和田層の粗粒化する傾向が認められる（第4.6図）．\nなお，黄和田層の砂質泥岩と泥質砂岩には，十宮層と同様に，その中に粗粒な砂粒子からなる不明瞭なラミナやlenticular beddingが認められる．\n砂岩\nタービダイト砂岩は黄和田層の中には少なく，東部の法ノ木から高溝付近にかけて黄和田層中部に若干認められるのみ．法ノ木では，厚さ0.8～1mの細粒～中粒タービダイト砂岩が少しまとまって見られるが，高溝付近になると厚さ10～50cmの細粒タービダイト砂岩が4～5層存在するだけである．\nスランプ堆積層\n本層中部には大規模なスランプ堆積層（Tmzスランプ層）が存在する（第4.6図）．このスランプ堆積層は高溝付近から関を経て，志駒川下流の関尻，小志駒まで分布し，一部はさらに西の横山付近に達する．高溝―関間で最も厚く，層厚29～30mになる．このスランプ堆積層の下部はタイプIIの砂質泥岩，流状シルト岩，含礫泥岩などからなる．上部は地層の褶曲変形からなるタイプIのスランプ堆積層である（第4.7図，第3.2表）．\n上部のタイプIは，スランプ堆積層全体の厚くなる高溝―関尻間に存在し，それより東あるいは西側では尖滅する．一方，下部のタイプIIはタイプIより連続性が良く，東西に拡がっている．Tmzスランプ層は下位の地層を大きく削剥している．このスランプ層はKd4の直下に存在するが，スランプ堆積層基底の削剥は，Kd5からKd23直上までのいろいろなレベルに及ぶ．\n高溝から関にかけては，タイプIとIIの間に砂岩，礫岩，泥質砂岩が介在する．この粗粒層は一部液状化して，上位のタイプIのスランプ堆積層中に貫入している．関付近の湊川河床の観察では，この砂岩・礫岩層は単層の厚さが1～5mで，4～5ユニットからなる．また，それぞれの層の基底部が下位層をチャネル状に浸食している部分もある．チャネル壁の方向は，N10-15°Wで南北に近い．\n凝灰岩\n黄和田層には，十宮層と同様に多様な凝灰岩層が存在する．種類としては，ハイゴマ凝灰岩が最も多く，スコリア凝灰岩がそれに次ぐ．軽石凝灰岩，ゴマシオ凝灰岩，細粒凝灰岩などは少ない．\nスコリア凝灰岩が出現して，凝灰岩層が多様化した天津層下部から黄和田層までを通して見ると，この間凝灰岩の数は多く，その出現間隔は，泥岩層の厚さにしておよそ10cm～3mおきである．その中でもとくに凝灰岩層の多いのは，天津層小湊凝灰岩部層中と黄和田層下部の鍵層Kd23～Kd38の間である．その出現間隔は泥岩層約10～50cmおきで，非常に高い頻度である．\nしかし，黄和田層上部のKd8付近から上になると凝灰岩層は急激に減少する．凝灰岩層の出現間隔は約3～10mおきになり，ひとつの露頭で1～2層の凝灰岩が見える程度になる．以後，凝灰岩数の少なくなる傾向は上総層群の上部まで続くので，Kd8付近は，凝灰岩数の急減する層準として重要である．\n第4.8図には黄和田層の代表的な凝灰岩鍵層Kd38を示す．鍵層Kd38は黄和田層基底の泥質砂岩～砂質泥岩の中に存在する．厚さ3～40cmの凝灰岩層の8～10層の組み合わせからなる．中粒～粗粒のゴマシオ凝灰岩とハイゴマ凝灰岩が多く，下部にベージュ～ピンク色の細粒凝灰岩が1層存在するのが特徴である．ゴマシオ及びハイゴマ凝灰岩は，正級化層理を示すタービダイト凝灰岩であるが，その多くは上部にスコリアを多く含み2層構造をなす．凝灰岩のタイプはI-1-cである（第3.15図）．鍵層Kd38の上部にある厚さ20cm前後の中粒ゴマシオ凝灰岩は，その基底3～4cmが細粒となっていて2層構造をなし，タイプIII-2-bの凝灰岩である．この特徴はKd38を識別するのに役立つ．\n鍵層Kd38を凝灰岩層の間の泥岩層を含めて全体として見ると，層厚変化は小さく，東の法ノ木から西海岸の十宮までほぼ均一の厚さである．泥岩層は本地域中部の関から小志駒にかけては砂質泥岩，その東及び西側では粗粒化して泥質砂岩となる．西海岸では，Kd38下部の細粒凝灰岩は，周囲の泥岩が粗粒になるにもかかわらず厚くなっている．\n第4.9図には凝灰岩鍵層Kd23を示す．この鍵層及び上位の鍵層の中には，中粒から粗粒のゴマシオ及びハイゴマ凝灰岩層が多い．凝灰岩層と互層する砂質泥岩や泥質砂岩の中には，中粒～ラピリサイズの軽石やスコリアの粒子が特定の層準に数多く散っている．これらの泥質岩中の粒子は，海面に降下した火山灰が泥の粒子とともに海中を沈降して海底に堆積したもので，タイプII-1の凝灰岩に属する．\n鍵層Kd23を構成する凝灰岩層のなかで目立つのは，上部にある厚さ40～50cmの凝灰岩である．この凝灰岩層は上部が極粗粒～ラピリサイズの正級化ハイゴマ凝灰岩，下部が中粒～粗粒の正級化ゴマシオ凝灰岩の2層構造で，タイプI-2-bの凝灰岩である．この凝灰岩層の10cmほど下には，ピンク色を帯びた白色細粒凝灰岩が存在することがあるが，間の泥岩層が粗粒化して泥質砂岩になっている場所には見られない．Kd23及びその上位の凝灰岩層には，2層構造のものが多い．凝灰岩のタイプでは，I-1-b，I-1-c，I-2-bなどである．\n層厚変化は，Kd23から上位の鍵層En tuffまで全体を通して見ると，均一で変化は小さい．しかし，湊川下流域の北側，寺尾背斜南翼の台原では明らかに厚くなる傾向がある．\nカッコ内は鍵層のニックネーム．凡例は第3.3図に示す．\nKd23の上下は凝灰岩層が非常に多いので番号では鍵層を憶えきれない．カッコ内は鍵層のニックネーム．凡例は第3.3図に示す．\n層厚\n西から萩生51m，小志駒79m，関86m，高溝100m，法ノ木81mである．寺尾背斜北翼の東大和田北では57mの層厚である（第4.3表）．東西断面では，高溝が最も厚く，西に向かって薄くなる．南北断面では北側が薄くなっている．\n距離は萩生を起点として計測．\n対比\n小池（1949），三梨（1990）の高溝泥岩層又は高溝層の下部と十宮凝灰質砂岩層又は十宮層の上部は本層に相当する（第3.1表）．微化石・古地磁気層序によれば，本層中の凝灰岩鍵層Kd38の直上に鮮新・更新統境界がある（新妻，1976；Oda，1977；佐藤ほか，1988）．\n大田代層（Ot）\n命名\n植田（1933）．\n模式地\n大多喜町大田代．\n分布\n本地域東部の法ノ木から西へ，宇藤原から大川崎まで分布し，そこから芹向斜によって北側に分布を繰り返す．北側の分布は更に寺尾背斜によってもう一度北へ繰り返され，寺尾背斜北翼を新田から西へ，東大和田北，寺尾北，駒場を経て，上総湊市街地に達する．\n層序\n植田（1933）による命名時には岩相の記載はない．三梨ほか（1959）が大多喜町大田代を模式地として，本層の岩相の定義と凝灰岩鍵層の記載を行った．ここに用いる大田代層はその定義に従う．\n模式地では，大田代層は砂勝ち互層と泥勝ち互層の繰り返しであるが，大多喜地域西部から富津地域にかけて全体が泥勝ち互層及び泥岩層へと岩相が変わる．とくに，大田代層の下部は下位の黄和田層と似たような岩相になり区別がつかなくなる．大田代層の下限は，前項の黄和田層で述べたように鍵層O27によって定義される．\n上限については，富津地域東部の法ノ木，高溝の北にかけては，大多喜地域から引き続いて大田代層の上位に梅ヶ瀬層の厚いタービダイト砂岩からなる砂勝ち砂泥互層が重なるので，泥勝ち砂泥互層からなる大田代層上部との境界は明瞭である．しかし，富津地域中部の寺尾背斜北翼では，梅ヶ瀬層下部のタービダイト砂岩が尖滅して泥勝ち砂泥互層又は泥岩層となり，岩相による大田代層と梅ヶ瀬層の識別は困難になる．\n梅ヶ瀬・大田代両層境界付近の凝灰岩鍵層として，富津地域においてはU10，O1，O7，O8などが認められる．三梨ほか（1959）の地層の定義では，U10とO1が梅ヶ瀬層，O7とO8が大田代層に属する．梅ヶ瀬層下部のOlと大田代層上部のO7の間には，広域的に追跡できる目立った凝灰岩鍵層が認められない．しかし，問題となる寺尾背斜北翼においては梅ヶ瀬・大田代両層中のタービダイト砂岩の尖滅に伴い全体の層厚が大きく減少し，鍵層O1とO7は短い距離に接近する．したがって，寺尾背斜北翼においては，他の地域のO1-O7間の両層境界位置からおおまかに推定して鍵層O1の約10m下を境界とした．\n大田代層と黄和田・梅ヶ瀬両層の関係は整合である．\n岩相\n主としてタービダイト砂岩・泥岩互層と泥岩層からなる．凝灰岩層は，先に述べたように黄和田層中・下部に較べると少なく，とくに本層の上部には稀である．スランプ堆積層は2層認められる．\n高溝と法ノ木の東西断面では，大田代層上部（O7より上）と最下部（O18とO26の間）の2層準に泥勝ち砂泥互層が存在する（第4.10図）．上部の泥勝ち互層にはタービダイト砂岩層の数が多く，とくに最上部でその数が増す．法ノ木では，上部の砂泥互層の中ほどに，砂勝ち互層が少し現れる．\n大田代層基底部，黄和田層との境界近くは（O26とO27の間），タービダイト砂岩が含まれず，泥岩層のみである．大田代層に入ってタービダイト砂岩が頻繁に現れるようになるのはO26以上である．しかし，大田代層下部は上部に較べ，タービダイト砂岩層の挟みが少なく泥岩層を主とする岩相である．\n寺尾背斜北翼になると，大田代層中のタービダイト砂岩の数は一層減少し，大田代層全体が泥岩層を主とする岩相に変わる．ただし，西海岸の上総湊に至ると，中部のO7層準付近に比較的厚いタービダイト砂岩を含む砂泥互層が再び現れる．\n泥岩・砂質泥岩\n高溝―法ノ木間の泥岩は中粒～粗粒泥岩である．寺尾背斜北翼においては，泥岩は少し粗粒化し，大田代層中・下部が粗粒泥岩，上部が粗粒泥岩～砂質泥岩に変わる．泥岩中には生痕がしばしば存在するが，それ以外は一般に塊状・均質で，堆積構造は認められない．\n大田代層の泥岩は，安房層群の安野層～天津層の泥岩と堆積学的特徴はほとんど変わらないが，岩石の硬さは明らかに減少している．大田代層の泥岩はピッケルや堆積ハンマーで容易に割ることができる．\n砂岩\n大田代層のタービダイト砂岩は，隣接の大多喜地域において厚く発達する．富津地域では，厚さ1mを超えるタービダイト砂岩は稀で，大半が厚さ1～50cmである．ソールマークを使った古流向解析などから，富津地域のタービダイト砂岩はタービダイト堆積盆上流縁辺部に堆積したものと考えられている（Hirayama and Naka-jima，1977）．\n大田代層上部のタービダイト砂岩については，法ノ木において厚さ1～50cmの細粒～粗粒砂岩が多く見られる．また，上部の中ほどに厚さ100～200cmの粗粒砂岩（単層基底の粒度）が少量存在する．高溝では，上部のタービダイト砂岩層の数は変わらないが，厚さは1～25cmと薄くなる．\n大田代層最下部のタービダイト砂岩については，法ノ木―高溝において厚さ1～10cmの極細粒～細粒砂岩が存在する．また，高溝の西方，大川崎付近の芹向斜南翼では，鍵層O26の上部に厚さ35～80cmの細粒砂岩が挟まれ，タービダイト砂岩の厚さが増している（第4.11図）．大田代層最下部の厚さはそれに伴って増加する．\n芹向斜の褶曲軸付近と北翼に当たる東大和田の湊川及びその東側支流の河床には，大田代層最下部（O27-O26間及びその少し上部）と東日笠層が分布している．ここでは，大田代層最下部が東日笠層に接し，その一部が東日笠層の基底において浸食されている様子が観察される．また，東日笠層の北側に接する大田代層最下部には，厚さ50～500cmの厚いタービダイト砂岩が認められる．このタービダイト砂岩は，東日笠層の項で述べるように，東日笠海底谷を流れたturbidity currentsの谷からのオーバーフロー堆積物と考えられる．\n大田代層最下部は東大和田から北側へ，寺尾背斜によって繰り返し分布するが，北側ではタービダイト砂岩の厚さと数が減じている．大田代層全体としても寺尾背斜北翼では，厚さ1～10cm程度の細粒タービダイト砂岩が少量含まれているに過ぎない．\nスランプ堆積層\n2層のスランプ堆積層のうち1層は大田代層中部にあり，高溝付近から寺尾背斜北翼にかけて，凝灰岩鍵層O7の少し上に位置する．このスランプ堆積層は下位の地層を鍵層O8のレベルの少し上まで浸食している．このため鍵層O7はこの間で存在しない．\nこのスランプ堆積層の厚さは，高溝付近で約10mある．下部約2mが含礫泥岩，その上は粗粒～砂質泥岩と薄いタービダイト砂岩からなる泥勝ち互層が強く褶曲したタイプのスランプ層が重なる．すなわち，これはタイプIIの下部とタイプIの上部からなるスランプ堆積層であり，黄和田層のTmzスランプ層に類似している．寺尾背斜北翼（東大和田の北）では，このスランプ堆積層は厚さ3～4mの粗粒泥岩（タイプII）からなる．一見上下の泥岩と区別しにくい．\n大田代層のもう1層のスランプ堆積層は，大田代層最下部にある厚さ1～2mの含礫泥岩である．このスランプ堆積層は，東大和田の芹向斜軸部付近に存在する．\n凝灰岩\n先にも述べたように，黄和田層に較べると大田代層においては凝灰岩層の数が大きく減少する．その中でやや多いのは白色～淡灰色～ベージュ色の細粒凝灰岩である．次いでスコリア凝灰岩の薄層が見られ，ゴマシオ凝灰岩やハイゴマ凝灰岩は少ない．大田代層の代表的鍵層であるO7，O11，O18，O26，O27等はいずれも白色～淡灰色～ベージュ色の細粒凝灰岩が主である．\n鍵層O7は大田代層中部に位置する1層のベージュ色細粒凝灰岩からなる（付図第1図）．法ノ木で厚さ31cmあり，大田代層の中で最も厚い凝灰岩のひとつである．これより上，大田代層の上部には目立った凝灰岩層がないので，1層ではあるが鍵層としての確認は容易である．しかし，O7の判定を確実にしたい場合には，約10m下に鍵層O8が存在するかどうか確かめる．O8は，厚さ2～5cmの淘汰度の良い中粒スコリア凝灰岩（タイプII-2-a）である（第3.15図）．多くの場合2層構造になっている特徴をもつ．大田代層中には他にこのような例はないので，O8の鍵層としての判定はむずかしくない．法ノ木より西では，O7は直上のスランプ堆積層によって浸食され存在しないが，O8は浸食をのがれ広く追跡することができる．\n第4.11図は，凝灰岩鍵層O26の側方変化を示している．O26は，上部の厚さ3～5cmのスコリアシルトと下部の厚さ11～53cmのベージュ色～灰白色細粒凝灰岩の組み合わせである．上部のスコリアシルトは内部が2層に分かれていて，上半が淡紫色，下半が黒色である．下部のベージュ色～灰白色細粒凝灰岩も同様に2層構造になっていることが多い．その場合は，上部がシルトサイズの細粒凝灰岩，下部が凝灰質細粒砂岩～砂質凝灰岩である．\nO26全体としては，大川崎―法ノ木の東西断面では中部の大川崎で最も厚い．間に挟まれるタービダイト砂岩も同様である．O26下部の細粒凝灰岩は，厚くなるにしたがって含まれるユニットの数が増え，大川崎では3つの正級化ユニットからなる．大川崎から北へ，芹向斜，寺尾背斜を越えるにしたがいO26は層厚を減じる．\n凝灰岩鍵層O18は，上部から厚さ1～2cmのスコリアシルト～中粒スコリア凝灰岩，2～4cmの細粒ゴマシオ凝灰岩，13～23cmの中粒ゴマシオ凝灰岩の3層からなる（第4.12図）．中部の細粒ゴマシオ凝灰岩は内部が2層構造で，下部1cmが灰白色細粒凝灰岩，その上が細粒ゴマシオ凝灰岩である．O18下部のゴマシオ凝灰岩も2層構造で，こちらは上部が灰白色細粒凝灰岩，下部が中粒ゴマシオ凝灰岩となっている．O18を構成する個々の凝灰岩層は厚さの変化があまりなく，内部構造も側方によく保たれる．全体の層厚は，高溝―法ノ木の東西断面では西に向かって少しずつ減少し，北へは寺尾背斜北翼に向かって大きく減少する．\nO26は上部がスコリアシルト，下部が淡灰色細粒凝灰岩からなる．カッコ内は鍵層のニックネーム．凡例は第3.3図に示す．\nO18は1層のスコリアシルトと2層のゴマシオ凝灰岩からなる．カッコ内は鍵層のニックネーム．凡例は第3.3図に示す．\n層厚\n西から高溝138m，高宕川148m，法ノ木207mで，東に向かって厚くなる．北側の寺尾背斜北翼では，西から寺尾の北で143m，東大和田の北で126mとなっていて，高溝や高宕川とほぼ同じ厚さである（第4.4表）．\n距離は東大和田北を起点として計測．\n化石\n隣接の大多喜地域では，大田代層泥岩中に暖流系深海性の貝化石群集が含まれ，その環境は水深400～1,000mと推定されている．一方タービダイト砂岩には主に暖流系の上部～下部浅海性及び岩礁性の貝化石が含まれる（馬場，1990）．\n成瀬（1973）による貝化石及びAoki（1968）による有孔虫化石の検討によれば，富津地域の大田代層からは大多喜地域の小櫃川以東よりもより浅海の化石が産出することが明らかになっている．\n対比\n坂倉（1935a）の小平ケ台泥岩層の上部～坂畑層下部に対比される．小池（1949）及び三梨（1990）の高溝泥岩層あるいは高溝層の上部にほぼ相当する（第3.1表）．\n東日笠層（Hg）\n命名\n大塚・望月（1932）．最初は東日笠泥砂礫層の名称が用いられている．なお，命名時には岩相の記載はない．ここでは，富津市芹付近を中心に，東西方向に帯状に分布する厚いタービダイト砂岩・礫岩層からなる地層を東日笠層とする．\n模式地\n富津市芹付近とする．\n分布\n富津市の横山より山脇，東大和田，芹を経て君津市植畑，東日笠に至る東西約10km，南北約1kmの細長い帯状の地域に分布する．帯状分布の長軸方向はENE-WSWである．\n層序\n東日笠層には凝灰岩鍵層が存在しないので，周囲の地層との層序関係を詳細に調べることは難しい．しかし，次の岩相の項で述べるように，スランプ堆積層や東日笠層特有の性質を用いておよその関係を知ることができる．それによると，東日笠層は分布の東半では鍵層U9以上の梅ヶ瀬層に，西半では鍵層U9以下の梅ヶ瀬層と大田代層に対応する．\n以下に述べるように，東日笠層と周囲の地層の間には，著しい浸食現象が見られるが，それは海底におけるturbidity currentsによる浸食の結果で，不整合現象ではない．\n岩相\n東日笠層の立体形は，長軸がENE-WSW方向に伸びた谷を堆積物が充填したような形状である．この谷地形（芹向斜）の底と南及び北側の側壁に当たる部分では，東日笠層下位の地層が深く浸食され，谷状に抉られている様子が観察される．このことから，東日笠層堆積時の海底に実際に谷が存在し，その谷を埋め立てるように堆積作用が進行したことが分かる．佐藤・小池（1957）は，この谷を東日笠化石海底谷と名付けた（本論文では東日笠海底谷とする）．現在の東日笠層の最も高い位置から谷底までの高さは200mを越える．但し，これは後述するように必ずしも東日笠層堆積時に存在した谷の深さに対応するものではない．\n東日笠層の基底に接する下位の地層は西から東へ，黄和田層（横山，山脇），大田代層（東大和田の湊川河床），梅ヶ瀬層中部（西日笠の小糸川河床）というように次第に上位の地層になる．すなわち，谷の浸食の及ぶ深さは東に向かって次第に浅くなっている．\n東日笠層は，その大部分が厚いタービダイト砂岩からなり，泥岩を含まない．他に，スランプ堆積層が東日笠層の中部に1層存在するのみである．なお，佐藤・小池（1957）が東日笠層の基底に位置付けたスランプ堆積層は，東日笠層のものではなく，下位の黄和田層や大田代層中のものである．\nタービダイト砂岩は，厚さ1.5～4mのものが多いが，とくに厚いものでは10～15mに達する（第4.13図）．砂岩は正級化を示し，下部は粗粒砂岩～礫質砂岩，上部は中粒砂岩からなる．下部の礫質砂岩は，中礫サイズの円礫を多く含むことが多く，良好な骨材資源となる．横山及び東大和田・高溝から芹付近にかけて分布する東日笠層が採掘対象となっていて，いくつかの砂取場がある（第8.1図）．\nタービダイト砂岩の下部から中部にかけて，泥岩の偽礫が多く含まれる．泥岩偽礫は中粒～粗粒泥岩で，10～50cmのものが多い．とくに大きいものは，70～80cmに達する．これらの泥岩偽礫は，上流側に存在した泥岩層がturbidity currentsによって削剥され，下流に運ばれてきたものである．\nタービダイト砂岩層基底の浸食は，東日笠層に普通に見られる（第4.13図）．下位にある砂岩層を深さ1～5mにわたってチャネル状に削る例も珍しくない．チャネル状浸食に加えて，ステップ状に下位の砂岩層を浸食することもしばしばある（第4.13図の1）．高溝北の尾根上では，大規模な山砂の採掘が行われ，東日笠層や東日笠海底谷の断面，谷の南側の側壁と東日笠層タービダイト層との関係などを観察することができる．第4.13図の2と3には，その様子を断面と平面図（ルートマップ）に示している．谷の南側の側壁は主に中粒～粗粒の泥岩で，厚さ1～5cmの細粒タービダイト砂岩と凝灰岩層が挟まれる．凝灰岩層には，梅ヶ瀬層中部の鍵層U9が存在する．U9とともに側壁を構成する地層はステップ状に浸食され，東日笠層のタービダイト砂岩と接している．\n浸食によって生じたステップは，1段の高さが2～4m，幅は3～5mである．図から分かるように，ステップ1段に1層の厚いタービダイト砂岩層が対応している．すなわち，厚いタービダイト砂岩を運んできた1回のturbidity currentが，その強い側方浸食力によって，ひとつのステップを削り込んだのである．削り取られた側壁は，泥岩偽礫となって下流に堆積したと考えられる．このような厚いタービダイト砂岩の堆積と浸食作用のセットは，浸食による谷の形成とタービダイト砂岩の堆積・谷の充填が同時進行的に起きたことを示している．\nなお，南側の側壁において浸食され東日笠層と接している梅ヶ瀬層の層準は，高溝の北ではU9層準であるが，東の宇藤原の北でU8層準，船塚付近でU7層準というように，東に向かって次第に上の層準になる．これは前記の東日笠層の基底に接する層準が東に向かって上位の層準になることと調和的である．\n東日笠海底谷の北側側壁は，新田の付近で観察できる．東日笠層は大田代層の上にあり，その境界は南側側壁とは異なり，大田代層の層理に緩やかに斜交して，大田代層を浸食している．浸食は大田代層の凝灰岩鍵層O11の3.5m上まで及んでいる．\nスランプ堆積層は，東日笠層の中部に1層認められる．厚さ4～9mの含礫泥岩を主とするものであるが，上部が流状シルト岩となっている．含まれる礫は，0.5～5cmの円礫である．含礫泥岩層の中間に厚さ1mの砂岩層を挟む場所もある．苗割付近ではスランプ堆積層の下位に，薄く剥離するシルト層が存在する．スランプ堆積層の分布は苗割から南西へ芹林道，田倉の南を経て高溝の北で芹向斜の軸部に達する．この間で，その分布は東日笠層を斜めに横断する形となり，東日笠層を東西あるいは上下に分けている．\n東日笠層とその北側に接する梅ヶ瀬層の関係を調べるため，苗割付近でこのスランプ堆積層の分布を詳しく調べた（第4.14図）．図の破線が東日笠層と梅ヶ瀬層の境界である．南側の東日笠層が，厚いタービダイト砂岩からなるのに対して，北側の梅ヶ瀬層は苗割付近では泥岩を主とする地層（上部）と砂泥互層（下部）からなる．この間に凝灰岩鍵層U8～U9とスランプ堆積層が存在する．このうち，U9は砂泥互層の中にある（第4.16図）．砂泥互層は，厚さ1～100cmの細粒～粗粒タービダイト砂岩を含み，やや砂勝ちである．泥岩は厚さ5～65cmで中粒～粗粒泥岩である．この砂泥互層の直下にスランプ堆積層が存在する．\nU9とスランプ堆積層は，連続的な露頭を東日笠層との境界まで追跡され，境界に至ってU9は東日笠層によって浸食され分布を断ち切られる．一方，U9の下のスランプ堆積層はそのまま境界を越えて東日笠層側へ連続して分布している．梅ヶ瀬層側のスランプ堆積層の下位にも薄く剥離するシルト層が存在し，その他の特徴も東日笠層中のスランプ堆積層の特徴に一致している．両側のものが同一のスランプ堆積層であることは間違いない．\n東日笠層側に泥岩層や凝灰岩層がないのは，一度堆積したこれらの地層は，その後谷を頻繁に流下した強いturbidity currentsによって全て浸食されたためと考えられる．短期間に厚く堆積したスランプ堆積層のみが浸食を免れることができた．\n一方，梅ヶ瀬層側のU9を挟む砂泥互層中のタービダイト砂岩は，東日笠海底谷をオーバーフローしたturbidity currentsから堆積したものとみなされる．砂勝ち砂泥互層は，苗割付近では，スランプ堆積層の上にあるが，西の田倉付近ではスランプ堆積層の下に厚さ20～100cmのタービダイト砂岩と厚さ1～30cmの泥岩からなる砂勝ち互層が存在し，この砂泥互層が南側の東日笠層と接している．スランプ堆積層の上は泥勝ち互層となっているので，砂勝ち互層は田倉付近では，下に移ったことになる．この傾向は更に西側の東大和田付近まで見られるので，全体としては，北側側壁からオーバーフローしたタービダイト砂岩の出現は，東に向かって次第に上位の層準に移ったことになる．\n以上に述べたように，東日笠海底谷の側壁付近の状況は北側と南側で相違している．このような違いは，南側の側壁では谷の下部を，北側の側壁では谷の上部を見ていることによると考えられる．スランプ堆積層は鍵層U9の近くにあるので，東日笠層はこのスランプ堆積層を境に，東側が梅ヶ瀬層のU9より上位の地層に，西側がU9の下位層に相当することになる．\n前記のように，高溝北の南側壁には（谷の外側に当たる），鍵層U9が存在しているが，その北側の東日笠層中（谷の内側に当たる）に上記のU9直下のスランプ堆積層が近接して存在する．両者の標高差は約30mある．谷の内側にあるスランプ堆積層は，芹向斜の軸部付近にあるので，この標高差はおおまかにU9堆積時の東日笠海底谷の底から谷の上までの高度差とみなされる．すなわち，堆積時の谷の深さは約30mあったことになる．\n東日笠層の作る谷地形に関しては，それを東日笠層堆積時の海底谷やチャネルとする研究が古くからなされている（佐藤・小池，1957；Yamauchi et al., 1990）．また，東日笠層の谷地形を深海海底扇状地上部にあるfanvalleyと位置づけ，その東（下流）に分布する大田代層のタービダイト砂岩を堆積したturbidity currentsの通路とする研究がある（Hirayama and Nakajima, 1977）．本報告では，上述した東日笠層の産状から東日笠海底谷は全体として明確な海底谷の性質をもち，芹付近より東側では谷が浅くなり海底谷出口に近くなると考えた．次項で述べる梅ヶ瀬層のタービダイト砂岩の分布などから，その出口付近にはfan valleyを伴う深海海底扇状地上部の特徴が見られる．富津地域ではタービダイト砂岩堆積場の最も上流の部分を見ていることになる．\n東日笠海底谷は，基盤に当たる下位の地層の示す向斜構造（芹向斜）の軸部に沿って存在する（第7.2図）．その密接な相関は，海底谷の発生が芹向斜の形成に深く関係していることを示す．向斜の形成によって生じた海底の凹地に沿ってturbidity currentsが次々と流れ，次第に海底谷に成長していったと考えられる．\n高溝砂取場（第8.1図に位置を示す）．A-B断面のスケッチ後に，C-D断面まで採掘が進み，再びスケッチする．\n層厚\n約200m.\n化石\n佐藤・小池（1957）は本層から多数の貝化石を報告している．それらの貝化石は汽水生から半深海生の種が入り混じって産する．馬場（1990）は，東日笠層下部には寒流系の上部浅海から下部浅海の貝化石群集が産し，中部には暖流系下部浅海の貝化石群集が産することを報告している．なお，東日笠層からは，Parelephas proximusなどの陸生哺乳類化石の産出が知られる（高井，1938）．\n対比\n本層は東日笠層（大塚，1932：池辺，1948；小池，1957；三梨ほか，1962）をはじめ，東日笠貝層（植田，1933），東日笠砂礫層（小池，1949），東日笠砂礫相（三梨，1954）などの名称が使われているが，本層の岩相と分布は周囲の地層から明確に区別できるので，いずれも同じものを指していることは明らかである．\nなお，岩相の記載で述べたように，東日笠層の上部は，梅ヶ瀬層の鍵層U9以上の地層に，下部はU9以下の地層に対比される．次項で述べる梅ヶ瀬層のタービダイト砂岩の分布から考えると，東日笠層上部は，富津地域の中では梅ヶ瀬層の鍵層U6層準まで含むと考えられる．東日笠層下部については，黄和田層より上位の地層であることは間違いない．おそらく，大田代層の多くが東日笠層下部に対比されると思われる．\n梅ヶ瀬層（Um, Umc）\n命名\n植田（1930）．\n模式地\n市原市朝生原の西にある梅ヶ瀬．\n分布\n芹向斜南翼を船塚から高溝の北まで分布する．さらに，芹向斜と寺尾背斜によって梅ヶ瀬層の分布は北側へ繰り返される．寺尾背斜北翼の梅ヶ瀬層は，鹿野山の南麓沿いに，東粟倉から西へ九十九谷，諸崩，桜井，岩坂を通って上総湊の海岸に至る．\n梅ヶ瀬層の分布は，褶曲によってさらに北側に繰り返され，佐貫の北に存在する磯根崎背斜の軸部に現れる．\n層序\n三梨ほか（1959）が市原市朝生原の西にある梅ヶ瀬を模式地として，本層の上下限を定め，凝灰岩鍵層を記載している．ここではその定義に従う．\n模式地では梅ヶ瀬層は厚いタービダイト砂岩を主とする砂勝ち砂泥互層からなり，泥勝ち砂泥互層からなる国本・大田代両層との間の境界は明瞭である．模式地では梅ヶ瀬層の上限は国本層基底の凝灰岩鍵層Ku6の少し下にある．鍵層Ku6は富津地域にも認められるので，上限については模式地と同様に定めることができる．下限については，大田代層の項で述べたように，目立った凝灰岩鍵層がない．富津地域東部の船塚から高溝北にかけては，模式地と同様に梅ヶ瀬層の砂勝ち砂泥互層と大田代層の泥勝ち砂泥互層の境界を下限として定めることができるが，寺尾背斜北翼においては梅ヶ瀬層が泥勝ち砂泥互層又は泥岩層に変わり，大田代層の泥岩を主とする岩相と区別がむずかしくなる．そのため既述のように寺尾背斜北翼では，他の地域の両層境界位置から推定し，鍵層O1の約10m下を下限とした．なお，下位の大田代層，上位の国本層とは整合である．\n富津地域では，梅ヶ瀬層中の凝灰岩鍵層として，U1～U10及びO1が認められる．しかし，鹿野山の南麓（マザー牧場の南）では，梅ヶ瀬層上部の鍵層U1～U6の層準が国本層上位の市宿層基底部において浸食され失われている．浸食は東から西へ向かって順次下位の地層に及び，上部の鍵層から順になくなっている．\nさらに西の海岸付近に至ると，市宿層は層厚を著しく減じるとともに上位の笠森層長浜砂礫部層によって大部分が浸食されなくなってしまう．このため，梅ヶ瀬層の一部が長浜砂礫部層によって直接不整合に覆われる．一方，東部では市宿層基底の浸食量は減少して国本層が現れ，国本層と市宿層が整合的に重なるようになる．\n岩相\n富津地域の梅ヶ瀬層は岩相変化に富んでいる．芹向斜南翼（東日笠層の南側）及び寺尾背斜北翼（東日笠層の北側）の東部（平田，本郷）では梅ヶ瀬層は砂泥互層からなり，砂勝ち互層と泥勝ち互層が交互に繰り返している．寺尾背斜北翼の平田・本郷の西方，諸崩に至ると梅ヶ瀬層は泥岩を主とする岩相に変わる．さらに西に向かうと，泥岩は梅ヶ瀬層上部から次第に粗粒になり，粗粒泥岩，砂質泥岩，泥質砂岩，細粒砂岩等に変わる．また，北側の磯根崎背斜軸部の梅ヶ瀬層は砂質泥岩・泥質砂岩からなる．\n東日笠層の南側の砂泥互層は，船塚から高溝北の間に認められる（第4.15図）．この砂泥互層を含む層準は，梅ヶ瀬層の基底から鍵層U7の間である．砂泥互層は，砂勝ち互層と泥勝ち互層のそれぞれ3回の繰り返しからなる．地質図上では，下部の2つの砂勝ち互層はひとつにまとめて表現されている．U7の上位，すなわち北側は東日笠層（東日笠海底谷）によって浸食されている．\n東日笠層北側の平田・本郷付近の梅ヶ瀬層は，最上部からU6層準までが分布していて，U6層準の下位で（南側），東日笠層（東日笠海底谷）に接する．この間にも砂勝ち互層と泥勝ち互層が3回ずつ繰り返される．しかし，平田・本郷付近の砂勝ち互層は，その約1.5km西方で泥勝ち互層～泥岩層へと急激に変化する．\nUms1：砂勝ち互層1，Ums2：砂勝ち互層2，Ums3：砂勝ち互層3．\n砂岩\n梅ヶ瀬層の砂勝ち互層を構成するタービダイト砂岩は，厚さ10～300cmの中粒～粗粒砂岩である．泥岩偽礫がしばしば含まれ，タービダイト砂岩中にはチャネル構造がよく見られる．\n東日笠層（東日笠海底谷）の北と南にある梅ヶ瀬層の砂勝ち互層の中で1mを越えるような厚いタービダイト砂岩の分布は，芹付近を要として，東に向かって開いた扇形の内側に限られる．この扇形の中心を通って西から東に向かって東日笠層（東日笠海底谷）が分布する．富津地域東端を南北に流れる小糸川の河床の露頭では（隣接の大多喜地域の範囲ではあるが），梅ヶ瀬層と東日笠層の断面を観察できる．東日笠層には，主に厚さ5～10mの礫質タービダイト砂岩が発達し，砂岩の基底にはチャネル構造が数多く見られる．東日笠層の厚い礫質砂岩が，梅ヶ瀬層の砂勝ち互層を多数の浅いチャネルによって削り込みながら重なっている．東日笠層の項で述べたような谷地形や泥岩からなる谷の側壁のようなものは存在しない．これらの特徴から，芹東方の平田，本郷，船塚付近に分布する梅ヶ瀬層のタービダイト砂岩は，海底扇状地上部のfan valleyが発達するような環境に堆積したと推定される．\n泥岩・砂質泥岩・泥質砂岩\n東日笠層南側の船塚―高溝北に分布する砂泥互層を構成する泥岩は，中粒～粗粒泥岩である．東日笠層北側の平田・本郷付近の砂泥互層の泥岩は主として粗粒泥岩からなる．西方の諸崩付近では，全体が泥岩層を主とする岩相に変わるとともに鍵層U6より上の泥岩は砂質泥岩に，U1付近から上は泥質砂岩や細粒砂岩に変わる（第4.15図）．さらに西方では，上部の粗粒相は次第に下部に拡がり，西海岸の岩坂，上総湊付近ではU8層準まで泥質砂岩や細粒砂岩になる．\n北側の磯根崎背斜軸部に分布する梅ヶ瀬層は，鍵層Ku6以下の梅ヶ瀬層最上部で，泥質砂岩と細粒砂岩からなる．\nスランプ堆積層\n梅ヶ瀬層のスランプ堆積層には，厚さ1～9mの含礫泥岩・流状シルト岩（タイプII）と地層の褶曲したもの（タイプI）がある．あまり厚いものはなく，数も少ない．船塚の梅ヶ瀬層最下部の砂勝ち互層の基底（梅ヶ瀬層の基底）に1層，U8-2の下位とO1の上にそれぞれ1層認められる．また，苗割から田倉にかけて分布する含礫泥岩は，鍵層U9の下にあり，東日笠層の項で述べたように東日笠層中部の含礫泥岩層に連続するものである．\n凝灰岩\n梅ヶ瀬層に含まれる凝灰岩層は大田代層と同様に多くはない．灰白色～灰色細粒凝灰岩が最も多く見られ，ゴマシオ凝灰岩とハイゴマ凝灰岩がそれに次ぐ．スコリア凝灰岩は薄層が主で，U5が厚さ3cm，U7-3が7cm，U8-1が9cmの粗粒スコリア凝灰岩からなり，これらが目立ったものである．\n梅ヶ瀬層の代表的凝灰岩鍵層U9を第4.16図に示す．この凝灰岩層は，上部が厚さ14～45cmの灰白色細粒凝灰岩＋中粒ゴマシオ凝灰岩，下部が3cmの細粒～粗粒スコリア凝灰岩からなる．上部の凝灰岩は，苗割で最も厚く，細粒凝灰岩とその下のゴマシオ凝灰岩の間には厚さ16cmの細粒砂岩を挟んでいる．\n第4.17図には鍵層U6を示す．この凝灰岩層も上下2層の特徴的な凝灰岩よりなる．\n上部の凝灰岩は，厚さ46～58cmで一定の厚さを示す．おおまかに2層構造で，上はベージュ色～ピンク色の細粒凝灰岩，下は細粒～中粒のゴマシオ凝灰岩からなる．細粒凝灰岩は極細粒ゴマシオ凝灰岩と互層しており，下位のゴマシオ凝灰岩も薄い細粒凝灰岩を挟んでいる．この凝灰岩層全体としては複数のユニットの重なりで，上ほど細粒の部分が多くなっている．\n一方，U6下部の凝灰岩は，厚さ7～11cmで多層構造をもつ．下からスコリアシルト，細粒～中粒ゴマシオ凝灰岩，極粗粒のパミス凝灰岩の順に重なる．下部及び上部の凝灰岩は降下火山灰起源である．非常に特徴的なので，この凝灰岩だけでU6と認めることが出来る．鍵層U6は，平田―本郷の間では，2つの砂勝ち互層の間に挟まれた泥勝ち互層中にあるが，上下の砂勝ち互層の影響を受けて，U6の周囲に存在するタービダイト砂岩も厚くなっている．\nU9は1層の淡灰色細粒凝灰岩と1層の細粒スコリア凝灰岩からなる．カッコ内は鍵層のニックネーム，凡例は第3.3図に示す．\nU6は1層のベージュ色〜ピンク色細粒凝灰岩＋細粒〜中粒ゴマシオ凝灰岩と、1層の細粒〜中粒ゴマシオ凝灰岩からなる．凡例は第3.3図に示す．\n層厚\n芹向斜南翼の船塚では，基底から東日笠層の南側境界まで（U7の上まで）214m．高溝北では，基底から東日笠層の南側境界まで（U9の少し上まで）123m．寺尾背斜北翼の平田付近では，東日笠層の北側境界から（U6の下から）国本層との境界まで246m．諸崩では，東日笠層の北側境界から（U9の下から）国本層との境界まで191mある（第4.5表）．\nUms1：砂勝ち互層1，Ums2：砂勝ち互層2，Ums3：砂勝ち互層3．距離は諸崩を起点として計測．\n化石\nOtuka（1949）は，JR上総湊駅北東の国道沿いの露頭より，貝化石及び有孔虫化石を報告している．東隣の大多喜地域では，坂倉（1935a）が本層から多数の貝化石を報告している．それによると，梅ヶ瀬層下部（U8の下位）には暖流系の群集（辻森化石帯）が産し，中部（U6の下位）には寒流系の群集（細野化石帯）の産することが報告されている．\n対比\nOtuka（1949）及び小池（1949）の岩坂細砂層上部は本層に含まれる．坂倉（1935a）の坂畑層上部～蓮見砂層は，ほぼ本層に相当する．\n国本層（Ku, Kuc）\n命名\n植田（1930）．\n模式地\n市原市国本．\n分布\n鹿野山の南麓に沿って，西粟倉から九十九谷を経て諸崩の北まで分布する．また，富津市佐貫の北，磯根崎背斜の軸部にも本層が分布する．\n層序\n三土（1937）は，7.5万分の1地質図幅「茂原」に本層の分布を示した．三梨ほか（1959）は，市原市国本を模式地として本層の範囲を定義し，凝灰岩鍵層を記載している．ここでは三梨ほか（1959）の定義に従う．\n模式地では，本層は砂質泥岩とタービダイト砂岩を含む砂勝ち砂泥互層からなる．富津地域に入ると砂泥互層を構成するタービダイト砂岩が尖滅し，泥岩，砂質泥岩及び泥質砂岩を主とする岩相となる．凝灰岩鍵層は，模式地では国本層上限付近の鍵層Ku0.1から下限付近の鍵層Ku6まで存在する．富津地域では，鍵層Ku3～Ku6までが認められる．国本層の下限は，凝灰岩鍵層Ku6によって識別できる．上限については，以下に述べるように国本層は岩相の異なる市宿層や笠森層長浜砂礫部層と接し，その境界が明瞭である．\n下位の梅ヶ瀬層とは整合である．上位の市宿層とは東部の西粟倉付近では整合であるが，鹿野山南麓に沿う西粟倉から諸崩北の間において，国本層の鍵層Ku3～Ku6の層準が市宿層の基底で浸食されている．浸食は東から西に向かって，より下位の層準に及び，最終的には国本層全体が浸食されてしまう．佐貫北の磯根崎背斜軸部では，国本層は上位の笠森層長浜砂礫部層によって不整合に覆われる．\n岩相\n泥岩，砂質泥岩及び泥質砂岩よりなる．東部の西粟倉付近では下部（Ku6～Ku3）は主として泥岩と砂質泥岩からなりタービダイト砂岩を稀に含む．上部（Ku3より上）は砂質泥岩と泥質砂岩からなる．下部の泥岩は西に向かって粗くなり，諸崩の北東では，砂質泥岩と泥質砂岩に変わる（第4.18図）．磯根崎背斜周辺では砂質泥岩からなり，Ku6を挟在する．\n第4.19図に磯根崎背斜付近における鍵層Ku6の柱状図を示す．この鍵層中のKu6Cは九州の猪牟田カルデラを給源とする広域火山灰（猪牟田アズキテフラ；町田・新井，2003）に対比できるものとしてよく知られている．磯根崎背斜のKu6Cの鉱物組成及びガラス・鉱物の屈折率などを求めたところ，他地域での分析値とよく一致する結果が得られ（付表第1表），対比の正しさが確認された．この鍵層は三梨ほか（1979）や鈴木ほか（1995）によってU6とされ，町田ほか（1980）ではKu6とされていたものである．\n磯根崎背斜付近．凡例は第3.3図に示す．\n層厚\n西粟倉では市宿層との境界（Ku3の少し上）から基底のKu6まで129m．諸崩の北では，市宿層との境界（Ku5の上）からKu6まで48mある（第4.6表）．\n距離は諸崩北を起点として計測．\n化石\n磯根崎背斜付近の本層から陸棚の貝化石の産出が報告されている（馬場，1990）．\n対比\n鹿野山の南に分布する岩坂層及び粟倉層（三梨ほか，1962）の上部は本層に含まれる．磯根崎背斜軸部に分布する三梨ほか（1962）の岩坂層は，上記のようにKu6の存在によって国本層と梅ヶ瀬層上部であることが分かる．\n市宿層（Ij）\n命名\n大塚・望月（1932）．\n模式地\n命名時の指定はないので，本報告では君津市市宿付近とする．\n分布\n鹿野山，鬼泪山の丘陵を中心とし，南北3km，東西12kmに渡ってENE-WSW方向に分布する．西海岸の長浜付近に至り層厚を急に減じる．\n層序\n市宿層の下限は西に向かってより下位の地層と接している．富津地域東部では国本層に整合的に重なるが，西部の岩坂周辺では国本層を欠き，その下の梅ヶ瀬層を不整合的に覆う．\n上限については，富津地域東部では本層と上位の長南層の境界に小規模な浸食面が認められるものの全体として岩相は漸移的で両者の関係は整合である．中部から西部においては長南層を欠き，その上位の笠森層長浜砂礫部層によって不整合に覆われる．長浜砂礫部層基底にはチャネルを伴う浸食が見られる．\n市宿層と下位層との関係を「東京湾不整合」として重視し，市宿層基底を下総層群の基底とする考え（楡井，1981）や逆にその関係は単なる海流や潮流による海底侵食の結果とする考え（峯崎・立石，1992）などがある．市宿層と国本層は，富津地域東部から大多喜地域にかけて広く整合であるので，ここでは市宿層の基底を層群の境界とはしない．\n岩相\nスコリア・軽石粒などに富み，大規模な斜交層理の発達する細粒から粗粒の砂層及び細礫層からなる．稀に泥岩層（20cm以下）を挟在する．単位層の厚さが3mに及ぶトラフ状斜交層理あるいは5mに及ぶ平板状斜交層理が見られる．\n上述のように富津地域西部では本層は下位層と侵食面をもって接するが，中部から東部にかけての地域では顕著な浸食面は見られない．境界付近の岩相は国本層の生物擾乱を受けた泥質砂岩から，平行葉理の見られる細粒砂層を経て，市宿層の斜層理をもつ砂層へと漸移的に変化する．西部における侵食面の形成は，現在の海底の海釜地形と類似の成因によると考えられ（峯崎・立石，1992），市宿層基底の地層の欠如は海底浸食によるものである．中山・増田（1987）は市宿層の大規模な斜交層理が発達する砂層は，黒潮により陸棚状にっくられた海流サンドウェーブの堆積物であるとし，峯崎・立石（1992）はそれに加えて潮流の影響も指摘している．\n地質図には示していないが，磯根崎背斜周辺に分布する国本層と長浜砂礫部層の境界部には，単位層の厚さが数10cmの斜交層理が発達する中粒砂岩が数m挟在する場合があり，市宿層に相当すると考えられる．\n層厚\n鹿野山周辺でもっとも厚く250m以上，鬼泪山付近で230m以上である．岩坂西方では本層の層厚が急減するとともに上位の笠森層長浜砂礫部層により本層の大部分が削剥されている．\n化石\n中山・増田（1987）は本層から暖流系種をわずかに含む寒流系種を主体とした貝化石群集を報告し，殻の保存の良い貝化石から推定される本層の堆積した水深は50-250mであると考え，さらにサンドウェーブの堆積環境を考慮して古水深は50-130mであるとした．\n対比\n富津地域東部において長南層と国本層の間に位置する本層は，東方に向かって大多喜地域の長南・国本両層間にある柿の木台層に移化する．\n長南層（Ch）\n命名\n三土（1933）．\n模式地\n長生郡長南町長南．\n分布\n鹿野山の北麓，馬登より福岡まで分布し，さらに東へ小糸川を越えて大井戸から東隣の大多喜地域に分布が続く．\n層序\n前記のように下位の市宿層との境界には小規模な浸食が見られるが，全体としては整合に重なる．上部は笠森層長浜砂礫部層によって不整合に覆われる．この不整合により本層は中部から西部にかけて全て浸食されるので，分布は東部のみである．\n岩相\n本層下部は平行葉理ないし単位層の厚さ数10cmの小規模な斜交葉理の発達する細粒砂層からなり，砂質泥岩層を挟在する．下位の市宿層の大規模な斜交層理の発達する砂層との間には小規模な浸食面が認められる．細粒砂層の上位には，平行葉理の発達する細粒砂層を挟在し生物擾乱の発達した泥質砂岩が重なる．駒久保付近ではさらに上位に，砂鉄質の平行葉理を伴う細粒ないし中粒砂岩，その上に炭質物を多く含む砂質泥岩ないし泥岩が重なり，この中に凝灰岩鍵層Ch1が挟在する（第4.20図）．このCh1の鉱物組成及びガラス・鉱物の屈折率を付表第1表に示す．この泥岩は笠森層長浜砂礫部層の斜交層理をもつ砂礫層に覆われる．馬登付近から西では，長南層は長浜砂礫部層によって浸食されてなくなり，長浜砂礫部層が直接市宿層に重なる．\n富津地域の長南層は，その岩相から陸棚泥帯から砂帯にかけての堆積物である．模式地付近の長南層はタービダイト砂岩を主体とする砂泥互層で，より深海の堆積環境を示す．長南層の堆積環境は東から西に向かって浅くなっている．\n君津市駒久保付近．凡例は第3.3図に示す．\n化石\n馬場・青木（1980）は，大多喜・姉崎地域で寒流系の軟体動物化石群集を報告している．\n対比\n本地域の長南層上部にはCh1が認められ，模式地付近の長南層上部に対比される．\n笠森層（Ks, Ksn, Ksk, Kss）\n命名\n三土（1933）．\n模式地\n長生郡長南町笠森付近．\n分布\n富津地域の中・北部に比較的広く分布する．小糸川の北側では，下総台地の南の縁に沿って練木から長石まで分布する．小糸川の南側では，鹿野山の北麓から小糸川のすぐ南の丘陵まで分布する．富津地域の西側では，本層の分布は佐貫向斜と磯根崎背斜によって繰り返され広い範囲に及んでいる．\n層序\n富津地域では，本層は上総層群の最上部層である．下位層との関係は，本地域中部から西部では，笠森層下部の長浜砂礫部層が顕著なチャネル構造を伴う不整合をもって下位の市宿層，国本層及び梅ヶ瀬層を覆い，東部では長南層を不整合に覆っている．上位については，小糸川の南側では，下総層群地蔵堂層によって，北へ向かって開く谷状の不整合をもって覆われる．この不整合は一種の傾斜不整合で，北側では不整合面は笠森層上部の周南砂岩部層の上にあるが，南側では中部の佐貫泥岩部層まで浸食が及ぶ（地質図及び地質断面D-E参照）．\n小糸川の北側では笠森層と地蔵堂層の間に顕著な構造差は認められないが，南側と同様に両者の関係は不整合である．本地域東隣の姉崎・大多喜地域においては，笠森層と地蔵堂層の間に，上総層群の最上位を占めて金剛地層が存在するが，本地域では金剛地層は欠如している．\n金剛地層は大多喜地域の西部まで分布するが，富津地域との境界付近に至って厚さを減じ尖滅する．富津地域東端の小糸大谷付近には笠森層最上部に10m程度の比較的淘汰の良い砂層があり，金剛地層の一部が再び現れている可能性があるが，小糸大谷から西では金剛地層は全く欠如していて，笠森層主部の泥質岩の上に下総層群地蔵堂層が直接不整合に重なっている．\n岩相\n本地域の笠森層は，主部，長浜砂礫部層，佐貫泥岩部層，周南砂岩部層の4つに区分される．小糸川南側の笠森層については，砂礫層，泥岩層及び砂岩層の3つの特徴ある地層に分けられるので，従来の研究も踏まえてそれぞれ長浜砂礫部層，佐貫泥岩部層，周南砂岩部層の3部層に区分した．小糸川北側については主部と長浜砂礫部層の2つに区分した．\n主部（Ks）\n小糸川の北側に分布し，東の大多喜地域の笠森層へそのまま連続する．岩相は，生物擾乱を受けた砂質泥岩ないし泥質細粒砂岩を主体とする．富津地域東縁から小糸大谷付近では長浜砂礫部層を除く笠森層主部の層厚は70m程度で，大多喜地域西部より更に薄くなっている．この地域では，主部は細粒砂層と泥質な極細粒砂層の数cmから数10cm単位の互層からなっており，最上部には数cm単位の細粒砂層と泥層の頻互層が発達する．細粒砂層にはリップル状斜交層理がしばしば見られる．さらに西の大鷲付近及びその西側に分布する主部は笠森層の最上部に当たり，岩相は東縁部より細粒で，塊状の砂質泥岩ないし泥岩からなっている．\n長浜砂礫部層（Ksn）\n命名\n金原ほか（1949）による．\n模式地\n富津市長浜付近．\n岩相\n富津地域の笠森層の最下部にあたり，細礫・中礫層を主体とし，中粒から粗粒の砂岩を挟む．基底に顕著なチャネル構造を伴う．西部地域では，数10cmから数mに及ぶ巨大な泥岩ブロックを含む．模式地の長浜付近から宝竜寺にかけての地域では，本部層は基底に顕著なチャネル構造を伴って下位層を削剥し，下位層とは不整合関係にある．とくに，長浜付近では長南層，市宿層及び国本層を欠いて本部層が直接梅ヶ瀬層を不整合に覆っているところもある．富津市清水東方の砂取り場でも市宿層を削って発達するチャネルが観察され，幅数mから10数mのチャネルが複合して不整合面を形成している．\n中部の馬登以東ではこのようなチャネルははっきりと認められず，長浜砂礫部層の厚さも薄くなる．磯根崎背斜周辺でも基底部にはチャネルは発達しない．しかし，本部層は長南層と市宿層を欠いて国本層に接する．本部層は東方へ向かって徐々に上位の地層に接し，富津地域東縁で長南層に重なる．\n本部層は大多喜地域の万田野砂礫層の上半分に連続する．\n佐貫泥岩部層（Ksk）\n命名\n植田（1930）による．藤原・生越（1952）が再定義．\n模式地\n富津市佐貫付近．\n岩相\n模式地付近から西側では，厚さ数cmの砂岩薄層を挟在する泥岩で，長浜砂礫部層との境界付近にスランプ堆積層が発達する．磯根崎背斜北側でも下部は同様の岩相であるが，上位へ向かって粗粒となり，周南砂岩部層に近い部分は砂質泥岩ないし泥質細粒砂岩を主体とする．本地域中部の山高原より東では部層全体が粗粒化し砂質泥岩ないし泥質細粒砂岩を主体とする．\n周南砂岩部層（Kss）\n命名\n金原ほか（1949）による．\n模式地\n富津市周南．\n岩相\n細粒砂岩ないし極細粒砂岩と砂質泥岩ないし泥質砂岩との10-30cm前後の厚さの互層を主とし，稀に50cmを越える級化層理を持っ細粒砂層を挟在する．これは，徳橋・遠藤（1984）が“ふきながし型”砂泥互層として記載した岩相に当たる．\n細粒砂岩層にはしばしばリップル状斜交層理が発達する．生痕が発達することが多く，砂層と泥質な部分との境界は不明瞭である．富津市障子谷付近の本部層上部には，徳橋・遠藤（1984）が“ちりちり型”互層として記載した厚さ数mmから数cmの砂層と泥層の薄互層（flaser bedding）が挟在する．\n凝灰岩鍵層\n長浜砂礫部層中にはKs15が認められている（町田ほか，1980）．佐貫泥岩部層中にはKs11.5A・B，Ks11，Ks10が認められており（町田ほか，1980），今回の調査でもKs11.5A・Bが君津市山高原以東で確認・追跡でき，富津市大堰付近でKs11とKs10が認められた（第4.21図）．このKs11とKs10の鉱物組成及びガラス・鉱物の屈折率を付表第1表に示す．\nまた，練木付近の笠森層主部最上部，相野谷付近の周南砂岩部層上部にはKs5が挟在する（三梨ほか，1979；町田ほか，1980；鈴木ほか，1995）．\n1：富津市大堰付近，2：君津市山高原．凡例は第3.3図に示す．\n層厚\n笠森層全体として約200m前後あるが，本地域東縁部では100m前後に薄くなる．\n化石\n本地域の笠森層の貝化石については，藤原・生越（1952）による報告がある．とくに，長浜砂礫部層からは多くの貝化石の報告がある（藤原ほか，1952：生越，1964）．本調査地域の長浜砂礫部層下部には，上部浅海性の寒冷系種を主とする群集が含まれ，長浜砂礫部層上部からは下部浅海性の暖流系群集が報告されている（馬場・青木，1980；馬場，1990）．\n長浜砂礫部層及び佐貫泥岩部層からParelephas trogontherii，周南砂岩部層からStegodon sinensisなどの哺乳類化石が産出する（高井，1938）．\n対比\n槇山（1930b）及び藤原ほか（1952）の笹毛層は，長浜砂礫部層と佐貫泥岩部層下部に相当する．長浜砂礫部層中にはKs15が認められ（町田ほか，1980），姉崎地域の万田野砂礫層はKs12-22前後の層準に相当するとされるので（徳橋・遠藤，1984），長浜砂礫部層は，姉崎地域の万田野砂礫層上部に対比され，前述した岩相の連続の仕方と矛盾しない．\n佐貫泥岩部層と周南砂岩部層中には，凝灰岩鍵層Ks11.5A・B，Ks11，Ks10，Ks5などが挟在されることから，両部層は模式地付近の笠森層上部に相当する．","blocks":[{"type":"heading","depth":1,"text":"第4章 上総層群","id":"sec-4"},{"type":"paragraph","text":"（中嶋輝允・渡辺真人）"},{"type":"paragraph","text":"命名は，伊田ほか（1956）による．本層群は，下限は安房層群との間の黒滝不整合，上限は下総層群最下位の地蔵堂層の基底で，この間の一連の海成層をまとめたものである（第2.2図，第3.1表）．本層群の上限については種々の見解があるが，ここでは，地蔵堂層の基底を上限とする徳橋・遠藤（1984）の見解にしたがった．本地域に分布する上総層群の地層は下位から黒滝層，十宮層，黄和田層，大田代層，東日笠層，梅ヶ瀬層，国本層，市宿層，長南層，笠森層の10層である．上総層群が模式的に発達する養老川流域では上総層群の各層はそれぞれ整合関係にある．しかし，富津地域では市宿層，長南層及び笠森層の基底は削剥面をもって下位層を覆う．とくに市宿層と笠森層の基底においては，本地域西部で地質図に表現できる規模の下位層の削剥・欠如が認められ，明らかな不整合面となっている．この不整合面は東方へ整合面へと移化する．このように本地域の上総層群上部にいくつかの不整合面が現れるのは，本地域が堆積盆の縁辺にあって，氷河性海水準変動に伴う低海水準期の削剥が養老川流域より早い時期から顕著になったためと考えられる．"},{"type":"paragraph","text":"上総層群が模式的に発達する養老川周辺では，古地磁気・微化石層序及び酸素同位体層序など詳細な層位学的研究が行われており，また上総層群中の多くの凝灰岩層についてフィッション・トラック年代測定が行われている（第2.3図）．これらの年代層序と堆積相解析及び同時間面である凝灰岩鍵層の収束・発散関係を総合して上総層群のシーケンス層序に関する研究が多数行われている．それに関してはIto（1992），Ito and Katsura（1992），伊藤（1997）などを参照されたい．"},{"type":"section-title","text":"黒滝層（Kt）"},{"type":"section-title","text":"命名"},{"type":"paragraph","text":"植田（1930）．"},{"type":"section-title","text":"模式地"},{"type":"paragraph","text":"君津市小櫃川支流黒滝沢の黒滝．"},{"type":"section-title","text":"分布"},{"type":"paragraph","text":"本地域東部では，法ノ木背斜の北側，高宕山向斜の軸部に分布する．この分布は西へ，湊川下流の南部丘陵に沿って続き，十宮から竹岡海岸を経て萩生に達する．また，湊川下流北側の寺尾背斜の周囲にも分布する．"},{"type":"section-title","text":"層序"},{"type":"paragraph","text":"黒滝層は，主として礫岩と砂岩からなる地層である．砂岩の間には，稀に泥質砂岩が挟まれる．ここでは，黒滝層は岩相によって定義される．黒滝層上部の砂岩層の上に重なり，凝灰岩層を頻繁に挟む泥質砂岩・砂質泥岩層は，黒滝層ではなく十宮層に属する．"},{"type":"paragraph","text":"本層は，上総層群最下部層で基底礫岩をなす．下位の安房層群安野層には不整合に重なる（黒滝不整合）．上位の十宮層の泥質砂岩には漸移的に変わり整合である．"},{"type":"paragraph","text":"十宮層のいろいろな層準が，黒滝層の上にアバットしている様子が凝灰岩鍵層によって確かめられる．富津地域西海岸～中部の関付近までは，十宮層下部の鍵層To1付近が黒滝層上部に重なるが，関から東の法ノ木に向かって，To1からTo10までの鍵層が黒滝層の上に次々とアバットしている（第4.3図にはTo2～To4までの鍵層が示されている）．さらに東隣の大多喜地域に入り，小櫃川支流の笹川付近に至ると，黄和田層基底の鍵層Kd38付近の鍵層が黒滝層にアバットしている．このように，凝灰岩鍵層の追跡によって十宮層の各層準が西から東に向かって黒滝層の上にアバットする様子が確かめられる．凝灰岩鍵層は黒滝層の粗粒堆積物の中に入ると消えてしまうが，十宮層の岩相は凝灰岩鍵層に沿って次第に粗くなり，黒滝層の粗粒堆積物に漸移する．したがって，黒滝層の一部は十宮層の各層準と同時異相の関係にある．"},{"type":"paragraph","text":"なお，大多喜地域の笹川以東では，黄和田層以下の地層が逆に東から西に向かって黒滝層の上にアバットしていて，黒滝層の一部はそれらの地層と同時異相の関係にある．"},{"type":"section-title","text":"岩相"},{"type":"paragraph","text":"礫岩と砂岩よりなる．"},{"type":"paragraph","text":"礫岩は，チャート，頁岩，硬質砂岩などの円礫（粒径1～10cm）や安房層群の泥岩礫（粒径数cm～30cm）からなる．基質は粗粒なスコリア，軽石，貝化石片を含む砂である．一般にあまり厚く発達せず，通常数10cm～数m程度の厚さである．"},{"type":"paragraph","text":"砂岩は，中粒～極粗粒砂からなる．貝化石の破片，すなわち貝砂からなる場合とスコリアや軽石を多く含む場合がある．スコリア質砂岩は粗粒～極粗粒，しばしば細礫サイズの粗い部分を含む．黒滝層の砂岩の特徴は，斜層理が良く発達することである（第4.1図）．斜層理の傾斜方向は，各地でN10°W～NあるいはN～Eのものが多く，黒滝層の堆積物を運んだ流れが南から北へあるいは西から東に向かっていた可能性がある．"},{"type":"paragraph","text":"黒滝層の礫岩・砂岩は陸棚浅海砂帯の堆積物と考えられる．波浪や潮流などの流れによって絶えず堆積物が移動する環境なので，細粒な凝灰岩層は存在できず，粗粒な火山砕屑物のみが存在し，砂粒子とともに斜層理やラミナを形成している．志駒川岩本付近では，砂岩層の中に泥質砂岩が挟まれ，その中に例外的に粗粒～火山礫スコリア凝灰岩層やハイゴマ凝灰岩層が存在する．"},{"type":"paragraph","text":"黒滝層中に砕屑岩脈が稀に認められる．相川の腰越付近においては，黒滝層中にN47°E，78°S，脈幅1～10cmの砕屑岩脈が発達し，岩脈の中を細粒の軽石とスコリアが充填している．他の地域では，砕屑岩脈の充填物が黒滝層下部の礫岩に由来するものもある．"},{"type":"block-title","text":"斜層理の発達する黒滝層の砂岩"},{"type":"paragraph","text":"富津市岩本．"},{"type":"section-title","text":"層厚"},{"type":"paragraph","text":"第4.1表に各地における黒滝層の層厚を示す．萩生―法ノ木の東西断面では，最も厚いところは相川下流居作の96m，最も薄いのは法ノ木の0.7mである．西側の岩本―萩生間と東側の高宕山―高宕川間で厚く発達し，60～90m台となる（地質図，第4.2図）．寺尾背斜の北では，1～7mで薄い．"},{"type":"block-title","text":"黒滝層の層厚（単位：m）"},{"type":"paragraph","text":"距離は萩生を起点として計測．"},{"type":"block-title","text":"黒滝層の層厚変化"},{"type":"section-title","text":"化石"},{"type":"paragraph","text":"黒滝層中には貝類をはじめ石灰藻，腕足類，棘皮動物など多くの化石が産する．大原・高橋（1975）が黒滝層の貝化石についてまとまった報告をしている．それによると，大部分の種類は日本列島近海に生息する現生種であるが，鮮新統に限って産する種類も含まれている．また，黒滝貝化石群は，岩礁性の種類が卓越し，浅海区下部と上部の要素が混合している．その環境は温暖な海流の影響を受けた浅海区下部で，岩礁性海岸に近く，潮間帯～上浅海帯に生息していた種類が潮流などで運ばれて堆積する場所であると推定された．"},{"type":"section-title","text":"対比"},{"type":"paragraph","text":"Otuka（1949）の竹岡凝灰質角礫岩，小池（1949）の竹岡凝灰角礫岩層及び駒場凝灰角礫岩層は黒滝層に対比される（第3.1表）．"},{"type":"section-title","text":"十宮層（To）"},{"type":"section-title","text":"命名"},{"type":"paragraph","text":"Otuka（1949）．命名時は十宮凝灰質砂岩とされた．"},{"type":"section-title","text":"模式地"},{"type":"paragraph","text":"富津市十宮から竹岡に至る海岸．"},{"type":"section-title","text":"分布"},{"type":"paragraph","text":"黒滝層とほぼ同様の分布をする．本地域東部の法ノ木背斜の北側から西へ，湊川下流の南部丘陵に沿って分布し，十宮・竹岡海岸に達する．また，湊川下流北側の寺尾背斜の周囲に分布する．"},{"type":"section-title","text":"層序"},{"type":"paragraph","text":"本層は，黒滝層の礫岩・砂岩層の上に重なる泥質砂岩・砂質泥岩からなる地層である．下位の黒滝層に整合に重なる．上位は黄和田層によって整合に覆われる．"},{"type":"paragraph","text":"凝灰岩鍵層による定義では，To1～Kd38の間が本層である．黒滝層のところで述べたように，富津地域の湊川関付近から東へ，大多喜地域の笹川に向かって十宮層が黒滝層の上にアバットしている．本地域東部では十宮層の下部は黒滝層と同時異相になっている．"},{"type":"section-title","text":"岩相"},{"type":"paragraph","text":"主に砂質泥岩と泥質砂岩よりなり，少量の中粒～粗粒砂岩を含む．凝灰岩層は多数挟まれる．西海岸の萩生から東の法ノ木に至る東西断面では，下部が泥質砂岩と少量の中粒～粗粒砂岩からなり，上部は砂質泥岩と泥質砂岩からなる．但し，西海岸の萩生では全体が泥質砂岩と少量の中粒砂岩からなる（第4.3図）．すなわち，十宮層は上部及び東部に向かって細粒になる傾向がある．湊川下流北部の寺尾背斜の周囲では，十宮層全体が泥質砂岩と中粒砂岩からなる．"},{"type":"block-title","text":"十宮層の層厚・岩相変化"},{"type":"section-title","text":"砂質泥岩・泥質砂岩"},{"type":"paragraph","text":"本層の砂質泥岩・泥質砂岩は天津・安野両層のものと基本的に変わらない．両岩相ともに生痕化石や保存状態の良い貝化石をしばしば含む．"},{"type":"paragraph","text":"泥質砂岩は凝灰質であることが多いため，間に挟まれる凝灰岩層との境界が不明瞭である．泥質砂岩の中には，粗粒な砂粒子からなる不明瞭なラミナやlenticular beddingが認められ，陸棚泥帯の波浪限界に近い環境の堆積物であることが推測される（中嶋，1978）．下部の泥質砂岩に挟まれる中粒～粗粒砂岩は，スコリア又はゴマシオ凝灰岩質でトラフ状の斜層理やflaser beddingを持ち，堆積盆が一時的にさらに浅海域に近い環境になったことを示す．"},{"type":"paragraph","text":"砂質泥岩は，間に挟まれる凝灰岩層との境界が明瞭である．砂質泥岩の中にはlenticular beddingや砂岩の薄いレンズが存在する．"},{"type":"section-title","text":"凝灰岩"},{"type":"paragraph","text":"十宮層には天津・安野層と同様に，スコリア凝灰岩，軽石凝灰岩，ゴマシオ凝灰岩，細粒凝灰岩など多数の凝灰岩層が存在する．凝灰岩層は厚さの範囲，種類ともに両層のものと同じである．"},{"type":"paragraph","text":"十宮層下部の泥質砂岩中の凝灰岩層は，前述のように周囲の泥質砂岩が凝灰質であるため境界が不明瞭で見分けにくい．また，波浪限界に近い浅い堆積環境であったため，一度海底に堆積した凝灰岩層が波浪や海流などの作用によって浸食され断片的になっていることが多い．"},{"type":"paragraph","text":"第4.4図に十宮層の代表的な凝灰岩鍵層To3を示す．この凝灰岩は十宮層下部の泥質砂岩・中粒砂岩の中に存在し，厚さ30～40cmの中粒ゴマシオ凝灰岩（上部）と厚さ14～40cmの極粗粒スコリア凝灰岩（下部）などからなる．To3下部の極粗粒スコリア凝灰岩は内部に層構造をもち，上・中部は正級化を示す1～2ユニットのスコリア凝灰岩，下部は厚さ4～5cmの逆級化を示す極粗粒軽石凝灰岩からなる．このような層構造をもつ凝灰岩は，安野層の凝灰岩鍵層An2，An46，An158等と同様なタイプに属し（III-2-c），上・中部のスコリア凝灰岩はタービダイト凝灰岩，下部の軽石凝灰岩は降下火山灰起源の凝灰岩である．"},{"type":"paragraph","text":"To3は，西海岸の萩生では，黒滝層の上6mの位置に存在し，下部の極粗粒スコリア凝灰岩は火山礫サイズまで粗粒となる．しかし，このスコリア凝灰岩層は側方数mのところではその全体が浸食されてしまい，堆積時の波浪や海流の強い影響を認めることができる．"},{"type":"paragraph","text":"凝灰岩鍵層To12は十宮層上部にあり，上から極粗粒軽石凝灰岩（2～8cm），黒色細粒スコリア凝灰岩（2～6cm），極粗粒ハイゴマ凝灰岩＋粗粒逆級化軽石凝灰岩（9～23cm）の3層からなる（第4.5図）．それぞれの特徴は細部にわたって広い範囲に維持される．しかし，一番上の極粗粒軽石凝灰岩は，層としてまとまって存在する状態から凝灰岩を構成する軽石粒子が泥質砂岩中に散らばって存在する状態まで，その産状はかなり変化する．"},{"type":"block-title","text":"十宮層の凝灰岩鍵層To3（ホトトギス）の柱状図"},{"type":"paragraph","text":"To3は3～5層の凝灰岩の組み合わせである．カッコ内は鍵層のニックネーム．凡例は第3.3図に示す．"},{"type":"block-title","text":"十宮層の凝灰岩鍵層To12（お嬢さん）の柱状図"},{"type":"paragraph","text":"カッコ内は鍵層のニックネーム．凡例は第3.3図に示す．"},{"type":"section-title","text":"層厚"},{"type":"paragraph","text":"第4.2表に十宮層の各地の層厚を示す．層厚は大部分の地域で36～57mと均一であるが，湊川の関で71mと最も大きな値となっている．"},{"type":"block-title","text":"十宮層の主要鍵層間累積層厚"},{"type":"paragraph","text":"距離は萩生を起点として計測．"},{"type":"section-title","text":"化石"},{"type":"paragraph","text":"Otuka（1949）は，本層より多数の貝化石を報告している．その多くは現生種である．また，その生息環境は，暖流の影響を受ける陸棚から大陸斜面の半深海性種である．"},{"type":"section-title","text":"対比"},{"type":"paragraph","text":"小池（1949）の十宮凝灰質砂岩層の中・下部に相当する．なお，正式の地層名ではないが，三梨（1954）の十宮凝灰質砂岩相は，その中に記載された代表的な2層の凝灰岩鍵層がKd38とKd23に相当するので，少なくともその上部は本報告の黄和田層に当たる．"},{"type":"section-title","text":"黄和田層（Kd）"},{"type":"section-title","text":"命名"},{"type":"paragraph","text":"植田（1930）．"},{"type":"section-title","text":"模式地"},{"type":"paragraph","text":"君津市黄和田畑．"},{"type":"section-title","text":"分布"},{"type":"paragraph","text":"本地域東部の法ノ木背斜北翼から西へ分布し，高宕山向斜の西延長に当たる関向斜の軸部を広く占める．さらに西側では湊川下流の低地に沿って，富津市六野，台原から上総湊の市街地を通って十宮海岸に至る．また，十宮層と同様に湊川下流北側の寺尾背斜の周囲に分布する．"},{"type":"section-title","text":"層序"},{"type":"paragraph","text":"植田（1930）による命名時の記載では，主として凝灰質頁岩よりなる地層とあるだけで詳細はない．三梨ほか（1959）が再定義し，君津市黄和田畑を模式地として，凝灰岩鍵層Kd2～Kd38の間の泥岩層を黄和田泥岩層とした．ここでは基本的にその定義に従うが，鍵層Kd2については記載がなく，広域的にも追跡されていないことから，上限については，再定義が必要となる．"},{"type":"paragraph","text":"黄和田層上位の大田代層基底部にある凝灰岩鍵層O26，O27は，富津地域にも認められる広域的な鍵層である．したがって，ここではO27をもって黄和田層と大田代層の境界とする．すなわち，凝灰岩鍵層による定義では，O27～Kd38の間が黄和田層である．なお，地質図上では，鍵層O26を黄和田・大田代両層の境界として示している．O26は，容易に追跡でき，多くの場所に認められる鍵層である．O27との距離もごく近く，5万分の1地質図上では位置の差は微小である．"},{"type":"paragraph","text":"本層は，十宮層の泥質砂岩・砂質泥岩に整合に重なる．上位は大田代層によって整合に覆われる．上下の境界付近では岩相の差がないか漸移的．"},{"type":"section-title","text":"岩相"},{"type":"paragraph","text":"主として泥岩，砂質泥岩及び泥質砂岩よりなる．法ノ木から高溝にかけて黄和田層中部にタービダイト砂岩層が少し挟まれる．また，高溝から湊川中流関，志駒川下流関尻付近にかけて中部に厚いスランプ堆積層が存在する．黄和田層には十宮層と同様に凝灰岩層が多数存在する．"},{"type":"section-title","text":"泥岩・砂質泥岩・泥質砂岩"},{"type":"paragraph","text":"本地域の黄和田層は西海岸の十宮付近を除くと，おおまかに下部の鍵層Kd23以下が泥質砂岩，鍵層Kd8-Kd23間が砂質泥岩，鍵層Kd8以上が粗粒～中粒泥岩からなる．すなわち，黄和田層は上部に向かって細粒化する（第4.6図）．しかし，詳細に見ると黄和田層の岩相変化は富津地域内ではかなり変化に富んでいる．"},{"type":"paragraph","text":"側方の岩相変化を十宮―法ノ木の東西断面についてみると，黄和田層下部は東部の法ノ木では，鍵層Kd23以下が全て泥質砂岩であるが，西に向かって細粒化し，次第に砂質泥岩に置き換わる．本地域中部，関と小志駒の間では鍵層Kd23以下は全て砂質泥岩となる．しかし，小志駒からさらに西の十宮付近に至ると黄和田層下部は再び粗粒化して鍵層Kd23-Kd38間は泥質砂岩に変わる．"},{"type":"paragraph","text":"泥質砂岩の上に重なる砂質泥岩の上限，すなわち上位の粗粒～中粒泥岩との境界は法ノ木では鍵層Kd23の少し上にあるが，西に向かって次第に上位に移動し，小志駒付近では鍵層Kd8を越え，その結果，粗粒～中粒泥岩の範囲は狭まり，黄和田層の下半部が砂質泥岩によって占められてしまう．さらに西の十宮付近になると，一層粗粒化して粗粒～中粒泥岩の岩相はなくなり，黄和田層中部が砂質泥岩，上部が泥質砂岩によって占められる．とくに，上部の泥質砂岩は，その中に斜層理を持つ中粒砂岩を挟むほど粗くなる．"},{"type":"paragraph","text":"東西断面全体として見れば，西に向かって粗くなると言ってよいが，その実態は上記のように単純ではない．"},{"type":"paragraph","text":"寺尾背斜周囲の寺尾北―恩田の東西断面では，黄和田層中・下部の砂質泥岩の上限はKd5付近まで拡がっているので，南の十宮―法ノ木の東西断面に比較すると，北に向かって黄和田層の粗粒化する傾向が認められる（第4.6図）．"},{"type":"paragraph","text":"なお，黄和田層の砂質泥岩と泥質砂岩には，十宮層と同様に，その中に粗粒な砂粒子からなる不明瞭なラミナやlenticular beddingが認められる．"},{"type":"block-title","text":"黄和田層の層厚・岩相変化"},{"type":"section-title","text":"砂岩"},{"type":"paragraph","text":"タービダイト砂岩は黄和田層の中には少なく，東部の法ノ木から高溝付近にかけて黄和田層中部に若干認められるのみ．法ノ木では，厚さ0.8～1mの細粒～中粒タービダイト砂岩が少しまとまって見られるが，高溝付近になると厚さ10～50cmの細粒タービダイト砂岩が4～5層存在するだけである．"},{"type":"section-title","text":"スランプ堆積層"},{"type":"paragraph","text":"本層中部には大規模なスランプ堆積層（Tmzスランプ層）が存在する（第4.6図）．このスランプ堆積層は高溝付近から関を経て，志駒川下流の関尻，小志駒まで分布し，一部はさらに西の横山付近に達する．高溝―関間で最も厚く，層厚29～30mになる．このスランプ堆積層の下部はタイプIIの砂質泥岩，流状シルト岩，含礫泥岩などからなる．上部は地層の褶曲変形からなるタイプIのスランプ堆積層である（第4.7図，第3.2表）．"},{"type":"paragraph","text":"上部のタイプIは，スランプ堆積層全体の厚くなる高溝―関尻間に存在し，それより東あるいは西側では尖滅する．一方，下部のタイプIIはタイプIより連続性が良く，東西に拡がっている．Tmzスランプ層は下位の地層を大きく削剥している．このスランプ層はKd4の直下に存在するが，スランプ堆積層基底の削剥は，Kd5からKd23直上までのいろいろなレベルに及ぶ．"},{"type":"paragraph","text":"高溝から関にかけては，タイプIとIIの間に砂岩，礫岩，泥質砂岩が介在する．この粗粒層は一部液状化して，上位のタイプIのスランプ堆積層中に貫入している．関付近の湊川河床の観察では，この砂岩・礫岩層は単層の厚さが1～5mで，4～5ユニットからなる．また，それぞれの層の基底部が下位層をチャネル状に浸食している部分もある．チャネル壁の方向は，N10-15°Wで南北に近い．"},{"type":"block-title","text":"黄和田層Tmzスランプ層の概念図"},{"type":"section-title","text":"凝灰岩"},{"type":"paragraph","text":"黄和田層には，十宮層と同様に多様な凝灰岩層が存在する．種類としては，ハイゴマ凝灰岩が最も多く，スコリア凝灰岩がそれに次ぐ．軽石凝灰岩，ゴマシオ凝灰岩，細粒凝灰岩などは少ない．"},{"type":"paragraph","text":"スコリア凝灰岩が出現して，凝灰岩層が多様化した天津層下部から黄和田層までを通して見ると，この間凝灰岩の数は多く，その出現間隔は，泥岩層の厚さにしておよそ10cm～3mおきである．その中でもとくに凝灰岩層の多いのは，天津層小湊凝灰岩部層中と黄和田層下部の鍵層Kd23～Kd38の間である．その出現間隔は泥岩層約10～50cmおきで，非常に高い頻度である．"},{"type":"paragraph","text":"しかし，黄和田層上部のKd8付近から上になると凝灰岩層は急激に減少する．凝灰岩層の出現間隔は約3～10mおきになり，ひとつの露頭で1～2層の凝灰岩が見える程度になる．以後，凝灰岩数の少なくなる傾向は上総層群の上部まで続くので，Kd8付近は，凝灰岩数の急減する層準として重要である．"},{"type":"paragraph","text":"第4.8図には黄和田層の代表的な凝灰岩鍵層Kd38を示す．鍵層Kd38は黄和田層基底の泥質砂岩～砂質泥岩の中に存在する．厚さ3～40cmの凝灰岩層の8～10層の組み合わせからなる．中粒～粗粒のゴマシオ凝灰岩とハイゴマ凝灰岩が多く，下部にベージュ～ピンク色の細粒凝灰岩が1層存在するのが特徴である．ゴマシオ及びハイゴマ凝灰岩は，正級化層理を示すタービダイト凝灰岩であるが，その多くは上部にスコリアを多く含み2層構造をなす．凝灰岩のタイプはI-1-cである（第3.15図）．鍵層Kd38の上部にある厚さ20cm前後の中粒ゴマシオ凝灰岩は，その基底3～4cmが細粒となっていて2層構造をなし，タイプIII-2-bの凝灰岩である．この特徴はKd38を識別するのに役立つ．"},{"type":"paragraph","text":"鍵層Kd38を凝灰岩層の間の泥岩層を含めて全体として見ると，層厚変化は小さく，東の法ノ木から西海岸の十宮までほぼ均一の厚さである．泥岩層は本地域中部の関から小志駒にかけては砂質泥岩，その東及び西側では粗粒化して泥質砂岩となる．西海岸では，Kd38下部の細粒凝灰岩は，周囲の泥岩が粗粒になるにもかかわらず厚くなっている．"},{"type":"paragraph","text":"第4.9図には凝灰岩鍵層Kd23を示す．この鍵層及び上位の鍵層の中には，中粒から粗粒のゴマシオ及びハイゴマ凝灰岩層が多い．凝灰岩層と互層する砂質泥岩や泥質砂岩の中には，中粒～ラピリサイズの軽石やスコリアの粒子が特定の層準に数多く散っている．これらの泥質岩中の粒子は，海面に降下した火山灰が泥の粒子とともに海中を沈降して海底に堆積したもので，タイプII-1の凝灰岩に属する．"},{"type":"paragraph","text":"鍵層Kd23を構成する凝灰岩層のなかで目立つのは，上部にある厚さ40～50cmの凝灰岩である．この凝灰岩層は上部が極粗粒～ラピリサイズの正級化ハイゴマ凝灰岩，下部が中粒～粗粒の正級化ゴマシオ凝灰岩の2層構造で，タイプI-2-bの凝灰岩である．この凝灰岩層の10cmほど下には，ピンク色を帯びた白色細粒凝灰岩が存在することがあるが，間の泥岩層が粗粒化して泥質砂岩になっている場所には見られない．Kd23及びその上位の凝灰岩層には，2層構造のものが多い．凝灰岩のタイプでは，I-1-b，I-1-c，I-2-bなどである．"},{"type":"paragraph","text":"層厚変化は，Kd23から上位の鍵層En tuffまで全体を通して見ると，均一で変化は小さい．しかし，湊川下流域の北側，寺尾背斜南翼の台原では明らかに厚くなる傾向がある．"},{"type":"block-title","text":"黄和田層の凝灰岩鍵層Kd38（一姫二太郎）の柱状図"},{"type":"paragraph","text":"カッコ内は鍵層のニックネーム．凡例は第3.3図に示す．"},{"type":"block-title","text":"黄和田層の凝灰岩鍵層Kd23（おいろけ）の柱状図"},{"type":"paragraph","text":"Kd23の上下は凝灰岩層が非常に多いので番号では鍵層を憶えきれない．カッコ内は鍵層のニックネーム．凡例は第3.3図に示す．"},{"type":"section-title","text":"層厚"},{"type":"paragraph","text":"西から萩生51m，小志駒79m，関86m，高溝100m，法ノ木81mである．寺尾背斜北翼の東大和田北では57mの層厚である（第4.3表）．東西断面では，高溝が最も厚く，西に向かって薄くなる．南北断面では北側が薄くなっている．"},{"type":"block-title","text":"黄和田層の主要鍵層間累積層厚"},{"type":"paragraph","text":"距離は萩生を起点として計測．"},{"type":"section-title","text":"対比"},{"type":"paragraph","text":"小池（1949），三梨（1990）の高溝泥岩層又は高溝層の下部と十宮凝灰質砂岩層又は十宮層の上部は本層に相当する（第3.1表）．微化石・古地磁気層序によれば，本層中の凝灰岩鍵層Kd38の直上に鮮新・更新統境界がある（新妻，1976；Oda，1977；佐藤ほか，1988）．"},{"type":"section-title","text":"大田代層（Ot）"},{"type":"section-title","text":"命名"},{"type":"paragraph","text":"植田（1933）．"},{"type":"section-title","text":"模式地"},{"type":"paragraph","text":"大多喜町大田代．"},{"type":"section-title","text":"分布"},{"type":"paragraph","text":"本地域東部の法ノ木から西へ，宇藤原から大川崎まで分布し，そこから芹向斜によって北側に分布を繰り返す．北側の分布は更に寺尾背斜によってもう一度北へ繰り返され，寺尾背斜北翼を新田から西へ，東大和田北，寺尾北，駒場を経て，上総湊市街地に達する．"},{"type":"section-title","text":"層序"},{"type":"paragraph","text":"植田（1933）による命名時には岩相の記載はない．三梨ほか（1959）が大多喜町大田代を模式地として，本層の岩相の定義と凝灰岩鍵層の記載を行った．ここに用いる大田代層はその定義に従う．"},{"type":"paragraph","text":"模式地では，大田代層は砂勝ち互層と泥勝ち互層の繰り返しであるが，大多喜地域西部から富津地域にかけて全体が泥勝ち互層及び泥岩層へと岩相が変わる．とくに，大田代層の下部は下位の黄和田層と似たような岩相になり区別がつかなくなる．大田代層の下限は，前項の黄和田層で述べたように鍵層O27によって定義される．"},{"type":"paragraph","text":"上限については，富津地域東部の法ノ木，高溝の北にかけては，大多喜地域から引き続いて大田代層の上位に梅ヶ瀬層の厚いタービダイト砂岩からなる砂勝ち砂泥互層が重なるので，泥勝ち砂泥互層からなる大田代層上部との境界は明瞭である．しかし，富津地域中部の寺尾背斜北翼では，梅ヶ瀬層下部のタービダイト砂岩が尖滅して泥勝ち砂泥互層又は泥岩層となり，岩相による大田代層と梅ヶ瀬層の識別は困難になる．"},{"type":"paragraph","text":"梅ヶ瀬・大田代両層境界付近の凝灰岩鍵層として，富津地域においてはU10，O1，O7，O8などが認められる．三梨ほか（1959）の地層の定義では，U10とO1が梅ヶ瀬層，O7とO8が大田代層に属する．梅ヶ瀬層下部のOlと大田代層上部のO7の間には，広域的に追跡できる目立った凝灰岩鍵層が認められない．しかし，問題となる寺尾背斜北翼においては梅ヶ瀬・大田代両層中のタービダイト砂岩の尖滅に伴い全体の層厚が大きく減少し，鍵層O1とO7は短い距離に接近する．したがって，寺尾背斜北翼においては，他の地域のO1-O7間の両層境界位置からおおまかに推定して鍵層O1の約10m下を境界とした．"},{"type":"paragraph","text":"大田代層と黄和田・梅ヶ瀬両層の関係は整合である．"},{"type":"section-title","text":"岩相"},{"type":"paragraph","text":"主としてタービダイト砂岩・泥岩互層と泥岩層からなる．凝灰岩層は，先に述べたように黄和田層中・下部に較べると少なく，とくに本層の上部には稀である．スランプ堆積層は2層認められる．"},{"type":"paragraph","text":"高溝と法ノ木の東西断面では，大田代層上部（O7より上）と最下部（O18とO26の間）の2層準に泥勝ち砂泥互層が存在する（第4.10図）．上部の泥勝ち互層にはタービダイト砂岩層の数が多く，とくに最上部でその数が増す．法ノ木では，上部の砂泥互層の中ほどに，砂勝ち互層が少し現れる．"},{"type":"paragraph","text":"大田代層基底部，黄和田層との境界近くは（O26とO27の間），タービダイト砂岩が含まれず，泥岩層のみである．大田代層に入ってタービダイト砂岩が頻繁に現れるようになるのはO26以上である．しかし，大田代層下部は上部に較べ，タービダイト砂岩層の挟みが少なく泥岩層を主とする岩相である．"},{"type":"paragraph","text":"寺尾背斜北翼になると，大田代層中のタービダイト砂岩の数は一層減少し，大田代層全体が泥岩層を主とする岩相に変わる．ただし，西海岸の上総湊に至ると，中部のO7層準付近に比較的厚いタービダイト砂岩を含む砂泥互層が再び現れる．"},{"type":"block-title","text":"大田代層の層厚・岩相変化"},{"type":"section-title","text":"泥岩・砂質泥岩"},{"type":"paragraph","text":"高溝―法ノ木間の泥岩は中粒～粗粒泥岩である．寺尾背斜北翼においては，泥岩は少し粗粒化し，大田代層中・下部が粗粒泥岩，上部が粗粒泥岩～砂質泥岩に変わる．泥岩中には生痕がしばしば存在するが，それ以外は一般に塊状・均質で，堆積構造は認められない．"},{"type":"paragraph","text":"大田代層の泥岩は，安房層群の安野層～天津層の泥岩と堆積学的特徴はほとんど変わらないが，岩石の硬さは明らかに減少している．大田代層の泥岩はピッケルや堆積ハンマーで容易に割ることができる．"},{"type":"section-title","text":"砂岩"},{"type":"paragraph","text":"大田代層のタービダイト砂岩は，隣接の大多喜地域において厚く発達する．富津地域では，厚さ1mを超えるタービダイト砂岩は稀で，大半が厚さ1～50cmである．ソールマークを使った古流向解析などから，富津地域のタービダイト砂岩はタービダイト堆積盆上流縁辺部に堆積したものと考えられている（Hirayama and Naka-jima，1977）．"},{"type":"paragraph","text":"大田代層上部のタービダイト砂岩については，法ノ木において厚さ1～50cmの細粒～粗粒砂岩が多く見られる．また，上部の中ほどに厚さ100～200cmの粗粒砂岩（単層基底の粒度）が少量存在する．高溝では，上部のタービダイト砂岩層の数は変わらないが，厚さは1～25cmと薄くなる．"},{"type":"paragraph","text":"大田代層最下部のタービダイト砂岩については，法ノ木―高溝において厚さ1～10cmの極細粒～細粒砂岩が存在する．また，高溝の西方，大川崎付近の芹向斜南翼では，鍵層O26の上部に厚さ35～80cmの細粒砂岩が挟まれ，タービダイト砂岩の厚さが増している（第4.11図）．大田代層最下部の厚さはそれに伴って増加する．"},{"type":"paragraph","text":"芹向斜の褶曲軸付近と北翼に当たる東大和田の湊川及びその東側支流の河床には，大田代層最下部（O27-O26間及びその少し上部）と東日笠層が分布している．ここでは，大田代層最下部が東日笠層に接し，その一部が東日笠層の基底において浸食されている様子が観察される．また，東日笠層の北側に接する大田代層最下部には，厚さ50～500cmの厚いタービダイト砂岩が認められる．このタービダイト砂岩は，東日笠層の項で述べるように，東日笠海底谷を流れたturbidity currentsの谷からのオーバーフロー堆積物と考えられる．"},{"type":"paragraph","text":"大田代層最下部は東大和田から北側へ，寺尾背斜によって繰り返し分布するが，北側ではタービダイト砂岩の厚さと数が減じている．大田代層全体としても寺尾背斜北翼では，厚さ1～10cm程度の細粒タービダイト砂岩が少量含まれているに過ぎない．"},{"type":"section-title","text":"スランプ堆積層"},{"type":"paragraph","text":"2層のスランプ堆積層のうち1層は大田代層中部にあり，高溝付近から寺尾背斜北翼にかけて，凝灰岩鍵層O7の少し上に位置する．このスランプ堆積層は下位の地層を鍵層O8のレベルの少し上まで浸食している．このため鍵層O7はこの間で存在しない．"},{"type":"paragraph","text":"このスランプ堆積層の厚さは，高溝付近で約10mある．下部約2mが含礫泥岩，その上は粗粒～砂質泥岩と薄いタービダイト砂岩からなる泥勝ち互層が強く褶曲したタイプのスランプ層が重なる．すなわち，これはタイプIIの下部とタイプIの上部からなるスランプ堆積層であり，黄和田層のTmzスランプ層に類似している．寺尾背斜北翼（東大和田の北）では，このスランプ堆積層は厚さ3～4mの粗粒泥岩（タイプII）からなる．一見上下の泥岩と区別しにくい．"},{"type":"paragraph","text":"大田代層のもう1層のスランプ堆積層は，大田代層最下部にある厚さ1～2mの含礫泥岩である．このスランプ堆積層は，東大和田の芹向斜軸部付近に存在する．"},{"type":"section-title","text":"凝灰岩"},{"type":"paragraph","text":"先にも述べたように，黄和田層に較べると大田代層においては凝灰岩層の数が大きく減少する．その中でやや多いのは白色～淡灰色～ベージュ色の細粒凝灰岩である．次いでスコリア凝灰岩の薄層が見られ，ゴマシオ凝灰岩やハイゴマ凝灰岩は少ない．大田代層の代表的鍵層であるO7，O11，O18，O26，O27等はいずれも白色～淡灰色～ベージュ色の細粒凝灰岩が主である．"},{"type":"paragraph","text":"鍵層O7は大田代層中部に位置する1層のベージュ色細粒凝灰岩からなる（付図第1図）．法ノ木で厚さ31cmあり，大田代層の中で最も厚い凝灰岩のひとつである．これより上，大田代層の上部には目立った凝灰岩層がないので，1層ではあるが鍵層としての確認は容易である．しかし，O7の判定を確実にしたい場合には，約10m下に鍵層O8が存在するかどうか確かめる．O8は，厚さ2～5cmの淘汰度の良い中粒スコリア凝灰岩（タイプII-2-a）である（第3.15図）．多くの場合2層構造になっている特徴をもつ．大田代層中には他にこのような例はないので，O8の鍵層としての判定はむずかしくない．法ノ木より西では，O7は直上のスランプ堆積層によって浸食され存在しないが，O8は浸食をのがれ広く追跡することができる．"},{"type":"paragraph","text":"第4.11図は，凝灰岩鍵層O26の側方変化を示している．O26は，上部の厚さ3～5cmのスコリアシルトと下部の厚さ11～53cmのベージュ色～灰白色細粒凝灰岩の組み合わせである．上部のスコリアシルトは内部が2層に分かれていて，上半が淡紫色，下半が黒色である．下部のベージュ色～灰白色細粒凝灰岩も同様に2層構造になっていることが多い．その場合は，上部がシルトサイズの細粒凝灰岩，下部が凝灰質細粒砂岩～砂質凝灰岩である．"},{"type":"paragraph","text":"O26全体としては，大川崎―法ノ木の東西断面では中部の大川崎で最も厚い．間に挟まれるタービダイト砂岩も同様である．O26下部の細粒凝灰岩は，厚くなるにしたがって含まれるユニットの数が増え，大川崎では3つの正級化ユニットからなる．大川崎から北へ，芹向斜，寺尾背斜を越えるにしたがいO26は層厚を減じる．"},{"type":"paragraph","text":"凝灰岩鍵層O18は，上部から厚さ1～2cmのスコリアシルト～中粒スコリア凝灰岩，2～4cmの細粒ゴマシオ凝灰岩，13～23cmの中粒ゴマシオ凝灰岩の3層からなる（第4.12図）．中部の細粒ゴマシオ凝灰岩は内部が2層構造で，下部1cmが灰白色細粒凝灰岩，その上が細粒ゴマシオ凝灰岩である．O18下部のゴマシオ凝灰岩も2層構造で，こちらは上部が灰白色細粒凝灰岩，下部が中粒ゴマシオ凝灰岩となっている．O18を構成する個々の凝灰岩層は厚さの変化があまりなく，内部構造も側方によく保たれる．全体の層厚は，高溝―法ノ木の東西断面では西に向かって少しずつ減少し，北へは寺尾背斜北翼に向かって大きく減少する．"},{"type":"block-title","text":"大田代層の凝灰岩鍵層O26（トリガー）の柱状図"},{"type":"paragraph","text":"O26は上部がスコリアシルト，下部が淡灰色細粒凝灰岩からなる．カッコ内は鍵層のニックネーム．凡例は第3.3図に示す．"},{"type":"block-title","text":"大田代層の凝灰岩鍵層O18（梅雨）の柱状図"},{"type":"paragraph","text":"O18は1層のスコリアシルトと2層のゴマシオ凝灰岩からなる．カッコ内は鍵層のニックネーム．凡例は第3.3図に示す．"},{"type":"section-title","text":"層厚"},{"type":"paragraph","text":"西から高溝138m，高宕川148m，法ノ木207mで，東に向かって厚くなる．北側の寺尾背斜北翼では，西から寺尾の北で143m，東大和田の北で126mとなっていて，高溝や高宕川とほぼ同じ厚さである（第4.4表）．"},{"type":"block-title","text":"大田代層の主要鍵層間累積層厚（単位：m）"},{"type":"paragraph","text":"距離は東大和田北を起点として計測．"},{"type":"section-title","text":"化石"},{"type":"paragraph","text":"隣接の大多喜地域では，大田代層泥岩中に暖流系深海性の貝化石群集が含まれ，その環境は水深400～1,000mと推定されている．一方タービダイト砂岩には主に暖流系の上部～下部浅海性及び岩礁性の貝化石が含まれる（馬場，1990）．"},{"type":"paragraph","text":"成瀬（1973）による貝化石及びAoki（1968）による有孔虫化石の検討によれば，富津地域の大田代層からは大多喜地域の小櫃川以東よりもより浅海の化石が産出することが明らかになっている．"},{"type":"section-title","text":"対比"},{"type":"paragraph","text":"坂倉（1935a）の小平ケ台泥岩層の上部～坂畑層下部に対比される．小池（1949）及び三梨（1990）の高溝泥岩層あるいは高溝層の上部にほぼ相当する（第3.1表）．"},{"type":"section-title","text":"東日笠層（Hg）"},{"type":"section-title","text":"命名"},{"type":"paragraph","text":"大塚・望月（1932）．最初は東日笠泥砂礫層の名称が用いられている．なお，命名時には岩相の記載はない．ここでは，富津市芹付近を中心に，東西方向に帯状に分布する厚いタービダイト砂岩・礫岩層からなる地層を東日笠層とする．"},{"type":"section-title","text":"模式地"},{"type":"paragraph","text":"富津市芹付近とする．"},{"type":"section-title","text":"分布"},{"type":"paragraph","text":"富津市の横山より山脇，東大和田，芹を経て君津市植畑，東日笠に至る東西約10km，南北約1kmの細長い帯状の地域に分布する．帯状分布の長軸方向はENE-WSWである．"},{"type":"section-title","text":"層序"},{"type":"paragraph","text":"東日笠層には凝灰岩鍵層が存在しないので，周囲の地層との層序関係を詳細に調べることは難しい．しかし，次の岩相の項で述べるように，スランプ堆積層や東日笠層特有の性質を用いておよその関係を知ることができる．それによると，東日笠層は分布の東半では鍵層U9以上の梅ヶ瀬層に，西半では鍵層U9以下の梅ヶ瀬層と大田代層に対応する．"},{"type":"paragraph","text":"以下に述べるように，東日笠層と周囲の地層の間には，著しい浸食現象が見られるが，それは海底におけるturbidity currentsによる浸食の結果で，不整合現象ではない．"},{"type":"section-title","text":"岩相"},{"type":"paragraph","text":"東日笠層の立体形は，長軸がENE-WSW方向に伸びた谷を堆積物が充填したような形状である．この谷地形（芹向斜）の底と南及び北側の側壁に当たる部分では，東日笠層下位の地層が深く浸食され，谷状に抉られている様子が観察される．このことから，東日笠層堆積時の海底に実際に谷が存在し，その谷を埋め立てるように堆積作用が進行したことが分かる．佐藤・小池（1957）は，この谷を東日笠化石海底谷と名付けた（本論文では東日笠海底谷とする）．現在の東日笠層の最も高い位置から谷底までの高さは200mを越える．但し，これは後述するように必ずしも東日笠層堆積時に存在した谷の深さに対応するものではない．"},{"type":"paragraph","text":"東日笠層の基底に接する下位の地層は西から東へ，黄和田層（横山，山脇），大田代層（東大和田の湊川河床），梅ヶ瀬層中部（西日笠の小糸川河床）というように次第に上位の地層になる．すなわち，谷の浸食の及ぶ深さは東に向かって次第に浅くなっている．"},{"type":"paragraph","text":"東日笠層は，その大部分が厚いタービダイト砂岩からなり，泥岩を含まない．他に，スランプ堆積層が東日笠層の中部に1層存在するのみである．なお，佐藤・小池（1957）が東日笠層の基底に位置付けたスランプ堆積層は，東日笠層のものではなく，下位の黄和田層や大田代層中のものである．"},{"type":"paragraph","text":"タービダイト砂岩は，厚さ1.5～4mのものが多いが，とくに厚いものでは10～15mに達する（第4.13図）．砂岩は正級化を示し，下部は粗粒砂岩～礫質砂岩，上部は中粒砂岩からなる．下部の礫質砂岩は，中礫サイズの円礫を多く含むことが多く，良好な骨材資源となる．横山及び東大和田・高溝から芹付近にかけて分布する東日笠層が採掘対象となっていて，いくつかの砂取場がある（第8.1図）．"},{"type":"paragraph","text":"タービダイト砂岩の下部から中部にかけて，泥岩の偽礫が多く含まれる．泥岩偽礫は中粒～粗粒泥岩で，10～50cmのものが多い．とくに大きいものは，70～80cmに達する．これらの泥岩偽礫は，上流側に存在した泥岩層がturbidity currentsによって削剥され，下流に運ばれてきたものである．"},{"type":"paragraph","text":"タービダイト砂岩層基底の浸食は，東日笠層に普通に見られる（第4.13図）．下位にある砂岩層を深さ1～5mにわたってチャネル状に削る例も珍しくない．チャネル状浸食に加えて，ステップ状に下位の砂岩層を浸食することもしばしばある（第4.13図の1）．高溝北の尾根上では，大規模な山砂の採掘が行われ，東日笠層や東日笠海底谷の断面，谷の南側の側壁と東日笠層タービダイト層との関係などを観察することができる．第4.13図の2と3には，その様子を断面と平面図（ルートマップ）に示している．谷の南側の側壁は主に中粒～粗粒の泥岩で，厚さ1～5cmの細粒タービダイト砂岩と凝灰岩層が挟まれる．凝灰岩層には，梅ヶ瀬層中部の鍵層U9が存在する．U9とともに側壁を構成する地層はステップ状に浸食され，東日笠層のタービダイト砂岩と接している．"},{"type":"paragraph","text":"浸食によって生じたステップは，1段の高さが2～4m，幅は3～5mである．図から分かるように，ステップ1段に1層の厚いタービダイト砂岩層が対応している．すなわち，厚いタービダイト砂岩を運んできた1回のturbidity currentが，その強い側方浸食力によって，ひとつのステップを削り込んだのである．削り取られた側壁は，泥岩偽礫となって下流に堆積したと考えられる．このような厚いタービダイト砂岩の堆積と浸食作用のセットは，浸食による谷の形成とタービダイト砂岩の堆積・谷の充填が同時進行的に起きたことを示している．"},{"type":"paragraph","text":"なお，南側の側壁において浸食され東日笠層と接している梅ヶ瀬層の層準は，高溝の北ではU9層準であるが，東の宇藤原の北でU8層準，船塚付近でU7層準というように，東に向かって次第に上の層準になる．これは前記の東日笠層の基底に接する層準が東に向かって上位の層準になることと調和的である．"},{"type":"paragraph","text":"東日笠海底谷の北側側壁は，新田の付近で観察できる．東日笠層は大田代層の上にあり，その境界は南側側壁とは異なり，大田代層の層理に緩やかに斜交して，大田代層を浸食している．浸食は大田代層の凝灰岩鍵層O11の3.5m上まで及んでいる．"},{"type":"paragraph","text":"スランプ堆積層は，東日笠層の中部に1層認められる．厚さ4～9mの含礫泥岩を主とするものであるが，上部が流状シルト岩となっている．含まれる礫は，0.5～5cmの円礫である．含礫泥岩層の中間に厚さ1mの砂岩層を挟む場所もある．苗割付近ではスランプ堆積層の下位に，薄く剥離するシルト層が存在する．スランプ堆積層の分布は苗割から南西へ芹林道，田倉の南を経て高溝の北で芹向斜の軸部に達する．この間で，その分布は東日笠層を斜めに横断する形となり，東日笠層を東西あるいは上下に分けている．"},{"type":"paragraph","text":"東日笠層とその北側に接する梅ヶ瀬層の関係を調べるため，苗割付近でこのスランプ堆積層の分布を詳しく調べた（第4.14図）．図の破線が東日笠層と梅ヶ瀬層の境界である．南側の東日笠層が，厚いタービダイト砂岩からなるのに対して，北側の梅ヶ瀬層は苗割付近では泥岩を主とする地層（上部）と砂泥互層（下部）からなる．この間に凝灰岩鍵層U8～U9とスランプ堆積層が存在する．このうち，U9は砂泥互層の中にある（第4.16図）．砂泥互層は，厚さ1～100cmの細粒～粗粒タービダイト砂岩を含み，やや砂勝ちである．泥岩は厚さ5～65cmで中粒～粗粒泥岩である．この砂泥互層の直下にスランプ堆積層が存在する．"},{"type":"paragraph","text":"U9とスランプ堆積層は，連続的な露頭を東日笠層との境界まで追跡され，境界に至ってU9は東日笠層によって浸食され分布を断ち切られる．一方，U9の下のスランプ堆積層はそのまま境界を越えて東日笠層側へ連続して分布している．梅ヶ瀬層側のスランプ堆積層の下位にも薄く剥離するシルト層が存在し，その他の特徴も東日笠層中のスランプ堆積層の特徴に一致している．両側のものが同一のスランプ堆積層であることは間違いない．"},{"type":"paragraph","text":"東日笠層側に泥岩層や凝灰岩層がないのは，一度堆積したこれらの地層は，その後谷を頻繁に流下した強いturbidity currentsによって全て浸食されたためと考えられる．短期間に厚く堆積したスランプ堆積層のみが浸食を免れることができた．"},{"type":"paragraph","text":"一方，梅ヶ瀬層側のU9を挟む砂泥互層中のタービダイト砂岩は，東日笠海底谷をオーバーフローしたturbidity currentsから堆積したものとみなされる．砂勝ち砂泥互層は，苗割付近では，スランプ堆積層の上にあるが，西の田倉付近ではスランプ堆積層の下に厚さ20～100cmのタービダイト砂岩と厚さ1～30cmの泥岩からなる砂勝ち互層が存在し，この砂泥互層が南側の東日笠層と接している．スランプ堆積層の上は泥勝ち互層となっているので，砂勝ち互層は田倉付近では，下に移ったことになる．この傾向は更に西側の東大和田付近まで見られるので，全体としては，北側側壁からオーバーフローしたタービダイト砂岩の出現は，東に向かって次第に上位の層準に移ったことになる．"},{"type":"paragraph","text":"以上に述べたように，東日笠海底谷の側壁付近の状況は北側と南側で相違している．このような違いは，南側の側壁では谷の下部を，北側の側壁では谷の上部を見ていることによると考えられる．スランプ堆積層は鍵層U9の近くにあるので，東日笠層はこのスランプ堆積層を境に，東側が梅ヶ瀬層のU9より上位の地層に，西側がU9の下位層に相当することになる．"},{"type":"paragraph","text":"前記のように，高溝北の南側壁には（谷の外側に当たる），鍵層U9が存在しているが，その北側の東日笠層中（谷の内側に当たる）に上記のU9直下のスランプ堆積層が近接して存在する．両者の標高差は約30mある．谷の内側にあるスランプ堆積層は，芹向斜の軸部付近にあるので，この標高差はおおまかにU9堆積時の東日笠海底谷の底から谷の上までの高度差とみなされる．すなわち，堆積時の谷の深さは約30mあったことになる．"},{"type":"paragraph","text":"東日笠層の作る谷地形に関しては，それを東日笠層堆積時の海底谷やチャネルとする研究が古くからなされている（佐藤・小池，1957；Yamauchi et al., 1990）．また，東日笠層の谷地形を深海海底扇状地上部にあるfanvalleyと位置づけ，その東（下流）に分布する大田代層のタービダイト砂岩を堆積したturbidity currentsの通路とする研究がある（Hirayama and Nakajima, 1977）．本報告では，上述した東日笠層の産状から東日笠海底谷は全体として明確な海底谷の性質をもち，芹付近より東側では谷が浅くなり海底谷出口に近くなると考えた．次項で述べる梅ヶ瀬層のタービダイト砂岩の分布などから，その出口付近にはfan valleyを伴う深海海底扇状地上部の特徴が見られる．富津地域ではタービダイト砂岩堆積場の最も上流の部分を見ていることになる．"},{"type":"paragraph","text":"東日笠海底谷は，基盤に当たる下位の地層の示す向斜構造（芹向斜）の軸部に沿って存在する（第7.2図）．その密接な相関は，海底谷の発生が芹向斜の形成に深く関係していることを示す．向斜の形成によって生じた海底の凹地に沿ってturbidity currentsが次々と流れ，次第に海底谷に成長していったと考えられる．"},{"type":"block-title","text":"東日笠層のスケッチ（1と2）とルートマップ（3）"},{"type":"paragraph","text":"高溝砂取場（第8.1図に位置を示す）．A-B断面のスケッチ後に，C-D断面まで採掘が進み，再びスケッチする．"},{"type":"block-title","text":"東日笠層と梅ヶ瀬層の関係を示す苗割付近のルートマップ"},{"type":"section-title","text":"層厚"},{"type":"paragraph","text":"約200m."},{"type":"section-title","text":"化石"},{"type":"paragraph","text":"佐藤・小池（1957）は本層から多数の貝化石を報告している．それらの貝化石は汽水生から半深海生の種が入り混じって産する．馬場（1990）は，東日笠層下部には寒流系の上部浅海から下部浅海の貝化石群集が産し，中部には暖流系下部浅海の貝化石群集が産することを報告している．なお，東日笠層からは，Parelephas proximusなどの陸生哺乳類化石の産出が知られる（高井，1938）．"},{"type":"section-title","text":"対比"},{"type":"paragraph","text":"本層は東日笠層（大塚，1932：池辺，1948；小池，1957；三梨ほか，1962）をはじめ，東日笠貝層（植田，1933），東日笠砂礫層（小池，1949），東日笠砂礫相（三梨，1954）などの名称が使われているが，本層の岩相と分布は周囲の地層から明確に区別できるので，いずれも同じものを指していることは明らかである．"},{"type":"paragraph","text":"なお，岩相の記載で述べたように，東日笠層の上部は，梅ヶ瀬層の鍵層U9以上の地層に，下部はU9以下の地層に対比される．次項で述べる梅ヶ瀬層のタービダイト砂岩の分布から考えると，東日笠層上部は，富津地域の中では梅ヶ瀬層の鍵層U6層準まで含むと考えられる．東日笠層下部については，黄和田層より上位の地層であることは間違いない．おそらく，大田代層の多くが東日笠層下部に対比されると思われる．"},{"type":"section-title","text":"梅ヶ瀬層（Um, Umc）"},{"type":"section-title","text":"命名"},{"type":"paragraph","text":"植田（1930）．"},{"type":"section-title","text":"模式地"},{"type":"paragraph","text":"市原市朝生原の西にある梅ヶ瀬．"},{"type":"section-title","text":"分布"},{"type":"paragraph","text":"芹向斜南翼を船塚から高溝の北まで分布する．さらに，芹向斜と寺尾背斜によって梅ヶ瀬層の分布は北側へ繰り返される．寺尾背斜北翼の梅ヶ瀬層は，鹿野山の南麓沿いに，東粟倉から西へ九十九谷，諸崩，桜井，岩坂を通って上総湊の海岸に至る．"},{"type":"paragraph","text":"梅ヶ瀬層の分布は，褶曲によってさらに北側に繰り返され，佐貫の北に存在する磯根崎背斜の軸部に現れる．"},{"type":"section-title","text":"層序"},{"type":"paragraph","text":"三梨ほか（1959）が市原市朝生原の西にある梅ヶ瀬を模式地として，本層の上下限を定め，凝灰岩鍵層を記載している．ここではその定義に従う．"},{"type":"paragraph","text":"模式地では梅ヶ瀬層は厚いタービダイト砂岩を主とする砂勝ち砂泥互層からなり，泥勝ち砂泥互層からなる国本・大田代両層との間の境界は明瞭である．模式地では梅ヶ瀬層の上限は国本層基底の凝灰岩鍵層Ku6の少し下にある．鍵層Ku6は富津地域にも認められるので，上限については模式地と同様に定めることができる．下限については，大田代層の項で述べたように，目立った凝灰岩鍵層がない．富津地域東部の船塚から高溝北にかけては，模式地と同様に梅ヶ瀬層の砂勝ち砂泥互層と大田代層の泥勝ち砂泥互層の境界を下限として定めることができるが，寺尾背斜北翼においては梅ヶ瀬層が泥勝ち砂泥互層又は泥岩層に変わり，大田代層の泥岩を主とする岩相と区別がむずかしくなる．そのため既述のように寺尾背斜北翼では，他の地域の両層境界位置から推定し，鍵層O1の約10m下を下限とした．なお，下位の大田代層，上位の国本層とは整合である．"},{"type":"paragraph","text":"富津地域では，梅ヶ瀬層中の凝灰岩鍵層として，U1～U10及びO1が認められる．しかし，鹿野山の南麓（マザー牧場の南）では，梅ヶ瀬層上部の鍵層U1～U6の層準が国本層上位の市宿層基底部において浸食され失われている．浸食は東から西へ向かって順次下位の地層に及び，上部の鍵層から順になくなっている．"},{"type":"paragraph","text":"さらに西の海岸付近に至ると，市宿層は層厚を著しく減じるとともに上位の笠森層長浜砂礫部層によって大部分が浸食されなくなってしまう．このため，梅ヶ瀬層の一部が長浜砂礫部層によって直接不整合に覆われる．一方，東部では市宿層基底の浸食量は減少して国本層が現れ，国本層と市宿層が整合的に重なるようになる．"},{"type":"section-title","text":"岩相"},{"type":"paragraph","text":"富津地域の梅ヶ瀬層は岩相変化に富んでいる．芹向斜南翼（東日笠層の南側）及び寺尾背斜北翼（東日笠層の北側）の東部（平田，本郷）では梅ヶ瀬層は砂泥互層からなり，砂勝ち互層と泥勝ち互層が交互に繰り返している．寺尾背斜北翼の平田・本郷の西方，諸崩に至ると梅ヶ瀬層は泥岩を主とする岩相に変わる．さらに西に向かうと，泥岩は梅ヶ瀬層上部から次第に粗粒になり，粗粒泥岩，砂質泥岩，泥質砂岩，細粒砂岩等に変わる．また，北側の磯根崎背斜軸部の梅ヶ瀬層は砂質泥岩・泥質砂岩からなる．"},{"type":"paragraph","text":"東日笠層の南側の砂泥互層は，船塚から高溝北の間に認められる（第4.15図）．この砂泥互層を含む層準は，梅ヶ瀬層の基底から鍵層U7の間である．砂泥互層は，砂勝ち互層と泥勝ち互層のそれぞれ3回の繰り返しからなる．地質図上では，下部の2つの砂勝ち互層はひとつにまとめて表現されている．U7の上位，すなわち北側は東日笠層（東日笠海底谷）によって浸食されている．"},{"type":"paragraph","text":"東日笠層北側の平田・本郷付近の梅ヶ瀬層は，最上部からU6層準までが分布していて，U6層準の下位で（南側），東日笠層（東日笠海底谷）に接する．この間にも砂勝ち互層と泥勝ち互層が3回ずつ繰り返される．しかし，平田・本郷付近の砂勝ち互層は，その約1.5km西方で泥勝ち互層～泥岩層へと急激に変化する．"},{"type":"block-title","text":"梅ヶ瀬層の層厚・岩相変化"},{"type":"paragraph","text":"Ums1：砂勝ち互層1，Ums2：砂勝ち互層2，Ums3：砂勝ち互層3．"},{"type":"section-title","text":"砂岩"},{"type":"paragraph","text":"梅ヶ瀬層の砂勝ち互層を構成するタービダイト砂岩は，厚さ10～300cmの中粒～粗粒砂岩である．泥岩偽礫がしばしば含まれ，タービダイト砂岩中にはチャネル構造がよく見られる．"},{"type":"paragraph","text":"東日笠層（東日笠海底谷）の北と南にある梅ヶ瀬層の砂勝ち互層の中で1mを越えるような厚いタービダイト砂岩の分布は，芹付近を要として，東に向かって開いた扇形の内側に限られる．この扇形の中心を通って西から東に向かって東日笠層（東日笠海底谷）が分布する．富津地域東端を南北に流れる小糸川の河床の露頭では（隣接の大多喜地域の範囲ではあるが），梅ヶ瀬層と東日笠層の断面を観察できる．東日笠層には，主に厚さ5～10mの礫質タービダイト砂岩が発達し，砂岩の基底にはチャネル構造が数多く見られる．東日笠層の厚い礫質砂岩が，梅ヶ瀬層の砂勝ち互層を多数の浅いチャネルによって削り込みながら重なっている．東日笠層の項で述べたような谷地形や泥岩からなる谷の側壁のようなものは存在しない．これらの特徴から，芹東方の平田，本郷，船塚付近に分布する梅ヶ瀬層のタービダイト砂岩は，海底扇状地上部のfan valleyが発達するような環境に堆積したと推定される．"},{"type":"section-title","text":"泥岩・砂質泥岩・泥質砂岩"},{"type":"paragraph","text":"東日笠層南側の船塚―高溝北に分布する砂泥互層を構成する泥岩は，中粒～粗粒泥岩である．東日笠層北側の平田・本郷付近の砂泥互層の泥岩は主として粗粒泥岩からなる．西方の諸崩付近では，全体が泥岩層を主とする岩相に変わるとともに鍵層U6より上の泥岩は砂質泥岩に，U1付近から上は泥質砂岩や細粒砂岩に変わる（第4.15図）．さらに西方では，上部の粗粒相は次第に下部に拡がり，西海岸の岩坂，上総湊付近ではU8層準まで泥質砂岩や細粒砂岩になる．"},{"type":"paragraph","text":"北側の磯根崎背斜軸部に分布する梅ヶ瀬層は，鍵層Ku6以下の梅ヶ瀬層最上部で，泥質砂岩と細粒砂岩からなる．"},{"type":"section-title","text":"スランプ堆積層"},{"type":"paragraph","text":"梅ヶ瀬層のスランプ堆積層には，厚さ1～9mの含礫泥岩・流状シルト岩（タイプII）と地層の褶曲したもの（タイプI）がある．あまり厚いものはなく，数も少ない．船塚の梅ヶ瀬層最下部の砂勝ち互層の基底（梅ヶ瀬層の基底）に1層，U8-2の下位とO1の上にそれぞれ1層認められる．また，苗割から田倉にかけて分布する含礫泥岩は，鍵層U9の下にあり，東日笠層の項で述べたように東日笠層中部の含礫泥岩層に連続するものである．"},{"type":"section-title","text":"凝灰岩"},{"type":"paragraph","text":"梅ヶ瀬層に含まれる凝灰岩層は大田代層と同様に多くはない．灰白色～灰色細粒凝灰岩が最も多く見られ，ゴマシオ凝灰岩とハイゴマ凝灰岩がそれに次ぐ．スコリア凝灰岩は薄層が主で，U5が厚さ3cm，U7-3が7cm，U8-1が9cmの粗粒スコリア凝灰岩からなり，これらが目立ったものである．"},{"type":"paragraph","text":"梅ヶ瀬層の代表的凝灰岩鍵層U9を第4.16図に示す．この凝灰岩層は，上部が厚さ14～45cmの灰白色細粒凝灰岩＋中粒ゴマシオ凝灰岩，下部が3cmの細粒～粗粒スコリア凝灰岩からなる．上部の凝灰岩は，苗割で最も厚く，細粒凝灰岩とその下のゴマシオ凝灰岩の間には厚さ16cmの細粒砂岩を挟んでいる．"},{"type":"paragraph","text":"第4.17図には鍵層U6を示す．この凝灰岩層も上下2層の特徴的な凝灰岩よりなる．"},{"type":"paragraph","text":"上部の凝灰岩は，厚さ46～58cmで一定の厚さを示す．おおまかに2層構造で，上はベージュ色～ピンク色の細粒凝灰岩，下は細粒～中粒のゴマシオ凝灰岩からなる．細粒凝灰岩は極細粒ゴマシオ凝灰岩と互層しており，下位のゴマシオ凝灰岩も薄い細粒凝灰岩を挟んでいる．この凝灰岩層全体としては複数のユニットの重なりで，上ほど細粒の部分が多くなっている．"},{"type":"paragraph","text":"一方，U6下部の凝灰岩は，厚さ7～11cmで多層構造をもつ．下からスコリアシルト，細粒～中粒ゴマシオ凝灰岩，極粗粒のパミス凝灰岩の順に重なる．下部及び上部の凝灰岩は降下火山灰起源である．非常に特徴的なので，この凝灰岩だけでU6と認めることが出来る．鍵層U6は，平田―本郷の間では，2つの砂勝ち互層の間に挟まれた泥勝ち互層中にあるが，上下の砂勝ち互層の影響を受けて，U6の周囲に存在するタービダイト砂岩も厚くなっている．"},{"type":"block-title","text":"梅ヶ瀬層の凝灰岩鍵層U9（風）の柱状図"},{"type":"paragraph","text":"U9は1層の淡灰色細粒凝灰岩と1層の細粒スコリア凝灰岩からなる．カッコ内は鍵層のニックネーム，凡例は第3.3図に示す．"},{"type":"block-title","text":"梅ヶ瀬層の凝灰岩鍵層U6の柱状図"},{"type":"paragraph","text":"U6は1層のベージュ色〜ピンク色細粒凝灰岩＋細粒〜中粒ゴマシオ凝灰岩と、1層の細粒〜中粒ゴマシオ凝灰岩からなる．凡例は第3.3図に示す．"},{"type":"section-title","text":"層厚"},{"type":"paragraph","text":"芹向斜南翼の船塚では，基底から東日笠層の南側境界まで（U7の上まで）214m．高溝北では，基底から東日笠層の南側境界まで（U9の少し上まで）123m．寺尾背斜北翼の平田付近では，東日笠層の北側境界から（U6の下から）国本層との境界まで246m．諸崩では，東日笠層の北側境界から（U9の下から）国本層との境界まで191mある（第4.5表）．"},{"type":"block-title","text":"梅ヶ瀬層の主要鍵層間累積層厚（単位：m）"},{"type":"paragraph","text":"Ums1：砂勝ち互層1，Ums2：砂勝ち互層2，Ums3：砂勝ち互層3．距離は諸崩を起点として計測．"},{"type":"section-title","text":"化石"},{"type":"paragraph","text":"Otuka（1949）は，JR上総湊駅北東の国道沿いの露頭より，貝化石及び有孔虫化石を報告している．東隣の大多喜地域では，坂倉（1935a）が本層から多数の貝化石を報告している．それによると，梅ヶ瀬層下部（U8の下位）には暖流系の群集（辻森化石帯）が産し，中部（U6の下位）には寒流系の群集（細野化石帯）の産することが報告されている．"},{"type":"section-title","text":"対比"},{"type":"paragraph","text":"Otuka（1949）及び小池（1949）の岩坂細砂層上部は本層に含まれる．坂倉（1935a）の坂畑層上部～蓮見砂層は，ほぼ本層に相当する．"},{"type":"section-title","text":"国本層（Ku, Kuc）"},{"type":"section-title","text":"命名"},{"type":"paragraph","text":"植田（1930）．"},{"type":"section-title","text":"模式地"},{"type":"paragraph","text":"市原市国本．"},{"type":"section-title","text":"分布"},{"type":"paragraph","text":"鹿野山の南麓に沿って，西粟倉から九十九谷を経て諸崩の北まで分布する．また，富津市佐貫の北，磯根崎背斜の軸部にも本層が分布する．"},{"type":"section-title","text":"層序"},{"type":"paragraph","text":"三土（1937）は，7.5万分の1地質図幅「茂原」に本層の分布を示した．三梨ほか（1959）は，市原市国本を模式地として本層の範囲を定義し，凝灰岩鍵層を記載している．ここでは三梨ほか（1959）の定義に従う．"},{"type":"paragraph","text":"模式地では，本層は砂質泥岩とタービダイト砂岩を含む砂勝ち砂泥互層からなる．富津地域に入ると砂泥互層を構成するタービダイト砂岩が尖滅し，泥岩，砂質泥岩及び泥質砂岩を主とする岩相となる．凝灰岩鍵層は，模式地では国本層上限付近の鍵層Ku0.1から下限付近の鍵層Ku6まで存在する．富津地域では，鍵層Ku3～Ku6までが認められる．国本層の下限は，凝灰岩鍵層Ku6によって識別できる．上限については，以下に述べるように国本層は岩相の異なる市宿層や笠森層長浜砂礫部層と接し，その境界が明瞭である．"},{"type":"paragraph","text":"下位の梅ヶ瀬層とは整合である．上位の市宿層とは東部の西粟倉付近では整合であるが，鹿野山南麓に沿う西粟倉から諸崩北の間において，国本層の鍵層Ku3～Ku6の層準が市宿層の基底で浸食されている．浸食は東から西に向かって，より下位の層準に及び，最終的には国本層全体が浸食されてしまう．佐貫北の磯根崎背斜軸部では，国本層は上位の笠森層長浜砂礫部層によって不整合に覆われる．"},{"type":"section-title","text":"岩相"},{"type":"paragraph","text":"泥岩，砂質泥岩及び泥質砂岩よりなる．東部の西粟倉付近では下部（Ku6～Ku3）は主として泥岩と砂質泥岩からなりタービダイト砂岩を稀に含む．上部（Ku3より上）は砂質泥岩と泥質砂岩からなる．下部の泥岩は西に向かって粗くなり，諸崩の北東では，砂質泥岩と泥質砂岩に変わる（第4.18図）．磯根崎背斜周辺では砂質泥岩からなり，Ku6を挟在する．"},{"type":"paragraph","text":"第4.19図に磯根崎背斜付近における鍵層Ku6の柱状図を示す．この鍵層中のKu6Cは九州の猪牟田カルデラを給源とする広域火山灰（猪牟田アズキテフラ；町田・新井，2003）に対比できるものとしてよく知られている．磯根崎背斜のKu6Cの鉱物組成及びガラス・鉱物の屈折率などを求めたところ，他地域での分析値とよく一致する結果が得られ（付表第1表），対比の正しさが確認された．この鍵層は三梨ほか（1979）や鈴木ほか（1995）によってU6とされ，町田ほか（1980）ではKu6とされていたものである．"},{"type":"block-title","text":"国本層の層厚・岩相変化"},{"type":"block-title","text":"国本層の凝灰岩鍵層Ku6の柱状図"},{"type":"paragraph","text":"磯根崎背斜付近．凡例は第3.3図に示す．"},{"type":"section-title","text":"層厚"},{"type":"paragraph","text":"西粟倉では市宿層との境界（Ku3の少し上）から基底のKu6まで129m．諸崩の北では，市宿層との境界（Ku5の上）からKu6まで48mある（第4.6表）．"},{"type":"block-title","text":"国本層の主要鍵層間累積層厚（単位：m）"},{"type":"paragraph","text":"距離は諸崩北を起点として計測．"},{"type":"section-title","text":"化石"},{"type":"paragraph","text":"磯根崎背斜付近の本層から陸棚の貝化石の産出が報告されている（馬場，1990）．"},{"type":"section-title","text":"対比"},{"type":"paragraph","text":"鹿野山の南に分布する岩坂層及び粟倉層（三梨ほか，1962）の上部は本層に含まれる．磯根崎背斜軸部に分布する三梨ほか（1962）の岩坂層は，上記のようにKu6の存在によって国本層と梅ヶ瀬層上部であることが分かる．"},{"type":"section-title","text":"市宿層（Ij）"},{"type":"section-title","text":"命名"},{"type":"paragraph","text":"大塚・望月（1932）．"},{"type":"section-title","text":"模式地"},{"type":"paragraph","text":"命名時の指定はないので，本報告では君津市市宿付近とする．"},{"type":"section-title","text":"分布"},{"type":"paragraph","text":"鹿野山，鬼泪山の丘陵を中心とし，南北3km，東西12kmに渡ってENE-WSW方向に分布する．西海岸の長浜付近に至り層厚を急に減じる．"},{"type":"section-title","text":"層序"},{"type":"paragraph","text":"市宿層の下限は西に向かってより下位の地層と接している．富津地域東部では国本層に整合的に重なるが，西部の岩坂周辺では国本層を欠き，その下の梅ヶ瀬層を不整合的に覆う．"},{"type":"paragraph","text":"上限については，富津地域東部では本層と上位の長南層の境界に小規模な浸食面が認められるものの全体として岩相は漸移的で両者の関係は整合である．中部から西部においては長南層を欠き，その上位の笠森層長浜砂礫部層によって不整合に覆われる．長浜砂礫部層基底にはチャネルを伴う浸食が見られる．"},{"type":"paragraph","text":"市宿層と下位層との関係を「東京湾不整合」として重視し，市宿層基底を下総層群の基底とする考え（楡井，1981）や逆にその関係は単なる海流や潮流による海底侵食の結果とする考え（峯崎・立石，1992）などがある．市宿層と国本層は，富津地域東部から大多喜地域にかけて広く整合であるので，ここでは市宿層の基底を層群の境界とはしない．"},{"type":"section-title","text":"岩相"},{"type":"paragraph","text":"スコリア・軽石粒などに富み，大規模な斜交層理の発達する細粒から粗粒の砂層及び細礫層からなる．稀に泥岩層（20cm以下）を挟在する．単位層の厚さが3mに及ぶトラフ状斜交層理あるいは5mに及ぶ平板状斜交層理が見られる．"},{"type":"paragraph","text":"上述のように富津地域西部では本層は下位層と侵食面をもって接するが，中部から東部にかけての地域では顕著な浸食面は見られない．境界付近の岩相は国本層の生物擾乱を受けた泥質砂岩から，平行葉理の見られる細粒砂層を経て，市宿層の斜層理をもつ砂層へと漸移的に変化する．西部における侵食面の形成は，現在の海底の海釜地形と類似の成因によると考えられ（峯崎・立石，1992），市宿層基底の地層の欠如は海底浸食によるものである．中山・増田（1987）は市宿層の大規模な斜交層理が発達する砂層は，黒潮により陸棚状にっくられた海流サンドウェーブの堆積物であるとし，峯崎・立石（1992）はそれに加えて潮流の影響も指摘している．"},{"type":"paragraph","text":"地質図には示していないが，磯根崎背斜周辺に分布する国本層と長浜砂礫部層の境界部には，単位層の厚さが数10cmの斜交層理が発達する中粒砂岩が数m挟在する場合があり，市宿層に相当すると考えられる．"},{"type":"section-title","text":"層厚"},{"type":"paragraph","text":"鹿野山周辺でもっとも厚く250m以上，鬼泪山付近で230m以上である．岩坂西方では本層の層厚が急減するとともに上位の笠森層長浜砂礫部層により本層の大部分が削剥されている．"},{"type":"section-title","text":"化石"},{"type":"paragraph","text":"中山・増田（1987）は本層から暖流系種をわずかに含む寒流系種を主体とした貝化石群集を報告し，殻の保存の良い貝化石から推定される本層の堆積した水深は50-250mであると考え，さらにサンドウェーブの堆積環境を考慮して古水深は50-130mであるとした．"},{"type":"section-title","text":"対比"},{"type":"paragraph","text":"富津地域東部において長南層と国本層の間に位置する本層は，東方に向かって大多喜地域の長南・国本両層間にある柿の木台層に移化する．"},{"type":"section-title","text":"長南層（Ch）"},{"type":"section-title","text":"命名"},{"type":"paragraph","text":"三土（1933）．"},{"type":"section-title","text":"模式地"},{"type":"paragraph","text":"長生郡長南町長南．"},{"type":"section-title","text":"分布"},{"type":"paragraph","text":"鹿野山の北麓，馬登より福岡まで分布し，さらに東へ小糸川を越えて大井戸から東隣の大多喜地域に分布が続く．"},{"type":"section-title","text":"層序"},{"type":"paragraph","text":"前記のように下位の市宿層との境界には小規模な浸食が見られるが，全体としては整合に重なる．上部は笠森層長浜砂礫部層によって不整合に覆われる．この不整合により本層は中部から西部にかけて全て浸食されるので，分布は東部のみである．"},{"type":"section-title","text":"岩相"},{"type":"paragraph","text":"本層下部は平行葉理ないし単位層の厚さ数10cmの小規模な斜交葉理の発達する細粒砂層からなり，砂質泥岩層を挟在する．下位の市宿層の大規模な斜交層理の発達する砂層との間には小規模な浸食面が認められる．細粒砂層の上位には，平行葉理の発達する細粒砂層を挟在し生物擾乱の発達した泥質砂岩が重なる．駒久保付近ではさらに上位に，砂鉄質の平行葉理を伴う細粒ないし中粒砂岩，その上に炭質物を多く含む砂質泥岩ないし泥岩が重なり，この中に凝灰岩鍵層Ch1が挟在する（第4.20図）．このCh1の鉱物組成及びガラス・鉱物の屈折率を付表第1表に示す．この泥岩は笠森層長浜砂礫部層の斜交層理をもつ砂礫層に覆われる．馬登付近から西では，長南層は長浜砂礫部層によって浸食されてなくなり，長浜砂礫部層が直接市宿層に重なる．"},{"type":"paragraph","text":"富津地域の長南層は，その岩相から陸棚泥帯から砂帯にかけての堆積物である．模式地付近の長南層はタービダイト砂岩を主体とする砂泥互層で，より深海の堆積環境を示す．長南層の堆積環境は東から西に向かって浅くなっている．"},{"type":"block-title","text":"長南層上部の凝灰岩鍵層Ch1の柱状図"},{"type":"paragraph","text":"君津市駒久保付近．凡例は第3.3図に示す．"},{"type":"section-title","text":"化石"},{"type":"paragraph","text":"馬場・青木（1980）は，大多喜・姉崎地域で寒流系の軟体動物化石群集を報告している．"},{"type":"section-title","text":"対比"},{"type":"paragraph","text":"本地域の長南層上部にはCh1が認められ，模式地付近の長南層上部に対比される．"},{"type":"section-title","text":"笠森層（Ks, Ksn, Ksk, Kss）"},{"type":"section-title","text":"命名"},{"type":"paragraph","text":"三土（1933）．"},{"type":"section-title","text":"模式地"},{"type":"paragraph","text":"長生郡長南町笠森付近．"},{"type":"section-title","text":"分布"},{"type":"paragraph","text":"富津地域の中・北部に比較的広く分布する．小糸川の北側では，下総台地の南の縁に沿って練木から長石まで分布する．小糸川の南側では，鹿野山の北麓から小糸川のすぐ南の丘陵まで分布する．富津地域の西側では，本層の分布は佐貫向斜と磯根崎背斜によって繰り返され広い範囲に及んでいる．"},{"type":"section-title","text":"層序"},{"type":"paragraph","text":"富津地域では，本層は上総層群の最上部層である．下位層との関係は，本地域中部から西部では，笠森層下部の長浜砂礫部層が顕著なチャネル構造を伴う不整合をもって下位の市宿層，国本層及び梅ヶ瀬層を覆い，東部では長南層を不整合に覆っている．上位については，小糸川の南側では，下総層群地蔵堂層によって，北へ向かって開く谷状の不整合をもって覆われる．この不整合は一種の傾斜不整合で，北側では不整合面は笠森層上部の周南砂岩部層の上にあるが，南側では中部の佐貫泥岩部層まで浸食が及ぶ（地質図及び地質断面D-E参照）．"},{"type":"paragraph","text":"小糸川の北側では笠森層と地蔵堂層の間に顕著な構造差は認められないが，南側と同様に両者の関係は不整合である．本地域東隣の姉崎・大多喜地域においては，笠森層と地蔵堂層の間に，上総層群の最上位を占めて金剛地層が存在するが，本地域では金剛地層は欠如している．"},{"type":"paragraph","text":"金剛地層は大多喜地域の西部まで分布するが，富津地域との境界付近に至って厚さを減じ尖滅する．富津地域東端の小糸大谷付近には笠森層最上部に10m程度の比較的淘汰の良い砂層があり，金剛地層の一部が再び現れている可能性があるが，小糸大谷から西では金剛地層は全く欠如していて，笠森層主部の泥質岩の上に下総層群地蔵堂層が直接不整合に重なっている．"},{"type":"section-title","text":"岩相"},{"type":"paragraph","text":"本地域の笠森層は，主部，長浜砂礫部層，佐貫泥岩部層，周南砂岩部層の4つに区分される．小糸川南側の笠森層については，砂礫層，泥岩層及び砂岩層の3つの特徴ある地層に分けられるので，従来の研究も踏まえてそれぞれ長浜砂礫部層，佐貫泥岩部層，周南砂岩部層の3部層に区分した．小糸川北側については主部と長浜砂礫部層の2つに区分した．"},{"type":"section-title","text":"主部（Ks）"},{"type":"paragraph","text":"小糸川の北側に分布し，東の大多喜地域の笠森層へそのまま連続する．岩相は，生物擾乱を受けた砂質泥岩ないし泥質細粒砂岩を主体とする．富津地域東縁から小糸大谷付近では長浜砂礫部層を除く笠森層主部の層厚は70m程度で，大多喜地域西部より更に薄くなっている．この地域では，主部は細粒砂層と泥質な極細粒砂層の数cmから数10cm単位の互層からなっており，最上部には数cm単位の細粒砂層と泥層の頻互層が発達する．細粒砂層にはリップル状斜交層理がしばしば見られる．さらに西の大鷲付近及びその西側に分布する主部は笠森層の最上部に当たり，岩相は東縁部より細粒で，塊状の砂質泥岩ないし泥岩からなっている．"},{"type":"section-title","text":"長浜砂礫部層（Ksn）"},{"type":"section-title","text":"命名"},{"type":"paragraph","text":"金原ほか（1949）による．"},{"type":"section-title","text":"模式地"},{"type":"paragraph","text":"富津市長浜付近．"},{"type":"section-title","text":"岩相"},{"type":"paragraph","text":"富津地域の笠森層の最下部にあたり，細礫・中礫層を主体とし，中粒から粗粒の砂岩を挟む．基底に顕著なチャネル構造を伴う．西部地域では，数10cmから数mに及ぶ巨大な泥岩ブロックを含む．模式地の長浜付近から宝竜寺にかけての地域では，本部層は基底に顕著なチャネル構造を伴って下位層を削剥し，下位層とは不整合関係にある．とくに，長浜付近では長南層，市宿層及び国本層を欠いて本部層が直接梅ヶ瀬層を不整合に覆っているところもある．富津市清水東方の砂取り場でも市宿層を削って発達するチャネルが観察され，幅数mから10数mのチャネルが複合して不整合面を形成している．"},{"type":"paragraph","text":"中部の馬登以東ではこのようなチャネルははっきりと認められず，長浜砂礫部層の厚さも薄くなる．磯根崎背斜周辺でも基底部にはチャネルは発達しない．しかし，本部層は長南層と市宿層を欠いて国本層に接する．本部層は東方へ向かって徐々に上位の地層に接し，富津地域東縁で長南層に重なる．"},{"type":"paragraph","text":"本部層は大多喜地域の万田野砂礫層の上半分に連続する．"},{"type":"section-title","text":"佐貫泥岩部層（Ksk）"},{"type":"section-title","text":"命名"},{"type":"paragraph","text":"植田（1930）による．藤原・生越（1952）が再定義．"},{"type":"section-title","text":"模式地"},{"type":"paragraph","text":"富津市佐貫付近．"},{"type":"section-title","text":"岩相"},{"type":"paragraph","text":"模式地付近から西側では，厚さ数cmの砂岩薄層を挟在する泥岩で，長浜砂礫部層との境界付近にスランプ堆積層が発達する．磯根崎背斜北側でも下部は同様の岩相であるが，上位へ向かって粗粒となり，周南砂岩部層に近い部分は砂質泥岩ないし泥質細粒砂岩を主体とする．本地域中部の山高原より東では部層全体が粗粒化し砂質泥岩ないし泥質細粒砂岩を主体とする．"},{"type":"section-title","text":"周南砂岩部層（Kss）"},{"type":"section-title","text":"命名"},{"type":"paragraph","text":"金原ほか（1949）による．"},{"type":"section-title","text":"模式地"},{"type":"paragraph","text":"富津市周南．"},{"type":"section-title","text":"岩相"},{"type":"paragraph","text":"細粒砂岩ないし極細粒砂岩と砂質泥岩ないし泥質砂岩との10-30cm前後の厚さの互層を主とし，稀に50cmを越える級化層理を持っ細粒砂層を挟在する．これは，徳橋・遠藤（1984）が“ふきながし型”砂泥互層として記載した岩相に当たる．"},{"type":"paragraph","text":"細粒砂岩層にはしばしばリップル状斜交層理が発達する．生痕が発達することが多く，砂層と泥質な部分との境界は不明瞭である．富津市障子谷付近の本部層上部には，徳橋・遠藤（1984）が“ちりちり型”互層として記載した厚さ数mmから数cmの砂層と泥層の薄互層（flaser bedding）が挟在する．"},{"type":"section-title","text":"凝灰岩鍵層"},{"type":"paragraph","text":"長浜砂礫部層中にはKs15が認められている（町田ほか，1980）．佐貫泥岩部層中にはKs11.5A・B，Ks11，Ks10が認められており（町田ほか，1980），今回の調査でもKs11.5A・Bが君津市山高原以東で確認・追跡でき，富津市大堰付近でKs11とKs10が認められた（第4.21図）．このKs11とKs10の鉱物組成及びガラス・鉱物の屈折率を付表第1表に示す．"},{"type":"paragraph","text":"また，練木付近の笠森層主部最上部，相野谷付近の周南砂岩部層上部にはKs5が挟在する（三梨ほか，1979；町田ほか，1980；鈴木ほか，1995）．"},{"type":"block-title","text":"笠森層佐貫泥岩部層の凝灰岩鍵層Ks10，Ks11，Ks11.5A・Bの柱状図"},{"type":"paragraph","text":"1：富津市大堰付近，2：君津市山高原．凡例は第3.3図に示す．"},{"type":"section-title","text":"層厚"},{"type":"paragraph","text":"笠森層全体として約200m前後あるが，本地域東縁部では100m前後に薄くなる．"},{"type":"section-title","text":"化石"},{"type":"paragraph","text":"本地域の笠森層の貝化石については，藤原・生越（1952）による報告がある．とくに，長浜砂礫部層からは多くの貝化石の報告がある（藤原ほか，1952：生越，1964）．本調査地域の長浜砂礫部層下部には，上部浅海性の寒冷系種を主とする群集が含まれ，長浜砂礫部層上部からは下部浅海性の暖流系群集が報告されている（馬場・青木，1980；馬場，1990）．"},{"type":"paragraph","text":"長浜砂礫部層及び佐貫泥岩部層からParelephas trogontherii，周南砂岩部層からStegodon sinensisなどの哺乳類化石が産出する（高井，1938）．"},{"type":"section-title","text":"対比"},{"type":"paragraph","text":"槇山（1930b）及び藤原ほか（1952）の笹毛層は，長浜砂礫部層と佐貫泥岩部層下部に相当する．長浜砂礫部層中にはKs15が認められ（町田ほか，1980），姉崎地域の万田野砂礫層はKs12-22前後の層準に相当するとされるので（徳橋・遠藤，1984），長浜砂礫部層は，姉崎地域の万田野砂礫層上部に対比され，前述した岩相の連続の仕方と矛盾しない．"},{"type":"paragraph","text":"佐貫泥岩部層と周南砂岩部層中には，凝灰岩鍵層Ks11.5A・B，Ks11，Ks10，Ks5などが挟在されることから，両部層は模式地付近の笠森層上部に相当する．"}],"images":[{"id":"F4.1","src":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0049-0001.png","label":"第4.1図","title":"斜層理の発達する黒滝層の砂岩","caption":"富津市岩本．"},{"id":"T4.1","src":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0050-0001.png","label":"第4.1表","title":"黒滝層の層厚（単位：m）","caption":"距離は萩生を起点として計測．"},{"id":"F4.2","src":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0050-0002.png","label":"第4.2図","title":"黒滝層の層厚変化","caption":null},{"id":"F4.3","src":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0051-0001.png","label":"第4.3図","title":"十宮層の層厚・岩相変化","caption":null},{"id":"F4.4","src":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0052-0001.png","label":"第4.4図","title":"十宮層の凝灰岩鍵層To3（ホトトギス）の柱状図","caption":"To3は3～5層の凝灰岩の組み合わせである．カッコ内は鍵層のニックネーム．凡例は第3.3図に示す．"},{"id":"F4.5","src":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0054-0001.png","label":"第4.5図","title":"十宮層の凝灰岩鍵層To12（お嬢さん）の柱状図","caption":"カッコ内は鍵層のニックネーム．凡例は第3.3図に示す．"},{"id":"T4.2","src":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0053-0001.png","label":"第4.2表","title":"十宮層の主要鍵層間累積層厚","caption":"距離は萩生を起点として計測．"},{"id":"F4.6","src":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0055-0001.png","label":"第4.6図","title":"黄和田層の層厚・岩相変化","caption":null},{"id":"F4.7","src":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0056-0001.png","label":"第4.7図","title":"黄和田層Tmzスランプ層の概念図","caption":null},{"id":"F4.8","src":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0057-0001.png","label":"第4.8図","title":"黄和田層の凝灰岩鍵層Kd38（一姫二太郎）の柱状図","caption":"カッコ内は鍵層のニックネーム．凡例は第3.3図に示す．"},{"id":"F4.9","src":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0058-0001.png","label":"第4.9図","title":"黄和田層の凝灰岩鍵層Kd23（おいろけ）の柱状図","caption":"Kd23の上下は凝灰岩層が非常に多いので番号では鍵層を憶えきれない．カッコ内は鍵層のニックネーム．凡例は第3.3図に示す．"},{"id":"T4.3","src":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0059-0001.png","label":"第4.3表","title":"黄和田層の主要鍵層間累積層厚","caption":"距離は萩生を起点として計測．"},{"id":"F4.10","src":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0060-0001.png","label":"第4.10図","title":"大田代層の層厚・岩相変化","caption":null},{"id":"F4.11","src":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0062-0001.png","label":"第4.11図","title":"大田代層の凝灰岩鍵層O26（トリガー）の柱状図","caption":"O26は上部がスコリアシルト，下部が淡灰色細粒凝灰岩からなる．カッコ内は鍵層のニックネーム．凡例は第3.3図に示す．"},{"id":"F4.12","src":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0063-0001.png","label":"第4.12図","title":"大田代層の凝灰岩鍵層O18（梅雨）の柱状図","caption":"O18は1層のスコリアシルトと2層のゴマシオ凝灰岩からなる．カッコ内は鍵層のニックネーム．凡例は第3.3図に示す．"},{"id":"T4.4","src":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0061-0001.png","label":"第4.4表","title":"大田代層の主要鍵層間累積層厚（単位：m）","caption":"距離は東大和田北を起点として計測．"},{"id":"F4.13","src":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0065-0001.png","label":"第4.13図","title":"東日笠層のスケッチ（1と2）とルートマップ（3）","caption":"高溝砂取場（第8.1図に位置を示す）．A-B断面のスケッチ後に，C-D断面まで採掘が進み，再びスケッチする．"},{"id":"F4.14","src":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0066-0001.png","label":"第4.14図","title":"東日笠層と梅ヶ瀬層の関係を示す苗割付近のルートマップ","caption":null},{"id":"F4.15","src":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0068-0001.png","label":"第4.15図","title":"梅ヶ瀬層の層厚・岩相変化","caption":"Ums1：砂勝ち互層1，Ums2：砂勝ち互層2，Ums3：砂勝ち互層3．"},{"id":"F4.16","src":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0070-0001.png","label":"第4.16図","title":"梅ヶ瀬層の凝灰岩鍵層U9（風）の柱状図","caption":"U9は1層の淡灰色細粒凝灰岩と1層の細粒スコリア凝灰岩からなる．カッコ内は鍵層のニックネーム，凡例は第3.3図に示す．"},{"id":"F4.17","src":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0071-0001.png","label":"第4.17図","title":"梅ヶ瀬層の凝灰岩鍵層U6の柱状図","caption":"U6は1層のベージュ色〜ピンク色細粒凝灰岩＋細粒〜中粒ゴマシオ凝灰岩と、1層の細粒〜中粒ゴマシオ凝灰岩からなる．凡例は第3.3図に示す．"},{"id":"T4.5","src":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0069-0001.png","label":"第4.5表","title":"梅ヶ瀬層の主要鍵層間累積層厚（単位：m）","caption":"Ums1：砂勝ち互層1，Ums2：砂勝ち互層2，Ums3：砂勝ち互層3．距離は諸崩を起点として計測．"},{"id":"F4.18","src":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0072-0001.png","label":"第4.18図","title":"国本層の層厚・岩相変化","caption":null},{"id":"F4.19","src":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0073-0001.png","label":"第4.19図","title":"国本層の凝灰岩鍵層Ku6の柱状図","caption":"磯根崎背斜付近．凡例は第3.3図に示す．"},{"id":"T4.6","src":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0073-0002.png","label":"第4.6表","title":"国本層の主要鍵層間累積層厚（単位：m）","caption":"距離は諸崩北を起点として計測．"},{"id":"F4.20","src":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0074-0001.png","label":"第4.20図","title":"長南層上部の凝灰岩鍵層Ch1の柱状図","caption":"君津市駒久保付近．凡例は第3.3図に示す．"},{"id":"F4.21","src":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0075-0001.png","label":"第4.21図","title":"笠森層佐貫泥岩部層の凝灰岩鍵層Ks10，Ks11，Ks11.5A・Bの柱状図","caption":"1：富津市大堰付近，2：君津市山高原．凡例は第3.3図に示す．"}],"tables":[],"anchors":[{"id":"m1014_f020","label":"上総層群","title":"上総層群"},{"id":"m1014_f034","label":"黒滝層","title":"上総層群 黒滝層"},{"id":"m1014_u036_Kt","label":"Kt","title":"砂岩及び礫岩"},{"id":"m1014_f033","label":"十宮層","title":"上総層群 十宮層"},{"id":"m1014_u035_To","label":"To","title":"砂質泥岩・泥質砂岩及び凝灰岩"},{"id":"m1014_f032","label":"黄和田層","title":"上総層群 黄和田層"},{"id":"m1014_u033_Kdl","label":"Kdl","title":"乱堆積層"},{"id":"m1014_u034_Kd","label":"Kd","title":"泥岩・砂質泥岩及び泥質砂岩（凝灰岩を挟む）"},{"id":"m1014_f031","label":"大田代層","title":"上総層群 大田代層"},{"id":"m1014_u032_Ot","label":"Ot","title":"泥勝ち砂岩泥岩互層及び砂質泥岩（凝灰岩及び乱堆積層を挟む）"},{"id":"m1014_f030","label":"東日笠層","title":"上総層群 東日笠層"},{"id":"m1014_u030_Hg","label":"Hg","title":"砂岩及び礫岩"},{"id":"m1014_u031_Hgl","label":"Hgl","title":"乱堆積層"},{"id":"m1014_f029","label":"梅ヶ瀬層","title":"上総層群 梅ヶ瀬層"},{"id":"m1014_u027_Umc","label":"Umc","title":"砂質泥岩及び泥質砂岩（凝灰岩を挟む）"},{"id":"m1014_u028_Um","label":"Um","title":"泥勝ち砂岩泥岩互層及び砂質泥岩（凝灰岩及び乱堆積層を挟む）"},{"id":"m1014_u029_Ums","label":"Ums","title":"砂勝ち砂岩泥岩互層"},{"id":"m1014_f028","label":"国本層","title":"上総層群 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周南砂岩部層"},{"id":"m1014_u020_Kss","label":"Kss","title":"細粒砂及び泥質砂岩"}]},"provenance":{"xml_url":"https://gbank.gsj.jp/ld/zfk/xmldata/1014_BITS.xml","xpath_target":"//*[@id='sec-4']","generated_at":"2026-08-29T16:32:24+09:00","html_url":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/1014.html"},"legend":{"focus":{"type":"LegendFacies","id":"m1014_f020","@id":"https://gbank.gsj.jp/ld/resource/zfk/facies/m1014_f020","map_id":1014,"legend_group_ref":{"type":"LegendGroup","id":"m1014_g001","@id":"https://gbank.gsj.jp/ld/resource/zfk/groups/m1014_g001","label":"図幅凡例"},"label_ja":"上総層群","label_en":"Kazusa Group","text_ja":"上総層群","text_en":"Kazusa 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sandstone","category":"volcaniclastic","confidence":0.7,"evidence":{"block_index":35,"term":"凝灰質砂岩","snippet":"1949）．命名時は十宮凝灰質砂岩とされた．"}}],"minerals":[],"minerals_details":[],"structures":["タービダイト","級化層理","層理","葉理","成層"],"structures_details":[{"term":"タービダイト","confidence":0.7,"evidence":{"block_index":53,"snippet":"・中部のスコリア凝灰岩はタービダイト凝灰岩，下部の軽石凝灰岩"}},{"term":"級化層理","confidence":0.7,"evidence":{"block_index":100,"snippet":"及びハイゴマ凝灰岩は，正級化層理を示すタービダイト凝灰岩"}},{"term":"層理","confidence":0.7,"evidence":{"block_index":19,"snippet":"黒滝層の砂岩の特徴は，斜層理が良く発達することである"}},{"term":"葉理","confidence":0.7,"evidence":{"block_index":288,"snippet":"受けた泥質砂岩から，平行葉理の見られる細粒砂層を経て"}},{"term":"成層","confidence":0.7,"evidence":{"block_index":2,"snippet":"基底で，この間の一連の海成層をまとめたものである（第"}}],"thickness":{"min_m":1,"max_m":1,"approx":false,"raw":"大田代層のタービダイト砂岩は，隣接の大多喜地域において厚く発達する．富津地域では，厚さ1mを超えるタービダイト砂岩は稀で，大半が厚さ1～50cmである．ソールマークを使った古流向解析などから，富津地域のタービダイト砂岩はタービダイト堆積盆上流縁辺部に堆積したものと考えられている（Hirayama and Naka-jima，1977）．","source_block_index":138,"confidence":0.95,"evidence":{"text":"厚さ1m"}},"distribution":{"text":"本地域東部では，法ノ木背斜の北側，高宕山向斜の軸部に分布する．この分布は西へ，湊川下流の南部丘陵に沿って続き，十宮から竹岡海岸を経て萩生に達する．また，湊川下流北側の寺尾背斜の周囲にも分布する．","key_localities":["高宕山","湊川"],"confidence":0.8},"contacts":[{"type":"unconformable","type_jp":"不整合","with_unit_name":"地蔵堂層","with_unit_id":null,"text":"命名は，伊田ほか（1956）による．本層群は，下限は安房層群との間の黒滝不整合，上限は下総層群最下位の地蔵堂層の基底で，この間の一連の海成層をまとめたものである（第2.2図，第3.1表）．本層群の上限については種々の見解があるが，ここでは，地蔵堂層の基底を上限とする徳橋・遠藤（1984）の見解にしたがった．本地域に分布する上総層群の地層は下位から黒滝層，十宮層，黄和田層，大田代層，東日笠層，梅ヶ瀬層，国本層，市宿層，長南層，笠森層の10層である．上総層群が模式的に発達する養老川流域では上総層群の各層はそれぞれ整合関係にある．しかし，富津地域では市宿層，長南層及び笠森層の基底は削剥面をもって下位層を覆う．とくに市宿層と笠森層の基底においては，本地域西部で地質図に表現できる規模の下位層の削剥・欠如が認められ，明らかな不整合面となっている．この不整合面は東方へ整合面へと移化する．このように本地域の上総層群上部にいくつかの不整合面が現れるのは，本地域が堆積盆の縁辺にあって，氷河性海水準変動に伴う低海水準期の削剥が養老川流域より早い時期から顕著になったためと考えられる．","source_block_index":2,"confidence":0.8,"evidence":{"text":"地蔵堂層の基底で，この間の一連の海成層をまとめたものである（第2.2図，第3.1表）．本層群の上限については種々の見解があるが，ここでは，地蔵堂層の基底を上限とする徳橋・遠藤の見解にしたがった．本地域に分布する上総層群の地層は下位から黒滝層，十宮層，黄和田層，大田代層，東日笠層，梅ヶ瀬層，国本層，市宿層，長南層，笠森層の10層である．上総層群が模式的に発達する養老川流域では上総層群の各層はそれぞれ整合関係にある．しかし，富津地域では市宿層，長南層及び笠森層の基底は削剥面をもって下位層を覆う．とくに市宿層と笠森層の基底においては，本地域西部で地質図に表現できる規模の下位層の削剥・欠如が認められ，明らかな不整合面"}},{"type":"overlies","type_jp":"被覆","with_unit_name":"下位層","with_unit_id":null,"text":"命名は，伊田ほか（1956）による．本層群は，下限は安房層群との間の黒滝不整合，上限は下総層群最下位の地蔵堂層の基底で，この間の一連の海成層をまとめたものである（第2.2図，第3.1表）．本層群の上限については種々の見解があるが，ここでは，地蔵堂層の基底を上限とする徳橋・遠藤（1984）の見解にしたがった．本地域に分布する上総層群の地層は下位から黒滝層，十宮層，黄和田層，大田代層，東日笠層，梅ヶ瀬層，国本層，市宿層，長南層，笠森層の10層である．上総層群が模式的に発達する養老川流域では上総層群の各層はそれぞれ整合関係にある．しかし，富津地域では市宿層，長南層及び笠森層の基底は削剥面をもって下位層を覆う．とくに市宿層と笠森層の基底においては，本地域西部で地質図に表現できる規模の下位層の削剥・欠如が認められ，明らかな不整合面となっている．この不整合面は東方へ整合面へと移化する．このように本地域の上総層群上部にいくつかの不整合面が現れるのは，本地域が堆積盆の縁辺にあって，氷河性海水準変動に伴う低海水準期の削剥が養老川流域より早い時期から顕著になったためと考えられる．","source_block_index":2,"confidence":0.74,"evidence":{"text":"下位層を覆う"}},{"type":"gradational","type_jp":"漸移","with_unit_name":"安房層群安野層","with_unit_id":null,"text":"本層は，上総層群最下部層で基底礫岩をなす．下位の安房層群安野層には不整合に重なる（黒滝不整合）．上位の十宮層の泥質砂岩には漸移的に変わり整合である．","source_block_index":13,"confidence":0.85,"evidence":{"text":"安房層群安野層には不整合に重なる（黒滝不整合）．上位の十宮層の泥質砂岩には漸移"}},{"type":"unconformable","type_jp":"不整合","with_unit_name":"本層","with_unit_id":null,"text":"本層は，上総層群最下部層で基底礫岩をなす．下位の安房層群安野層には不整合に重なる（黒滝不整合）．上位の十宮層の泥質砂岩には漸移的に変わり整合である．","source_block_index":13,"confidence":0.8,"evidence":{"text":"本層は，上総層群最下部層で基底礫岩をなす．下位の安房層群安野層には不整合"}},{"type":"gradational","type_jp":"漸移","with_unit_name":"凝灰岩鍵層","with_unit_id":null,"text":"十宮層のいろいろな層準が，黒滝層の上にアバットしている様子が凝灰岩鍵層によって確かめられる．富津地域西海岸～中部の関付近までは，十宮層下部の鍵層To1付近が黒滝層上部に重なるが，関から東の法ノ木に向かって，To1からTo10までの鍵層が黒滝層の上に次々とアバットしている（第4.3図にはTo2～To4までの鍵層が示されている）．さらに東隣の大多喜地域に入り，小櫃川支流の笹川付近に至ると，黄和田層基底の鍵層Kd38付近の鍵層が黒滝層にアバットしている．このように，凝灰岩鍵層の追跡によって十宮層の各層準が西から東に向かって黒滝層の上にアバットする様子が確かめられる．凝灰岩鍵層は黒滝層の粗粒堆積物の中に入ると消えてしまうが，十宮層の岩相は凝灰岩鍵層に沿って次第に粗くなり，黒滝層の粗粒堆積物に漸移する．したがって，黒滝層の一部は十宮層の各層準と同時異相の関係にある．","source_block_index":14,"confidence":0.85,"evidence":{"text":"凝灰岩鍵層に沿って次第に粗くなり，黒滝層の粗粒堆積物に漸移する"}},{"type":"correlates","type_jp":"対比","with_unit_name":"黒滝層","with_unit_id":null,"text":"Otuka（1949）の竹岡凝灰質角礫岩，小池（1949）の竹岡凝灰角礫岩層及び駒場凝灰角礫岩層は黒滝層に対比される（第3.1表）．","source_block_index":32,"confidence":0.75,"evidence":{"text":"黒滝層に対比される"}},{"type":"gradational","type_jp":"漸移","with_unit_name":"大田代層","with_unit_id":null,"text":"本層は，十宮層の泥質砂岩・砂質泥岩に整合に重なる．上位は大田代層によって整合に覆われる．上下の境界付近では岩相の差がないか漸移的．","source_block_index":78,"confidence":0.85,"evidence":{"text":"大田代層によって整合に覆われる．上下の境界付近では岩相の差がないか漸移"}},{"type":"correlates","type_jp":"対比","with_unit_name":"本層","with_unit_id":null,"text":"小池（1949），三梨（1990）の高溝泥岩層又は高溝層の下部と十宮凝灰質砂岩層又は十宮層の上部は本層に相当する（第3.1表）．微化石・古地磁気層序によれば，本層中の凝灰岩鍵層Kd38の直上に鮮新・更新統境界がある（新妻，1976；Oda，1977；佐藤ほか，1988）．","source_block_index":114,"confidence":0.73,"evidence":{"text":"本層に相当する"}},{"type":"unconformable","type_jp":"不整合","with_unit_name":"東日笠層","with_unit_id":null,"text":"以下に述べるように，東日笠層と周囲の地層の間には，著しい浸食現象が見られるが，それは海底におけるturbidity currentsによる浸食の結果で，不整合現象ではない．","source_block_index":175,"confidence":0.8,"evidence":{"text":"東日笠層と周囲の地層の間には，著しい浸食現象が見られるが，それは海底におけるturbidity currentsによる浸食の結果で，不整合"}},{"type":"correlates","type_jp":"対比","with_unit_name":"下位層","with_unit_id":null,"text":"以上に述べたように，東日笠海底谷の側壁付近の状況は北側と南側で相違している．このような違いは，南側の側壁では谷の下部を，北側の側壁では谷の上部を見ていることによると考えられる．スランプ堆積層は鍵層U9の近くにあるので，東日笠層はこのスランプ堆積層を境に，東側が梅ヶ瀬層のU9より上位の地層に，西側がU9の下位層に相当することになる．","source_block_index":191,"confidence":0.73,"evidence":{"text":"下位層に相当する"}},{"type":"correlates","type_jp":"対比","with_unit_name":"地層","with_unit_id":null,"text":"なお，岩相の記載で述べたように，東日笠層の上部は，梅ヶ瀬層の鍵層U9以上の地層に，下部はU9以下の地層に対比される．次項で述べる梅ヶ瀬層のタービダイト砂岩の分布から考えると，東日笠層上部は，富津地域の中では梅ヶ瀬層の鍵層U6層準まで含むと考えられる．東日笠層下部については，黄和田層より上位の地層であることは間違いない．おそらく，大田代層の多くが東日笠層下部に対比されると思われる．","source_block_index":204,"confidence":0.75,"evidence":{"text":"地層に対比される"}},{"type":"unconformable","type_jp":"不整合","with_unit_name":"市宿層","with_unit_id":null,"text":"さらに西の海岸付近に至ると，市宿層は層厚を著しく減じるとともに上位の笠森層長浜砂礫部層によって大部分が浸食されなくなってしまう．このため，梅ヶ瀬層の一部が長浜砂礫部層によって直接不整合に覆われる．一方，東部では市宿層基底の浸食量は減少して国本層が現れ，国本層と市宿層が整合的に重なるようになる．","source_block_index":217,"confidence":0.8,"evidence":{"text":"市宿層は層厚を著しく減じるとともに上位の笠森層長浜砂礫部層によって大部分が浸食されなくなってしまう．このため，梅ヶ瀬層の一部が長浜砂礫部層によって直接不整合"}},{"type":"correlates","type_jp":"対比","with_unit_name":"本層","with_unit_id":null,"text":"Otuka（1949）及び小池（1949）の岩坂細砂層上部は本層に含まれる．坂倉（1935a）の坂畑層上部～蓮見砂層は，ほぼ本層に相当する．","source_block_index":249,"confidence":0.73,"evidence":{"text":"本層に相当する"}},{"type":"unconformable","type_jp":"不整合","with_unit_name":"梅ヶ瀬層","with_unit_id":null,"text":"下位の梅ヶ瀬層とは整合である．上位の市宿層とは東部の西粟倉付近では整合であるが，鹿野山南麓に沿う西粟倉から諸崩北の間において，国本層の鍵層Ku3～Ku6の層準が市宿層の基底で浸食されている．浸食は東から西に向かって，より下位の層準に及び，最終的には国本層全体が浸食されてしまう．佐貫北の磯根崎背斜軸部では，国本層は上位の笠森層長浜砂礫部層によって不整合に覆われる．","source_block_index":260,"confidence":0.8,"evidence":{"text":"梅ヶ瀬層とは整合である．上位の市宿層とは東部の西粟倉付近では整合であるが，鹿野山南麓に沿う西粟倉から諸崩北の間において，国本層の鍵層Ku3～Ku6の層準が市宿層の基底で浸食されている．浸食は東から西に向かって，より下位の層準に及び，最終的には国本層全体が浸食されてしまう．佐貫北の磯根崎背斜軸部では，国本層は上位の笠森層長浜砂礫部層によって不整合"}},{"type":"unconformable","type_jp":"不整合","with_unit_name":"市宿層","with_unit_id":null,"text":"市宿層の下限は西に向かってより下位の地層と接している．富津地域東部では国本層に整合的に重なるが，西部の岩坂周辺では国本層を欠き，その下の梅ヶ瀬層を不整合的に覆う．","source_block_index":283,"confidence":0.8,"evidence":{"text":"市宿層の下限は西に向かってより下位の地層と接している．富津地域東部では国本層に整合的に重なるが，西部の岩坂周辺では国本層を欠き，その下の梅ヶ瀬層を不整合"}},{"type":"gradational","type_jp":"漸移","with_unit_name":"長南層","with_unit_id":null,"text":"上限については，富津地域東部では本層と上位の長南層の境界に小規模な浸食面が認められるものの全体として岩相は漸移的で両者の関係は整合である．中部から西部においては長南層を欠き，その上位の笠森層長浜砂礫部層によって不整合に覆われる．長浜砂礫部層基底にはチャネルを伴う浸食が見られる．","source_block_index":284,"confidence":0.85,"evidence":{"text":"長南層の境界に小規模な浸食面が認められるものの全体として岩相は漸移"}},{"type":"unconformable","type_jp":"不整合","with_unit_name":"本層","with_unit_id":null,"text":"上限については，富津地域東部では本層と上位の長南層の境界に小規模な浸食面が認められるものの全体として岩相は漸移的で両者の関係は整合である．中部から西部においては長南層を欠き，その上位の笠森層長浜砂礫部層によって不整合に覆われる．長浜砂礫部層基底にはチャネルを伴う浸食が見られる．","source_block_index":284,"confidence":0.8,"evidence":{"text":"本層と上位の長南層の境界に小規模な浸食面が認められるものの全体として岩相は漸移的で両者の関係は整合である．中部から西部においては長南層を欠き，その上位の笠森層長浜砂礫部層によって不整合"}},{"type":"unconformable","type_jp":"不整合","with_unit_name":"市宿層","with_unit_id":null,"text":"市宿層と下位層との関係を「東京湾不整合」として重視し，市宿層基底を下総層群の基底とする考え（楡井，1981）や逆にその関係は単なる海流や潮流による海底侵食の結果とする考え（峯崎・立石，1992）などがある．市宿層と国本層は，富津地域東部から大多喜地域にかけて広く整合であるので，ここでは市宿層の基底を層群の境界とはしない．","source_block_index":285,"confidence":0.8,"evidence":{"text":"市宿層と下位層との関係を「東京湾不整合"}},{"type":"gradational","type_jp":"漸移","with_unit_name":"細粒砂層","with_unit_id":null,"text":"上述のように富津地域西部では本層は下位層と侵食面をもって接するが，中部から東部にかけての地域では顕著な浸食面は見られない．境界付近の岩相は国本層の生物擾乱を受けた泥質砂岩から，平行葉理の見られる細粒砂層を経て，市宿層の斜層理をもつ砂層へと漸移的に変化する．西部における侵食面の形成は，現在の海底の海釜地形と類似の成因によると考えられ（峯崎・立石，1992），市宿層基底の地層の欠如は海底浸食によるものである．中山・増田（1987）は市宿層の大規模な斜交層理が発達する砂層は，黒潮により陸棚状にっくられた海流サンドウェーブの堆積物であるとし，峯崎・立石（1992）はそれに加えて潮流の影響も指摘している．","source_block_index":288,"confidence":0.85,"evidence":{"text":"細粒砂層を経て，市宿層の斜層理をもつ砂層へと漸移"}},{"type":"correlates","type_jp":"対比","with_unit_name":"市宿層","with_unit_id":null,"text":"地質図には示していないが，磯根崎背斜周辺に分布する国本層と長浜砂礫部層の境界部には，単位層の厚さが数10cmの斜交層理が発達する中粒砂岩が数m挟在する場合があり，市宿層に相当すると考えられる．","source_block_index":289,"confidence":0.73,"evidence":{"text":"市宿層に相当する"}},{"type":"unconformable","type_jp":"不整合","with_unit_name":"市宿層","with_unit_id":null,"text":"前記のように下位の市宿層との境界には小規模な浸食が見られるが，全体としては整合に重なる．上部は笠森層長浜砂礫部層によって不整合に覆われる．この不整合により本層は中部から西部にかけて全て浸食されるので，分布は東部のみである．","source_block_index":304,"confidence":0.8,"evidence":{"text":"市宿層との境界には小規模な浸食が見られるが，全体としては整合に重なる．上部は笠森層長浜砂礫部層によって不整合"}},{"type":"underlies","type_jp":"被覆","with_unit_name":"砂礫層","with_unit_id":null,"text":"本層下部は平行葉理ないし単位層の厚さ数10cmの小規模な斜交葉理の発達する細粒砂層からなり，砂質泥岩層を挟在する．下位の市宿層の大規模な斜交層理の発達する砂層との間には小規模な浸食面が認められる．細粒砂層の上位には，平行葉理の発達する細粒砂層を挟在し生物擾乱の発達した泥質砂岩が重なる．駒久保付近ではさらに上位に，砂鉄質の平行葉理を伴う細粒ないし中粒砂岩，その上に炭質物を多く含む砂質泥岩ないし泥岩が重なり，この中に凝灰岩鍵層Ch1が挟在する（第4.20図）．このCh1の鉱物組成及びガラス・鉱物の屈折率を付表第1表に示す．この泥岩は笠森層長浜砂礫部層の斜交層理をもつ砂礫層に覆われる．馬登付近から西では，長南層は長浜砂礫部層によって浸食されてなくなり，長浜砂礫部層が直接市宿層に重なる．","source_block_index":306,"confidence":0.74,"evidence":{"text":"砂礫層に覆われる"}},{"type":"unconformable","type_jp":"不整合","with_unit_name":"本層","with_unit_id":null,"text":"富津地域では，本層は上総層群の最上部層である．下位層との関係は，本地域中部から西部では，笠森層下部の長浜砂礫部層が顕著なチャネル構造を伴う不整合をもって下位の市宿層，国本層及び梅ヶ瀬層を覆い，東部では長南層を不整合に覆っている．上位については，小糸川の南側では，下総層群地蔵堂層によって，北へ向かって開く谷状の不整合をもって覆われる．この不整合は一種の傾斜不整合で，北側では不整合面は笠森層上部の周南砂岩部層の上にあるが，南側では中部の佐貫泥岩部層まで浸食が及ぶ（地質図及び地質断面D-E参照）．","source_block_index":322,"confidence":0.8,"evidence":{"text":"本層は上総層群の最上部層である．下位層との関係は，本地域中部から西部では，笠森層下部の長浜砂礫部層が顕著なチャネル構造を伴う不整合"}},{"type":"unconformable","type_jp":"不整合","with_unit_name":"市宿層","with_unit_id":null,"text":"富津地域では，本層は上総層群の最上部層である．下位層との関係は，本地域中部から西部では，笠森層下部の長浜砂礫部層が顕著なチャネル構造を伴う不整合をもって下位の市宿層，国本層及び梅ヶ瀬層を覆い，東部では長南層を不整合に覆っている．上位については，小糸川の南側では，下総層群地蔵堂層によって，北へ向かって開く谷状の不整合をもって覆われる．この不整合は一種の傾斜不整合で，北側では不整合面は笠森層上部の周南砂岩部層の上にあるが，南側では中部の佐貫泥岩部層まで浸食が及ぶ（地質図及び地質断面D-E参照）．","source_block_index":322,"confidence":0.8,"evidence":{"text":"市宿層，国本層及び梅ヶ瀬層を覆い，東部では長南層を不整合"}},{"type":"unconformable","type_jp":"不整合","with_unit_name":"下総層群地蔵堂層","with_unit_id":null,"text":"富津地域では，本層は上総層群の最上部層である．下位層との関係は，本地域中部から西部では，笠森層下部の長浜砂礫部層が顕著なチャネル構造を伴う不整合をもって下位の市宿層，国本層及び梅ヶ瀬層を覆い，東部では長南層を不整合に覆っている．上位については，小糸川の南側では，下総層群地蔵堂層によって，北へ向かって開く谷状の不整合をもって覆われる．この不整合は一種の傾斜不整合で，北側では不整合面は笠森層上部の周南砂岩部層の上にあるが，南側では中部の佐貫泥岩部層まで浸食が及ぶ（地質図及び地質断面D-E参照）．","source_block_index":322,"confidence":0.8,"evidence":{"text":"下総層群地蔵堂層によって，北へ向かって開く谷状の不整合"}},{"type":"unconformable","type_jp":"不整合","with_unit_name":"笠森層","with_unit_id":null,"text":"小糸川の北側では笠森層と地蔵堂層の間に顕著な構造差は認められないが，南側と同様に両者の関係は不整合である．本地域東隣の姉崎・大多喜地域においては，笠森層と地蔵堂層の間に，上総層群の最上位を占めて金剛地層が存在するが，本地域では金剛地層は欠如している．","source_block_index":323,"confidence":0.8,"evidence":{"text":"笠森層と地蔵堂層の間に顕著な構造差は認められないが，南側と同様に両者の関係は不整合"}},{"type":"unconformable","type_jp":"不整合","with_unit_name":"金剛地層","with_unit_id":null,"text":"金剛地層は大多喜地域の西部まで分布するが，富津地域との境界付近に至って厚さを減じ尖滅する．富津地域東端の小糸大谷付近には笠森層最上部に10m程度の比較的淘汰の良い砂層があり，金剛地層の一部が再び現れている可能性があるが，小糸大谷から西では金剛地層は全く欠如していて，笠森層主部の泥質岩の上に下総層群地蔵堂層が直接不整合に重なっている．","source_block_index":324,"confidence":0.8,"evidence":{"text":"金剛地層は大多喜地域の西部まで分布するが，富津地域との境界付近に至って厚さを減じ尖滅する．富津地域東端の小糸大谷付近には笠森層最上部に10m程度の比較的淘汰の良い砂層があり，金剛地層の一部が再び現れている可能性があるが，小糸大谷から西では金剛地層は全く欠如していて，笠森層主部の泥質岩の上に下総層群地蔵堂層が直接不整合"}},{"type":"unconformable","type_jp":"不整合","with_unit_name":"笠森層","with_unit_id":null,"text":"富津地域の笠森層の最下部にあたり，細礫・中礫層を主体とし，中粒から粗粒の砂岩を挟む．基底に顕著なチャネル構造を伴う．西部地域では，数10cmから数mに及ぶ巨大な泥岩ブロックを含む．模式地の長浜付近から宝竜寺にかけての地域では，本部層は基底に顕著なチャネル構造を伴って下位層を削剥し，下位層とは不整合関係にある．とくに，長浜付近では長南層，市宿層及び国本層を欠いて本部層が直接梅ヶ瀬層を不整合に覆っているところもある．富津市清水東方の砂取り場でも市宿層を削って発達するチャネルが観察され，幅数mから10数mのチャネルが複合して不整合面を形成している．","source_block_index":335,"confidence":0.8,"evidence":{"text":"笠森層の最下部にあたり，細礫・中礫層を主体とし，中粒から粗粒の砂岩を挟む．基底に顕著なチャネル構造を伴う．西部地域では，数10cmから数mに及ぶ巨大な泥岩ブロックを含む．模式地の長浜付近から宝竜寺にかけての地域では，本部層は基底に顕著なチャネル構造を伴って下位層を削剥し，下位層とは不整合関係"}},{"type":"unconformable","type_jp":"不整合","with_unit_name":"長南層","with_unit_id":null,"text":"富津地域の笠森層の最下部にあたり，細礫・中礫層を主体とし，中粒から粗粒の砂岩を挟む．基底に顕著なチャネル構造を伴う．西部地域では，数10cmから数mに及ぶ巨大な泥岩ブロックを含む．模式地の長浜付近から宝竜寺にかけての地域では，本部層は基底に顕著なチャネル構造を伴って下位層を削剥し，下位層とは不整合関係にある．とくに，長浜付近では長南層，市宿層及び国本層を欠いて本部層が直接梅ヶ瀬層を不整合に覆っているところもある．富津市清水東方の砂取り場でも市宿層を削って発達するチャネルが観察され，幅数mから10数mのチャネルが複合して不整合面を形成している．","source_block_index":335,"confidence":0.8,"evidence":{"text":"長南層，市宿層及び国本層を欠いて本部層が直接梅ヶ瀬層を不整合"}},{"type":"unconformable","type_jp":"不整合","with_unit_name":"市宿層","with_unit_id":null,"text":"富津地域の笠森層の最下部にあたり，細礫・中礫層を主体とし，中粒から粗粒の砂岩を挟む．基底に顕著なチャネル構造を伴う．西部地域では，数10cmから数mに及ぶ巨大な泥岩ブロックを含む．模式地の長浜付近から宝竜寺にかけての地域では，本部層は基底に顕著なチャネル構造を伴って下位層を削剥し，下位層とは不整合関係にある．とくに，長浜付近では長南層，市宿層及び国本層を欠いて本部層が直接梅ヶ瀬層を不整合に覆っているところもある．富津市清水東方の砂取り場でも市宿層を削って発達するチャネルが観察され，幅数mから10数mのチャネルが複合して不整合面を形成している．","source_block_index":335,"confidence":0.8,"evidence":{"text":"市宿層を削って発達するチャネルが観察され，幅数mから10数mのチャネルが複合して不整合面"}}],"figures_count":27,"tables_count":0,"provenance":{"xml_url":"https://gbank.gsj.jp/ld/zfk/xmldata/1014_BITS.xml","sec_id":"sec-4","xpath":"//*[@id='sec-4']","generated_at":"2026-08-29T16:32:24+09:00"}},"derived_keywords":[{"@type":"Lithology","label":"凝灰岩"},{"@type":"Lithology","label":"凝灰角礫岩"},{"@type":"Lithology","label":"砂岩"},{"@type":"Lithology","label":"泥岩"},{"@type":"Lithology","label":"凝灰質砂岩"},{"@type":"Structure","label":"タービダイト"},{"@type":"Structure","label":"級化層理"},{"@type":"Structure","label":"層理"},{"@type":"Structure","label":"葉理"},{"@type":"Structure","label":"成層"}],"linkData":[{"category":"wasDerivedFrom","type":"text/html","@id":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/1014.html","label":"図幅説明書 HTML"},{"category":"wasDerivedFrom","type":"application/xml","@id":"https://gbank.gsj.jp/ld/zfk/xmldata/1014_BITS.xml","label":"図幅説明書 XML"},{"category":"hasImage","type":"image/png","@id":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0049-0001.png","label":"第4.1図 斜層理の発達する黒滝層の砂岩"},{"category":"hasImage","type":"image/png","@id":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0050-0001.png","label":"第4.1表 黒滝層の層厚（単位：m）"},{"category":"hasImage","type":"image/png","@id":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0050-0002.png","label":"第4.2図 黒滝層の層厚変化"},{"category":"hasImage","type":"image/png","@id":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0051-0001.png","label":"第4.3図 十宮層の層厚・岩相変化"},{"category":"hasImage","type":"image/png","@id":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0052-0001.png","label":"第4.4図 十宮層の凝灰岩鍵層To3（ホトトギス）の柱状図"},{"category":"hasImage","type":"image/png","@id":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0054-0001.png","label":"第4.5図 十宮層の凝灰岩鍵層To12（お嬢さん）の柱状図"},{"category":"hasImage","type":"image/png","@id":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0053-0001.png","label":"第4.2表 十宮層の主要鍵層間累積層厚"},{"category":"hasImage","type":"image/png","@id":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0055-0001.png","label":"第4.6図 黄和田層の層厚・岩相変化"},{"category":"hasImage","type":"image/png","@id":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0056-0001.png","label":"第4.7図 黄和田層Tmzスランプ層の概念図"},{"category":"hasImage","type":"image/png","@id":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0057-0001.png","label":"第4.8図 黄和田層の凝灰岩鍵層Kd38（一姫二太郎）の柱状図"},{"category":"hasImage","type":"image/png","@id":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0058-0001.png","label":"第4.9図 黄和田層の凝灰岩鍵層Kd23（おいろけ）の柱状図"},{"category":"hasImage","type":"image/png","@id":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0059-0001.png","label":"第4.3表 黄和田層の主要鍵層間累積層厚"},{"category":"hasImage","type":"image/png","@id":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0060-0001.png","label":"第4.10図 大田代層の層厚・岩相変化"},{"category":"hasImage","type":"image/png","@id":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0062-0001.png","label":"第4.11図 大田代層の凝灰岩鍵層O26（トリガー）の柱状図"},{"category":"hasImage","type":"image/png","@id":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0063-0001.png","label":"第4.12図 大田代層の凝灰岩鍵層O18（梅雨）の柱状図"},{"category":"hasImage","type":"image/png","@id":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0061-0001.png","label":"第4.4表 大田代層の主要鍵層間累積層厚（単位：m）"},{"category":"hasImage","type":"image/png","@id":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0065-0001.png","label":"第4.13図 東日笠層のスケッチ（1と2）とルートマップ（3）"},{"category":"hasImage","type":"image/png","@id":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0066-0001.png","label":"第4.14図 東日笠層と梅ヶ瀬層の関係を示す苗割付近のルートマップ"},{"category":"hasImage","type":"image/png","@id":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0068-0001.png","label":"第4.15図 梅ヶ瀬層の層厚・岩相変化"},{"category":"hasImage","type":"image/png","@id":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0070-0001.png","label":"第4.16図 梅ヶ瀬層の凝灰岩鍵層U9（風）の柱状図"},{"category":"hasImage","type":"image/png","@id":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0071-0001.png","label":"第4.17図 梅ヶ瀬層の凝灰岩鍵層U6の柱状図"},{"category":"hasImage","type":"image/png","@id":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0069-0001.png","label":"第4.5表 梅ヶ瀬層の主要鍵層間累積層厚（単位：m）"},{"category":"hasImage","type":"image/png","@id":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0072-0001.png","label":"第4.18図 国本層の層厚・岩相変化"},{"category":"hasImage","type":"image/png","@id":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0073-0001.png","label":"第4.19図 国本層の凝灰岩鍵層Ku6の柱状図"},{"category":"hasImage","type":"image/png","@id":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0073-0002.png","label":"第4.6表 国本層の主要鍵層間累積層厚（単位：m）"},{"category":"hasImage","type":"image/png","@id":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0074-0001.png","label":"第4.20図 長南層上部の凝灰岩鍵層Ch1の柱状図"},{"category":"hasImage","type":"image/png","@id":"https://cdn.gsj.jp/ld/zfk/zfkdoc/1014/image/1014_0075-0001.png","label":"第4.21図 笠森層佐貫泥岩部層の凝灰岩鍵層Ks10，Ks11，Ks11.5A・Bの柱状図"},{"category":"source","type":"bibo:Document","@id":"https://gbank.gsj.jp/ld/resource/publication/map/g050/map1014","label":"地質図幅出版物情報"}],"cached":true}